不易流行 〜インドのファッション&ビューティ〜

FASHION & BEAUTY in INDIA/インドの多様性を映す民族衣装サリー情報をはじめ、昨今のファッションやジュエリー、コスメティクスのトレンドをご紹介。

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●我が愛すべきインド服。サリー。

上の写真は、本日の午後、赴いたサフィナ・プラザでの一枚。「しぼり (Tie and dye) 」のサリーの業者が、1週間ほどここでエキシビションをしているという案内が届いたので足を運んだのだった。

上の写真は、糸で絞られたままのサリーを、二人が綱引きの如くぐいぐいと引っ張り合って、糸を切っているところである。インドらしくダイナミックな店頭の光景である。

数カ月前にも、彼らはインド北部から来ていて、そのときに一枚購入したのだった。カジュアルに着られ、着心地も快適なそのサリーは、お気に入りの一枚となり、テレビ取材の折にもOWC会合のシーンで着用した。

あいにく今日は、気に入ったものが見つからなかったものの、サフィナ・プラザ内の他の店でアンドラプラデシュ地方からのすてきなサリーを見つけて購入。

サリーこそは、「衝動買い」しなければ、「欲しいけど、検討して後日」なんて思っているうちに消えてしまう。ほとんどが一点ものだから、二度と巡り会えないことが多いのだ。

ところでモダンなサリーを販売する全国展開のブランドに、Satya Paulというブランドがある。デリーに工場があり、専任のデザイナーも多く抱えている。モダンなアプローチでサリーやサルワールカミーズ(主にはマテリアルのみ)を販売している随一のブランドといってもいいだろう。

伝統的な意匠を好むわたしとしては、アバンギャルドなデザインが、今ひとつ好きではなかったのだが、先日ムンバイのブティックですばらしい一枚を見つけ、やはり衝動買いしてしまった。

それは衣類を超越して、芸術であった。

最早着る人を引き立てるというよりは、サリーの独壇場状態である。それでも、買わずにはいられなかった。フォーマルなパーティの際に好適のサリー。今はブラウスを作ってもらうためテイラーに出しているが、着用の暁にはここでも紹介したいと思う。

と、今日の新聞広告を見ていたら、Satya Paulの広告が目に留まった。ルネ・マグリットの絵画に着想を得たサリーを販売しているとのこと。ルネ・マグリットといえば、ベルギーのシュールレアリスト。わたしも好きな画家である。行かずにはいられない。

なんと幅広く奥深く、心引かれるサリーの世界。ただ、テキスタイルという一点限りにおいても、インドの魅力は、本当に尽きない。

11lunch01●友人らとThe Leela Palaceでランチ

今日はOWCのCoffee Morningに参加した後、ユカコさん、エリカさん、コトコさんとでランチ。

いつものダイニング、シトラスのランチブッフェへ。

ここ数日、手抜きでジャンクな食生活だったため、さまざまな野菜をたっぷりと食す。

加えて肉類も、菓子類も、たっぷりと。

ここへ来ると、ついつい食べ過ぎてしまう。

ところで夕べは急にぜんざいが食べたくなり、スジャータからもらっていたインドの豆(名称不明)を煮込み、サツマイモを蒸かして、芋ぜんざいにして食べたのだった。

餅や白玉粉がなくても、実現できる和の味わい。

かなり美味であった。

が、それが夕食とは、いけない感じである。

11lunch03ところで左の写真、Jくんである。

保護者の許可を得て、本日初登場である。

本当にもう、かわいいったりゃ、ありゃしない。

ちょっとおびえた顔をしているのは、抱いているアンティが恐ろしいから、ではないはずだ。

パンクなヘアスタイルはユカコさんがジェルで立てているのではなく、ナチュラルである。

昔、流行した、髪をなでると幸運が訪れるというトロール人形のようでもある。

ごめん、Jくん。

早く大きくなってね〜。

●びっくり仰天!

噂によると、日曜日に放送される番組のタイトルが変更されたようである。

「世界に嫁いだ日本人女性 密着!海外ライフ」ではなく、

「世界に嫁いだ日本人女性 密着!仰天ライフ」になったようだ。

仰天って……。

確かにインパクトは強くなったから、番組表を見た人が、「どれどれ、仰天させてもらおうかな!」とチャンネルをひねる(古い表現か)可能性は高いだろう。「海外ライフ」だと、確かに弱い。「世界に嫁いだ」という時点ですでに海外に住んでいることは想像できる訳だから、表現がだぶることにもなる。

それにしても仰天。
驚きのあまり、天を仰ぎ見るが如くの仰天。
オーマイガーッ!! と神を見上げて仰天。

……と、事の次第をランチタイムに、友人らに話したら、

「仰天くらいで仰天してちゃだめよ〜」

と、たしなめられた。そうか。そうなのか。

それから、日本のテレビ事情について、あれこれと教えられた。いかにくだらないバラエティ番組が増えているかということや、なにがおかしいのだか少しもわからないお笑い番組が多いということも。

わたしは十年以上、じっくりと日本のテレビに向き合っていないのでよくわからないのだが、確かに一時帰国した時、「笑っていいとも」をみて、タモリ氏以下の見知らぬ出演者が、内輪話で盛り上がっているのを見て、なんじゃこれ? と思った記憶がある。

面白いとか面白くないの次元を超えて、意味がわからなかった。

あと、ニュースがワイドショーのようであるとも思った。ニュースのはずなのに、たしか「効果音」のようなものが入っている番組があって、それにも相当驚いた。

加えて、テレビ番組のタイトルに、敢えてインパクトの強い過剰な表現が使われがちなことも、思い出した。

記憶をたどればバブル時代のころから「究極」とか「奇跡」「極上」「驚異」「驚愕」「壮絶」「衝撃」といった、実際の内容を凌駕する過剰な表現が散見されつつあった。

過剰表現を目的として使われる言葉は、いつしか本来の意味を失っていき、極めて「一般化」されてしまう。言葉そのものが持つ厳かな意味合いは損なわれ、いかにも安っぽくなっていく。

「究極」などはそのいい例だ。今や「奇跡」も日常茶飯事であろう。

日本語だけではない。英単語も然りである。ちょっと豪華な家に住んでいたら即「セレブリティ」だし、「カリスマ」などは世間にゴロゴロしている様子。

自らを「カリスマ○○」と自称する人もいたりして、「自分で言うか〜?!』と突っ込みたくなる。

いかん。話がどんどん理屈っぽくなっていく。

だからどうなんだ。と言われてもまた困るので、このへんにしておこう。

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