日印の先祖から受け継いだ貴金属を身につけて、チェンナイにて、天皇皇后両陛下をご拝謁した。そのときの記録を以下のブログに残している。
不易流行 〜インドのファッション&ビューティ〜
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下記をクリックして、記事をご覧ください。
■インド百景:艶やかなサリー、尽きぬ魅力。ミューズのメンバーと昼餐。 -
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バンガロールの夏は、早くも過ぎて、6月中旬。久しぶりにのんびりとした日曜日を過ごしている。
かつてない暑さだったにもかかわらず、すでに「喉元過ぎれば」の気分で、朝晩の涼しさを、高原の風の心地よさを、楽しむ日々。しかしながら、マンゴーの季節は健在で、このところは、マリカ、バダミ、ケサールといった地元のマンゴーを、毎日のように味わっている。
ところで先週の日曜日は、半年に一度開催されるバンガロール日本人会総会パーティであった。思えばこの会にも、すでに10回ほども参加しているのではないだろうか。すっかり古株となってしまったものだ。年々、バンガロール在住の日本人は増加しており、在留届を出していない人も含めれば、1,000人は超えているようである。
さて、今日、書き留めておきたかったのは、今回、パーティの際に初めて身につけた夫の父方の祖母(ダディマ)の形見のジュエリーのこと。上の写真がそれだ。
小柄だったダディマ、そして、とてもスリムだった夫の亡母。二人から譲り受けたブレスレットや、指輪などが、なぜかわたしの手にぴったりと合うだけでも、「ご縁があったのだな」と思ってきた。
わたしは身体は大きいが、手は小さめなので、小ぶりのブレスレットが入るのだ。
ところでインドの人々は、自分の誕生石(守護石)を身につけている人が多い。それは装飾品というよりはお守りという位置づけで、自分の生年月日、生まれた時間、そして生まれた場所(経度/緯度)を参考にして導き出されるものである。
わたしは、久しく自分の石がなんなのかを知らずにいたことから、「ご利益ひとまとめ!」という感じの9つの石、Navratna Stonesを身につけてきた。詳しくは過去に記録を残している。今でも左手の中指には、毎日この指輪をしている。
自分の守護石を知ったのは2年前の2011年5月。ムンバイを訪れた際、天然石の専門店を見つけ、そこでようやく、自分の守護石を割り出してもらうことができたのだった。
あの時期、この店に赴き、自分の石を見つけ出そうと思ったのには、多分、「守られていたい」という潜在的な気持ちがあったように思う。占星術だの守護石だの、非科学的だと思われるむきもあろうが、人間とはそもそも、非科学的な存在でもある。
守護石のことを思うとき、「波長」という言葉が閃く。
人と人。波長が合う。合わない。があるように、人と石にも、人と街にも、人と物にも、あらゆる「間」に波長がある。
これは、理屈では説明できない現象だとも思う。
「この匂いが好き」「この味が好き」という嗜好にしてもまた。
前置きが長くなったが、わたしの守護石。上記のタイトルにも記しているが、「真珠とエメラルド」であった。
心の平静のためには、真珠。
仕事のためには、エメラルド。
そのことがわかって、天然真珠を購入したが、エメラルドは保留であった。そしていつしか、「エメラルドを買わなければ」という気持ちを忘れつつあった。
そんな矢先、デリーの実家を訪れた際、義父ロメイシュから、「これはダディマの形見だから、美穂にあげるよ」と言って渡されたのが、一番上の写真の、ジュエリーのセットである。
ダディマが結婚したばかりのころのものだから、70年ほども前のものだ。インドのジュエリーにしては、派手ながらも上品なデザインで、これならばサリーを着用したときに身につけられるとうれしく思った。
そして、次の瞬間、思い至った。これは、わたしの守護石セットではないかと。
真珠とエメラルドの組み合わせ。偶然と言えば偶然だが、そのような偶然がまた、縁なのだと思うと、なんとも言えずうれしい。
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青空澄み渡る土曜の午後。ここ数日、新メイドはチェンナイへプージャー(儀礼)に赴くとのことで、おやすみだ。従っては、朝のエクササイズ代わりの掃除を行う。
旧メイドのプレシラが放置していた隅々の汚れを、ここ数日は、こまめに掃除している。すっきりとする。
いったい彼女は、何をしていたのだろう。
とまたしても思うが、看過していたわたしも、何をしていたのだろう。という話だ。
ともあれ、家がよりきれいになった気がして気分がよい。こうなったら週に1度、いや月に一度、掃除専門の業者に来てもらい、あとは自分でやったほうが効率がいいようにさえ思える。
さて、一昨日は、毎年恒例の「シルクマーク・エキスポ」へと赴いた。当初はひとりで赴く予定だったが、思い立ち、ミューズ・クリエイションのメンバーにも声をかけた。
テキスタイルに関心のある5名ほどが集まり、場内を巡る。数年前に比べ、規模は縮小しているものの、それでも無数の布の海に、目が泳ぐ。
バンガロールで、ムンバイで、それはもう幾度となく訪れて来たこの手の展示会だが、毎度毎度、目が泳ぐ。
そのときどきで、自分が心ひかれる技術が異なるのにも、面白い。
あるときは、バンダーニと呼ばれる絞り。
あるときは、ゾロアスター教徒の伝統刺繍、パルシー刺繍。
あるときは、カシミールの刺繍。
あるときは、生成りの風合いが肌に心地よいタッサーシルク。
あるときは、バングラデシュはダッカの行商人から求めるモスリン。
あるときは、イカットと呼ばれるアッサムの絣(かすり)。
あるときは、博多織を思わせる、金糸銀糸が麗しいバナラシ・シルク……。
さて、今回、目にとまった数点の写真をいくつか載せておこうと思う。
なお、このブログでは過去に数回、このシルクマーク・エキスポの様子を記してきた。毎回、ヴォリュームたっぷりにつき、今回は比較的あっさりと残しておく。
■シルクマーク・エキスポ2011年の記録 (←Click!)
■シルクマーク・エキスポ2010年の記録 (←Click!)毎年恒例、シルクマーク・エキスポならではの、「絹」について学ぶコーナー。今回も、蚕や繭、そして「蛾」の展示が見られた。
去年、サリーを購入した先のお兄さんが、わたしのことを覚えていて、声をかけてきた。
たいへん、うれしそうである。
さて、今日のところは「細身で小柄な日本人女性にも着こなしやすい生地」を敢えてピックアップして、写真を撮ってみた。
同じシルクでも、シフォン、シフォン・ジョーゼット、クレープなど、透ける素材、柔らかな素材の方が、薄くて着こなしやすい。
約5メートルもの布を身体に巻き付けるわけだから、質感がありすぎると、細い人ほどウエストの前のプリーツの数が増え、即ち折り返しが団子状になってしまう。
派手! と思われるかもしれないが、これらは派手な部類には入らない。
サリー選びとは本当に難しく、しかし楽しいものである。自分の好きな色柄が、自分に似合うとは限らない。思いがけない色柄が、自分に似合うこともある。
また、布を見ているだけではピンとこないのだが、まとった途端に、布の魅力が引き立つものも少なくない。従っては、これは、と思うものは、とにかく身体にあててみることが大切だ。
今回「かわいい!」と思ったサリーの一つ。カラフルながらも派手すぎず、◎のデザインが愛らしい。チカンカリ手刺繍が素朴で味わい深い。
わたしには似合わなかったが、これは若い日本人女性に着こなしやすいと思われた。
写真をしみじみと見るに、かわいい……。
左上はヴィヴィッドな黄色と巨大ペイズリーが強いインパクトを放っている。強めだが、これも若い女性によさそうだと思った。
右上はウッタラカンド州のタッサーシルク。こういうシンプルなデザインも着こなしやすい。
このあたりはすべて機械刺繍だが、素材はもちろんシルク。デザインも比較的上品なので、着こなしやすいと思われる。
この辺りは値段もすべて1万ルピー以下。そこそこにお手頃な値段で、パーティ用にも着こなせる。
なお、このシルクマーク・エキスポでは、業者や職人から直接の購入につき、当然ながらブティックで購入するよりも割安である。店によっては値引きもしてくれる。
さて、今回、目が釘付けになったのは、この作品。商品と呼ぶよりも、作品である。写真をクリックすると、かなり大きな写真が出てくるので、どうぞじっくりとご覧いただきたい。
当然ながら、手織りである。
これは以前からも記していることだが、「ここは!」と思った店では、「一番、高品質のものを見せてください」と頼むようにしている。
買う買わないは別として、一番いい物を見せてもらうと、その店の実力のようなものが、伝わってくるのだ。
他の国では、こういう客は嫌がられるかもしれないが、インドの場合、こちらが関心を示すと、次々に見せてくれることもある。
ちなみにこの商品は、バングラデシュ、ダッカのモスリン。店のおじさんは、ミステリアスなほどに、とてつもなく愛想がなく、商売をする気は皆無に見えた。
しかし、そんなことはどうでもいいと思えるほど、このサリーはすばらしかった。
ダッカのモスリンを巡る話は下記にも記している。
■サリー商人、ダッカからバンガロールへ。 (←Click!)
■ダッカ発エコロジカル柄のサリー、初着用 (←Click!)
■英国統治時代、モスリンの職人らの指が切り落とされた話 (←Click!)
これは、買っておくべきだったか。と今、写真を見ながら思う。これは、すばらしい……。
こちら、カシミールの手刺繍のサリーも圧巻であった。しかし、こんなにもみっしりと刺繍を施すこともなかろう、というくらいの密度である。
今年、カシミールを訪れ、工房を訪ねたときも思ったが、もう少し、軽やかな刺繍にして、その分、お手頃価格にしてほしいというものである。
ぎっしり。作品としては、圧倒的に迫力があるが、身にまとえば、重い。
今回、気に入ったのはこのサリー。「パシュミナワーク」と呼ばれるもので、パシュミナに施す刺繍のテクニックを、サリーに生かしているのだとか。
先ほどの全面刺繍とは異なり、軽い。サリー全体に手刺繍が施されているのだが、それにしては、値段がお手頃。5、6年前の相場がそのまま、という感じである。
わたしが移住して以来、わずか7年の間のことだが、サリーの値段も驚くほど上がった。そして、職人の手仕事が反映されたサリーが減った。
その分、ミシンによるコンピュータ刺繍が激増した。
そんななか、この店は、時代に取り残された価格設定の感有り、である。こちらにとってはありがたいが、彼らも技術を存続し、仕事を続けて行くのはたいへんなことだろうなと痛感する。
これからも、サリーを買うときには、できるだけ手作業で作られたものを買い求めようと思うのだった。
なお、このシルクマーク・エキスポ。バンガロールのHOTEL LALIT ASHOKで24日まで開催されている。
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気がつけば9月5日。週明け早々、なんやかんやで慌ただしく、週末の「姫気分」がすっかり忘却の彼方となりつつある。
あの素敵な体験は、記録に残さずにはいられないものなので、急ぎまとめておこうと思う。

先週の金曜から日曜にかけての週末、ハイデラバードに昨年オープンした宮殿ホテル、「タージ・ファラクヌマ・パレス TAJ FALAKNUMA PALACE」に滞在した。
まさに、「姫気分満喫」の2泊3日であった。
一般庶民に、ここまでプリンス&プリンセスな気分を楽しませてくれる場所が、ほかにあるだろうか。
いやない。
と、自分に問いかけずにはいられないほど、実に優雅な時間を過ごせたのだった。
夫は、会社関連の行事で、昨年末、ここを訪れていた。
ニューヨーク本社、ムンバイ、バンガロール支社の面々が、年に数回、インド国内に結集し、ビジネスミーティングと親睦を兼ねた会を設けているのだ。
日本でいうところの「慰安旅行」のようなものであろう。
彼からホテルの詳細を聞き、「行きたい! わたしも行きたい!!」
と切望していたところ、夫の計らいで、我が誕生日の週末を宮殿ホテルで過ごすことになった次第。
ハイデラバードは、バンガロールと同じ南インド、デカン高原にある都市。バンガロールよりも北部だが標高が低いため、かなり暑い。気温が上がる4月以降、ホテルはオフシーズンに入っているのだが、幸いモンスーンのあと。気候も比較的穏やかで、過ごしやすい滞在だった。
タージ・グループは、インド国内のいくつかの宮殿を、マハラジャ一族との共同事業により大々的な改装を行い、ホテルとして生まれ変わらせている。
このホテルもまた、10年もの歳月をかけてリノヴェーションされたもので、2010年11月にオープンした。
ハイデラバードのバックグラウンドを語らずして、このホテルについても語れぬのだが、書き始めると尽きない。
今日のところは写真を中心に、最小限の情報だけを記しておこうと思う。
なお、今回はホテルにチェックインしたあと、一歩も外へ出ることなく過ごした。ハイデラバードの街については、過去2007年に訪問した際の記録があるので、それをご覧いただければと思う。
写真に添えて、情報もかなり載せている。
●ハイデラバードで小さな旅 (←Click!)
ハイデラバードのあるアンドラ・プラデーシュ州はムスリム(イスラム教徒)が多い土地としても知られている。
この地は、1724年から、インドの独立直後の1948年まで、「ニザーム王国」あるいは「ニザーム藩王国」と呼ばれる、インド亜大陸最大の藩王国だった。
他の藩王が「マハラジャ」と呼ばれるのに対し、この地の藩王は「ニザーム」と呼ばれていた。
英国統治時代には、政治的に英国の影響を強く受けていたとのことである。歴代ニザームの中には、世界で一番の富を誇っていた人もあったとのことで、その豊かさが偲ばれる。
この宮殿が完成したのは、1893年。当時、ハイデラバードには35もの宮殿があり、この宮殿はその一つに過ぎなかったようだ。
しかし、ハイデラバードの町並みを一望する小高い丘の上の立地という点においても、中心的な存在であったに違いない。
なお、この宮殿は、建設時のニザームの星座に因んで、サソリの形をしているという。この正面が頭部。客室が胴体で、尾の先端部分がダイニングエリアとなる。
さて、ハイデラバードが富裕であった理由の一つは、ダイヤモンドにある。
インドは、18〜19世紀に南アフリカやブラジルでダイヤモンドの鉱脈が発見されるまで、唯一のダイヤモンド産出国だったらしい。
中でもハイデラバードの、とくにゴルコンダは優良なダイヤモンド鉱山だったとのことで、エリザベス2世の王冠に輝く巨大なダイヤモンドも、かつてこの地で採掘されたものらしい。
現在は、ダイヤモンドは産出されていないようだが、真珠の集積地として世界的に有名。世界各地で穫れる真珠がここに集められ、加工されている。
上の写真は、かつてワシントンD.C.のスミソニアン博物館群の国立自然史博物館にて、撮影したもの。
ホープ・ダイヤモンドだ。
これを手にした人は不幸に見舞われるという、呪いの伝説をも持つ世界最大のダイヤモンドである。このダイヤモンドが発掘されたのも、ここ、アンドラ・プラデーシュ州だと言われている。
詳しくは下記を参照されたい。
●ホープ・ダイヤモンド (←Click!)
この宮殿は、6代目ニザーム、ミール・マフブーブ・アリ・カーンの邸宅として建てられた。
8代目ニザームであるムカラム・ジャー(1967年死去)の妻、プリンセス・エスラは存命で、この宮殿ホテルの10年に亘るリノヴェーションに大きく貢献したとのこと。
ホテルのブティックで購入したこの本の冒頭にも、彼女からの言葉が寄せられている。
バックグラウンドを調べているときりがないので、このへんにしておく。さて、以降は、2泊3日の様子を写真を中心に紹介したい。
なお、今回は、ゆっくりとホテルに滞在する心づもりで、写真も最低限の撮影にとどめようと思っていた。従っては、バッテリーチャージャーも持参していなかった。
ところがもう。
初日から、阿呆のように写真を撮りまくってしまい、バッテリーが尽きてしまう次第。数多くの写真から、一部を選んだつもりだが、それでも膨大な量となってしまった。
ちなみに、館内の撮影は、宿泊客のみに許されており、レストランの利用者や観光客は外観しか撮影させてもらえない。
なお、今後、このファラクヌマ・パレスへ訪れる予定のある方は、この記録を見すぎないことをお勧めする。
予備知識はあったほうがいいと思うが、しかし、先入観やあらかじめのイメージが強すぎるのは、旅の鮮度を落とすとも思われるので……。
さて、8月31日金曜日。我が誕生日の朝。バンガロールからハイデラバードまで約45分の空の旅を経て、空港に到着した。バンガロール空港と時を同じくして、数年前に改築されたこの空港。
バンガロール空港よりも広く、設備が整っているとの噂通り、快適な空港だ。空港からの街へ至る道も美しく整備されており、「ここ、シンガポール?」と錯覚するような麗しさ。
しかし、一旦街へ入れば、ここはインド。なじみの喧噪をくぐりぬけた先に、やがて小高い丘が見える場所へ至る。
ホテルの敷地内に入った途端、あたりの風景は一変し、静寂に包まれる。
車窓から、緑豊かな庭園を眺めていると、クジャクが羽根を広げている!!
間近で羽根を広げるクジャクを見るのは初めてのことだったので、とてもうれしい。
ところで夫はといえば、実は2日前から、ハイデラバード入りしていた。偶然、出張が入っていたのだ。
夫も午前中のミーティングを終えた後、昼ごろにはホテルにチェックインするとのことだったので、ランチを共にしようと予定をたてていた。
ホテルの間近のゲートでタクシーを降りる。そこで「馬車」に乗り換えるのだ。
贅沢にも一人で馬車に乗り込む。石畳にカツカツと響く蹄の音も心地よく、否応なく気分が盛り上がるというものだ。
ホテルの入り口では、マネージャーを筆頭に数名のスタッフが屹立して出迎えてくれる。みな口々に、
「ハッピー・バースデー! ようこそいらっしゃいました!」と歓迎してくれて、もうたまらん。
2種類のウェルカムドリンク、いずれもハーブやスパイスが用いられた爽やかなヘルシー飲料を勧められる。迷っていると、「両方どうぞ」といわれたので、どちらも味見をさせていただく。
曇天ではあるものの、気温が上がりすぎないので、むしろ助かる。もちろんバンガロールよりも蒸し暑いが、しかし、さほどではない。
グラスを片手に、ハイデラバードの町並みを見下ろしながら、マネージャーに話を聞く。
このホテルは規模が大きいという印象を持っていたのだが、実際には客室数はわずか60室だという。
それを聞いた時点で、よりいっそう、気分が盛り上がる。ゲストが多いよりも少ない方が、ずっとくつろげるからだ。
しかも現在はオフシーズンで、稼働率は20〜30%程度だとのこと。
10年もかけてのリノヴェーションを経てのホテル化と聞けば、その大いなる投資もたやすく想像できる。それに比して、この客室数と稼働率ではまったく採算は合わないだろう、とも思う。
タージという大きな母体があってこその、このホテルの誕生であったのだな、ということが、察せられる。
最早、文化事業のような印象さえ受ける。
ホテルの歴史や建築についての話を聞いているうちにも、いいタイミングでアルヴィンド、到着。彼としては、わたしと一緒に馬車で参上したかったようだが、彼の到着を待っていたのでは、クジャクは見られなかった。
マネージャーに、クジャクの写真を見せたところ、大いに驚かれた。
「僕はここで3年間働いていますが、クジャクが羽根を広げているところは、一度も見たことがないんですよ! あなたは幸運ですね〜!」
と、周囲に立っているスタッフたちも、わたしのカメラを覗き込み、一様に感嘆している。
夫を含め、そこにいる誰もが、羽根を広げているところは見たことがないとのこと。クジャクからさえも、ワンダフルなお誕生日プレゼントをもらった気分だ。
馬車とホテルを背景に、記念撮影。ここでは、ホテルのスタッフも我々を撮影してくれ、チェックアウトの際、写真をフレームに入れて、プレゼントしてくれたのだった。
ウダイプールのレイクパレスでもそうだったが、タージのパレス系ラグジュリアスなホテルでは、このようなサーヴィスが行き届いていて、ささやかながらも確実な喜びを与えてくれる。
ニザームはじめ、貴賓たちを歓迎するときと同様の様式で、我々ゲストをホテルへ誘ってくれる。階段を上がったところで、空からバラの花びらが降って来るではないか!
こういうところでは、大人らしくエレガントに振る舞うべし。
と、わかってはいるのだが、これが喜びの声を上げずにいられようか。
いや、いられまい。
エントランスホールは、イタリアン・ネオクラシックの建築。……と、このホテルの内装についてを、丁寧に語るのは無謀なので、詳細は避ける。
避けるが、大雑把に書き留めておくならば、まず、建築家は英国人。
宮殿内は「欧州の建築様式にイスラムの意匠を加味したもの」で、インド的な建築様式は取り入れられていない、とのことである。
ルネサンス様式、バロック調、アールデコ、アールヌーヴォー……といったさまざまな欧州の建築様式が取り入れられているとのこと。
改築の際には、できる限りオリジナルの内装、家具調度品を生かしながら、細心の配慮のもと、当時の雰囲気を再現しているという。
エントランスホールのすぐ右側は、ニザームの書斎だった場所。この奥にレセプションがあるが、ゲストはここでチェックインの手続きをする必要はない。
チェックアウトの際に利用するだけである。
チェックインは、部屋で身分証明書などをスタッフに渡し、ペーパーに記入する。マネージャー曰く、
「ホテルのゲストとして事務的にお迎えするのではなく、宮殿のゲストとして、家庭的にお迎えしたいからだ」とのことである。
書斎の脇には、当時、ニザームが使用していた電話番号のリストが置かれている。首相をはじめとする要人への直通電話番号が記されているのが興味深い。
調度品の細部を見れば。その豪奢さが見て取れて、きりがない。今、こうして写真を整理して改めて見るに、もっと時間をかけて、ひとつひとつをしっかりと眺めておきたかったとさえ、思える。
このマーブルの階段が伸びるホールがまた、すてき。支柱の上に並ぶ彫像は、紛れもなくミューズ!
ニューヨーク在住時に起業した「Muse Publishing, Inc.」。
そのミューズである。ミューズとは、ギリシャ神話に登場する、芸術を司る9人の女神の総称だ。
詳しくは、下記をご覧いただきたい。
階段にはしかし、8体のミューズしかいない。聞けば、1体は、壊れてしまったとのこと。あいたたた。
部屋では、またしてもスタッフ数名が待機。花束とバースデーケーキを準備してくれていた。
みなで声を揃えて Happy Birthday♪を歌い、誕生日を祝福してくれる。またしても、かたじけない。
小ぶりながらもみっしりと重量感のあるチョコレートケーキ。練り込まれたナッツも香ばしく、実に美味だ。ランチを控えている時刻ゆえ、小さく一口、二口を味わう。
ともあれ、まずはインド産SULAのスパークリングワインで乾杯。仕事やら、家庭内のなんやかんやの雑事から開放される、貴重な2泊3日の幕開けだ。
この滞在では、ひたすら怠惰に、のんびりと、だらだらと、過ごそうと思う。それもまた、贅沢なものである。
ホテルには、インド料理とイタリアン(コンチネンタル)、2種類のレストランがある。そのダイニングエリアの中央に、ハイデラバードの町並みを見下ろすテラスがある。
心地よい風が吹き抜けるテラスの、なんとも居心地がいいこと!
ここからは、朝な夕なに、それぞれの時刻ならではの、美しい景観を見渡せた。コーラン鳴り響くころは、五感が旅愁と異国情緒で満たされて、言葉にし難いひとときだ。
ところで、ファラクヌマ(Falak-numa)とは、現地のウルドゥ語で “Like the Sky” あるいは “Mirror of the Sky” という意味だという。
天空の鏡。
うまく命名されたものだと思う。
さて、ランチタイム。店内はほとんど貸切状態。静かでくつろげる。
二人ともあまり空腹ではなかったので、軽くシーザーサラダとハンバーガーをシェアする。インドのいいところは、たとえ高級店でも、料理のシェアをすることを疎ましがられないこと。
そればかりか、あらかじめ半分ずつをお皿に盛りつけて、供してくれる店も少なくない。
たとえばこのハンバーガー。ご丁寧に半分に切られているのがお分かりだろうか。かつて食べたことがないような、滑らかな挽肉の、実に上品なビーフバーガーであった。
食後は館内を見学。希少価値が高いらしい「コレクター垂涎」の書籍がずらりと納められたライブラリー。
テーブル、椅子、ランプ、花瓶……。調度品は細部に至るまで、どれもこれも上質のアンティーク。まるでミュージアムである。いや、ミュージアムそのものだ。
実際のミュージアムであれば、ロープが張られており、家具などに触れることはできないところだが、ここでは「普通に使える」ところが、たまらない。
そう。滞在中はまさに、ミュージアムの中に暮らしていたようなものであった。
それは即ち、過去へさかのぼり、栄華を極めた人々のライフを少しばかり追体験するかのごとくでもあった。
なんだか居心地がよかった右上の部屋は、それもそのはず「女性たちのおしゃべりの間」であったらしい。
ここはプリンセスの寝室。バスルームには、古くからそのままにあるバスタブやシャワーの設備が展示されている。
このバスタブについているパイプは、全方向から「ウォータージェット」が楽しめる代物だとか。今とさほど変わらぬ「モダンな」造りに驚かされる。
ちなみに写真を取り損ねたが、便器はアールヌーヴォー調であった。
一通り館内を見学したあと、部屋に戻り、再びスパークリングワインを飲みつつくつろいでいるうちにも、睡魔に襲われ、なんとも心地のよいベッドに潜り込む。
「600スレッドカウント」の滑らか〜なエジプト綿がすべすべで、ひんやりと肌に気持ちがいい。
心地よく眠っていたところで、夫に叩き起こされる。
「ホテルの館内ツアーが始まるから、着替えて。出かけるよ!」
だらだらとしていたいがしかし、だらだらは、明日でもできる。今日のところは、ツアーに参加して、多少なりとも知識を得るのがよいであろう。
ツアーの参加者は、約5組の宿泊客。案内をつとめてくれるのは、このホテルがオープンする以前から、宮殿に仕えていたドアマンの男性だ。
彼の口調からは、この宮殿をこよなく愛しており、その歴史の断片を訪れる人に伝えるのが喜ばしき使命だと感じているに違いない、そんな静かな情熱が伝わってきた。
夕方の5時半から開始するこのツアーは「シャンパン・ツアー」と呼ばれるだけあり、まずはピンク・シャンパン(ロゼ・シャンパン)がサーヴされる。
シャンパンのグラスに夕暮れの光が溶け込んで、なんとも言えず麗しい。
ミューズたちの像が配された大理石の階段を上り、上階へ。
ボールルーム。舞踏場。シャンデリアはヴェネツィア産だという。
カーテン、タッセル、ソファー、絵画、フロア、ドア……。どこに目をやっても、味わい深い調度品。我が好みにストライクすぎて、なんだかもう、言うことなし! の気分だ。
そしてここが、必見のバンケットホール。33メートルのテーブルに、88の椅子が並んでいる。長っ!!
夫は会社での「慰安旅行」の際、この部屋で夕食を楽しんだらしい。
食器はヴェルサーチ(by ローゼンタール)。タージ系列のラグジュリアスホテルには、この食器が使用されている。
テラスのフロアに目を落とせば、これまた彩り豊かなタイル。これらは英国のミントン社製。
夕暮れ時のテラスからの眺めがまた格別。ここでハイティーも楽しめるのだが、楽しんでいてはとてもディナーにたどりつけない。
が、この眺望とハイティーは、ワンダフルすぎるシチュエーション。どんなに食べても増量しない体質だったらよかったのに、と、小さく無念だ。
館内はといえば、さほど広いわけではないのだが、しかし、それぞれの場所が味わい深く、何度、往来しても、新たな発見が尽きず、実に深い。
そしてここは、ジェイド・ルーム。翡翠の間と呼ばれるサロン。ロココ・リヴァイヴァルとオリエンタリズム、そしてムスリムの「星形」の意匠が渾然一体と調和した部屋だ。
日本を思わせる彫像や花瓶などが配され、独特の趣。天井とフロアの紋様の対比がまた面白い。とにもかくにも、ディテールへのこだわりに圧倒される。
説明によれば、やむなく新しい調度品に取り替えたものもあるらしいが、大半がそもそも宮殿にあったものをそのままに生かしているとのこと。
カーペットなども、何十回も洗浄して、現在も使用しているらしい。宮殿全体が、そのような作業を経て生まれ変わったのだと思うと、改装に10年かかっても不思議ではないと思える。
左上のキャビネットは「オーケストラ装置」で、おそらく欧州から輸入されたものだとのこと。パイプオルガンにシンバル、ドラム、トライアングルが内蔵されている。
修理には莫大な予算がかかるとのことで、今は音が聴けない。このオーケストラ装置が奏でる音楽を、ぜひとも聴いてみたかった。
気がつけば、街は暮れなずみ、喧噪は遠く、得も言われぬ静寂に包まれている。ツアーが終わった後も、名残惜しく、館内の随所を眺め歩く。
ボールルームで、踊ってみる。
ガイドのおじさんに勧められ、プリンス&プリンセスの座に腰かける。
わたしはサリーを2枚持参していたが、こうなったらアルヴィンドにもシャルワニを持ってこさせて記念撮影をとるべきだった、とさえ思う。
家具に触ったり座ったりすることをとがめられるどころか、勧めてもらえるところに、過去と現在が連なっているさまを実感する。
それは、エローラ遺跡で感じたことと似ている。
エローラ遺跡の仏像に、触れながら祈る人々を見て、これらは世界遺産に指定されており、大切に保存されるべきだとの認識がある一方、信者にしてみれば、いにしえから延々と連なる祈りの対象なのだ。
人に住まわれてこその建築物。触れられ、使われてこその家具調度品。
そして気がつけば、日が暮れて、空を見上げれば、満月で。なんという、贅沢な景観であろうか。
さて、夜はインド料理店で食事を楽しむ。
本来であれば、ハイデラバード名物のビリヤニを試したいところだが、辛いものが苦手な夫、ここのビリヤニはかなりチリ(唐辛子)が効いているらしいとあって、却下。
わたしは、少々辛いくらい、ノープロブレムなのだけれど。
そんなわけで、軽めのダルとサグ(ホウレンソウ)のカレー、そしてタンドーリ・チキンをオーダー。どれも素材の味が生きた洗練された味わいで、非常においしかった。
ちなみに夕食の際には、サリーを着用したのだった。サリーはまた、こういう場所にもよく似合う。
ゲストも誰もおらず、館内は貸切状態。調子に乗って、使ったことのないカメラのアート機能などを使って、セピア色にしてみたりと、遊ぶ。
随所に立っているスタッフが、あちらこちらで「撮影してあげましょう」と申し出てくれる。もう、二人してモデル状態だ。
と、気がつけば、カメラのバッテリーが点滅している。わずか半日で、いったいどれほど撮影したのか、という話だ。
さて、翌朝はゆっくりと朝寝をして、遅めの朝食。ここからの写真はiPhoneによるものだが、光が回っている場所では、それなりにきれいに撮れるからすばらしい。
朝食はアラカルトメニューから好きなものを選ぶことができる。
あれこれと迷うところだが、たくさん食べられるわけでもない。フルーツの盛り合わせや卵料理、パンケーキなどを注文して、夫とシェアする。
コーヒーは南インド産の「モンスーン・マラバー」。かつて、欧州の人々に愛されたコーヒーだという。わたしが普段飲んでいるのも、南インド産のコーヒー。
いつものコーヒーに、少し深みが増した、おいしいものであった。
ところで、この朝、着用していたのは、前夜、ホテル内のブティックで購入していたブラウス。タージ系列のラグジュアリーホテルに入っているブティック、KHAZANA。
ホテルによって品揃えは異なるのだが、この店のそれは、かなりよかった。ちなみに上の写真の鏡に映り込んでいるのは、店のスタッフ。
まるで絵画のようだ。
ところで、このブラウスは、実は非常にユニークなデザイン。
前後が変則的なデザインで、個性的なのだ。後ろには、水彩画のようなタッチで花が描かれている。素朴で高品質な素材が、肌に心地よい。
Nigel Preston & Knight. 個性的なレザージャケットで知られる英国のブランドだが、デザイナーは、インドと英国を拠点として活動しているとのこと。
このブラウスも、インドで作られたものらしい。
ところで、ここはニザームの書斎。デスクにゲスト・ブックが置かれていたので、孔雀の羽根の万年筆でメッセージを残しているところ。
ちなみに、かつてニザームは、このデスクの上で、巨大なダイヤモンドの塊を文鎮代わりに使っていたとのことである。最早、なんのこっちゃ、という感じだ。
そしてホテルで、ひたすらにくつろぐ一日。
緑に包まれたプール&プールサイドがまた心地よく。泳いだり、デッキチェアーでまどろんだり。なにしろ、プールを使っているのはわたしたちだけ。
ここでもまた、貸切状態なのが幸せすぎる。
そして夕方には、スパへ。毎週、アーユルヴェーダのオイルマッサージを受けているが、それは確かに身体によい。
身体によいが、トリートメント自体は、言わば「療法」であるゆえ、ラグジュリアスでも優雅でもない。それにひきかえ、このスパ。
好みの香りのオイルを選び、心地よいアロマに包まれて、ワンダフルなマッサージを受ける。
マッサージの後は、テラスで夕日を眺めつつ、ハーブティーを飲みつつ、またしても至福のひととき。
こうして、「特に、なにもしない一日」を送ってみてはじめて、日ごろ、どれほどドタバタな日々を送っているかが実感できる。
日々、しっかり睡眠はとっているし、時間にもそれなりにゆとりある生活を送っているつもりだが、しかし、ここはインド。知らず知らずのうちに、いろいろと抱え込んでいるのも事実。
そもそも、この1カ月余りは「庭の大改装工事」で、それなりに大変だったからな。
そして2日目のディナーはイタリアン。食前に出されるパンを食べるとお腹がいっぱいになるとわかっているのだが、おいしくて、ついつい食べてしまう。
エビのリゾットと魚のフライ。これがまた、どちらも美味であった。デザートは入らない状態なのに、コーヒーを頼むとついて来るスイーツ。嗚呼。
そしてこの日も、懲りずに写真撮影を楽しみつつ、夜のホテル内を巡るのだった。
そして2泊3日の短い滞在も終わり、最後の朝食。昨日は勧められても飲めなかったが、今日は爽やかに、朝からピンク・シャンパンを。
夫は上品に焼き上げられたオムレツを。
そしてわたしは、サーモンとフェタチーズのサラダ&ブレッド。
アラカルトメニューは豊富で、もちろんインド料理もあれこれとある。また来なければ、と思わせられる。
フライトは夕刻の便だったので、レイトチェックアウトを依頼し、午後3時まで、ホテルでのんびりと過ごしたのだった。
ざっと記すつもりが、またしても膨大な記録となってしまった。
また、改めて行きたいと思う場所が増えた。
すばらしいバースデー・ウイークエンドをありがとう。
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先週の水曜日に訪れて以来、先延ばしになっていた「シルクマーク・エキスポ2011」の話題。
忘れ去らないうちに、記しておこうと思う。去年は期間中に二度訪れ、克明にレポートをしたので、今回はざっとまとめる。
なお、写真が満載の昨年12月の記録はこちらをどうぞ。↓
■シルクマーク・エキスポ2010の記録など (←Click!)
今年はチャリティ・ティーパーティにて、インドのテキスタイル講座を何度か開いたこともあり、今まで以上に、日本人の方々のサリー・ショッピングにお付き合いする機会があった。
サリー・ハンティングへの同行については、ブログに記録を残していないが、多くの方とサリー探しをするにあたっての傾向と対策について思うところを、軽く記しておきたい。
が、これはあくまでも、わたし個人の主観的な印象だということを、あらかじめお断りしておく。
さて、開催初日。午前中は当然、準備ができていないだろうと見込んで午後2時過ぎに訪れたら、やはり準備途中である。
が、昨年同様、絹の誕生を遡る展示から、じっくりと見てゆく。
繭にもさまざまな種類、質感があるということは、去年も記したので詳細は割愛するが、写真だけ、改めて。
昨年同様、非常に「ライヴ」な展示も見られた。
諸々、生きてます。今年は、手のひらに載せませんでしたよ! あれはもう、一度で十分な経験。
こちらは、コンピュータでプログラムされているという織機。どのあたりがどうコンピュータなのか、見ているだけでは複雑すぎてわからない。
久留米絣の工房を訪れた時にも思ったが、「織物」というのは、実に人間に身近でシンプルなものであると同時に、複雑にも芸術的な存在に転化しうるものだと感じる。
今年はなにやら「躍動的」なサリーのディスプレイも見られ、まばゆいことしきり。
サリーとは約5メートルの一枚布。幅は、1.15メートル前後ある。
この5メートルの一枚布と、ブラウス、ペチコートの3点セットで着用する。ペチコートやブラウスはサリーの色柄とコーディネートして、自分のサイズに合わせてあつらえる。
長い布の端を身体に1周巻き付けたあと、お腹の部分で幅十数センチのプリーツをぱたぱたと折る。
太い人は、プリーツの数は少なく、細い人は、多くなる。
そのプリーツをペチコートの内側にぐいっと折り込んだあと、さらに身体を一周させ、左肩から下にパルー呼ばれる端の部分を、ハラリと垂らす。
肩の部分をただ、無造作に垂らすのではなく、きちんとプリーツを折る着方も一般的だ。
同じシルクでも、柔らかいもの、硬いもの、光沢のあるもの、マットなもの、刺繍が施されたもの、ビーズやスパンコールが施されたもの、金糸銀糸が折り込まれたもの、絞り、絣、染めなどの技法が反映されたもの……と、実にさまざまな種類がある。
日本人に比べると、脚が長く、太っている、あるいはスリムに見えても身体に厚みのあるインド人は、大胆な柄や、けばけばしい色のコントラストなどもうまく着こなせる人が多い。
が、インド人に比べると、細くて小柄な人が多い日本人は、まず、素材や質感を選ぶ必要がある。
というのも、分厚くて重厚感のある布だと、お腹のあたりでプリーツを作り、ウエストに折り込む際、厚みでもったりとしてしまい、軽やかに着こなせない。
更に小柄だと、折り返す部分が長くなり、腰回りが布でもったりとなってしまう。
小柄で細くても、どっしり素材を着こなしたいということであれば、サリーの上部と、パルーではない側をカットするといいのではないか、と常々思っている。
かつて出会ったパルシーの女性から、パルシー刺繍のすばらしいサリーコレクションを見せてもらう機会があった。そのとき、彼女が言ったことには、
「わたしの祖母は、とても小柄だったので、サリーを小さめに裁断して着ていました。だから、わたしは譲り受けても、残念なことに丈が足りなくて、着られないんですよ」
インドでも、小柄な人は、サリーをカットしている可能性がある。
だからって、いきなり初心者がサリーを裁断するのも冒険し過ぎだろう。というわけで、なるたけ着こなしやすい素材を選びたいものである。
たとえば左上のよう薄手のシルクは、肌触りもやさしく、着やすい。だが、パーティなどの華やかな場には、質感がやや地味だ。
ジョーゼットやシフォンといった柔らかな素材は、細い人たちにお勧めしている。柔らかくて軽く、プリーツがきれいに出やすい。
初心者でも無理なく着られる。
右上はバナラシ・シルクのジョーゼットだったと思う。
バナラシ・シルクは、厚めで光沢のある「博多織っぽい」ものもある。多少厚さがあっても、柄が小さく上品なものが少なくないので、日本人に合わせやすい。
今回は撮影していないが、わたしの好きな、絣や絞り染めも、着やすい。
ただ、絞り染めの場合は、色合いがヴィヴィドすぎるものが多く、「これ!」という一枚を見つけ出すのは、なかなかに難しい。
一歩間違えると「稚児帯?」になってしまう。
それから、ネット素材にビーズやスパンコールなどが施された「ボリウッド系パーティ仕様」も、着やすいかもしれない。
ただし、重さが2、3キロあるものも少なくない。これらは着たら最後、自由に身動きがとれなくなる可能性もあるので、軽めを選びたい。
更には、裾のあたりに装飾が集中して重量感があるものは、歩いているうちにズルズルとずりおちる可能性がある。
ずり落ち防止のためには、ブラウスは身体にぴったりとしたものあつらえること。そしてペチコートのウエストの紐はがっしりとしめ、腰にひっかける感じて安定させるべし。
これはサリーのパルー部分。サリーを身体にまきつけたあと、肩越しにひらひらと背後に落ちるあたりだ。写真ではわかりにくいが、相当に巨大な柄。
小柄な人は、このパルー部分がなるたけ短く、軽めのデザインがお勧めだ。こんな大柄を着た日には、背中に鳥を背負っているようにしかみえず。
小柄でないわたしでも、こんなでかい柄は、着こなせない。
左上は、カンタ刺繍。このワークは、薄手のシルクに施されている上、重量感がなく、色合いも比較的落ち着いているので、着こなしやすい。
一方、右上のような大胆なコントラストは、一見、柄が上品そうに見えるが、着てみると主張が強すぎて難しい。
このブースの、上部に下げられているものは、いずれも比較的、着こなしやすい部類に入りそうだ。特に色のコントラストが強くないものの方が、やさしく見えるだろう。
右上のペイズリーは、かなり大きい柄(20センチ以上はある)だが、シルクが染色されていないピュアな色である上に、柄の色も落ち着いているので、負けずに着られると思う。
こうしてドリャ〜ッと並んでいると、目が泳ぐし、何が何だか、よくわからなくなるというもの。
時間をかけてゆっくりと、吟味するしかない。
ただ、一つ言えるのは、自分が好きな色柄と、自分に似合う色柄は、決して一致するわけではないということ。そのあたりが、大いなるジレンマである。
目が眩むほどのゴールデン。こういうきらびやか系は、南インドのカンチプーラムの特長。サリー初心者には、着こなすのは難しいタイプ。
今回、わたしが一番気に入ったのは、このサリー。バナラシシルクの、大胆柄だ。とはいえ、全会場のサリーの中では、上品な部類に入る。
と思っていたが、こうしてみると、かなり派手だな。
金糸とブルー、ピンクの組み合わせが目新しく、欲しさ満点!
購入を考え、ぐるぐると身体に巻いて、試着してみたのだが……。どうにも、柄に負けてしまう。
マラヤーラム語(隣接するケララ州の言語)の新聞社が取材に来ていて、インタビューされたのだった。
この新聞は、昨日の午後、ケララ・アーユルヴェーダ診療所を訪れた際、受付の兄さんから、
「あ、新聞に出てたよ!」
と、見せられたのだった。
とっててくれてありがとう。でも、全然読めません。
「○○ルピーのサリーを買ったって、書いてあるよ!」と、夫の前で屈託なく言う兄さん。
お願い。そこのところだけ、訳さないで!
ってか、試着はしたけど、買ったなんて言ってないのに、いい加減な記者である。
そんなわけで、二番目に気に入ったサリーを着てみたところ……。
店のお兄さん、通りがかりのおばさん2名、満場一致でこちらの方が似合うと言われた。
確かに自分でも、そう思った。
以前も幾度となく書いたが、このような展示会には、鏡があまり置かれていない。
インドの女性たちは、鏡がなくても、自分が欲しいものを、スタッと決められる。それがクールすぎる。
だが、わたしは何年たっても、鏡で確認しなければ、イメージが掴めない。だから、店のお兄さんと一緒に、サリーを抱えて、鏡のある場所までいちいち足を運ぶのである。
それから、数名の読者から、これまで受けていた指摘について、まとめてコメントしておく。
●サリーの丈は、床にぎりぎりが基本
サリーは床ぎりぎりの長さで着るのが美しいとされている。それがスタンダードだ。わかっちゃいるが、わたしは少々、短めに着ることが多い。
その写真を見て、「短いのでは?」と指摘されるのだが(よく見ていらっしゃる)、歩きにくい、踊りにくい、裾が汚れやすい、などの理由から、若干短めにしている。
わたしが片足を前に出して立つ癖があるのも、足先が裾からのぞいて、ことさら丈が短く見える理由かもしれない。
サリーを着る際は、パーティなどへの出席が多い。食事はブッフェが一般的。歩き回って挨拶をし、果ては踊る。というわけで、やや短めにすることが多い。
自分のことはさておき、裾は床にぎりぎりで着用をお勧めします。
なお、装飾の多いサンダルを履くと、裾にひっかかりやすいので、ご注意を。
●サリー着用法は、さまざまにある
サリーは、実にさまざまな着方がある。上記のように肩でプリーツを作るものなど一般的な着用法以外にも、あれこれと。
ただ、それを説明するのは面倒なので割愛。
わたしは、パルーの部分を折り曲げない着方が好きなので、たいていそれだ。なにしろ、折り曲げるよりも簡単に着られるし、歩くときに、ひらひらとたなびくのがいい。
肩にプリーツを作ると、腹部の贅肉が露出するが、この着方だとお腹が隠れるのもよい。
最初のころは、食事の際などに不便だと思っていたが、慣れればどうということはない。
●サリーは、スリムな人にも似合います。
わたしがツイッターに、とある事情をして
「あらゆる角度からの、自分の胴体の太さに愕然! 日本人離れした厚み!! ある程度の太さが必要なインドのサリーが似合うわけだ。」
と記した途端、「サリーは細い人でも似合うと思う」とのコメントが発せられた。
「細い人は、似合わない」とは言っていない。
細い人にもよく似合う、とも、これまで書いてきた。
ただ、身体に厚みがある女性が圧倒的に多いインドにあって、その国民服がその体型や肌色に沿ってデザインされているものが多数なのも事実。
日本の既製服が入るスリムなインド人女性をして、「ある程度の細さが必要な日本の服が似合うわけだ」と言っているようなものである。
わざわざ釈明するのも哀しいが、「細い人たちに似合うサリー探し」に尽力してきたにも関わらず、誤解をうけやすい表現をして、いちいち突っ込まれてたんじゃ洒落にならんので、一応書いておく。

インドのテキスタイルについては、これまでも「惜しみなく」写真や情報を掲載している。
まだ未完成すぎるが、ホームページにも特別に項目を設けて、過去のブログにもリンクできるようしているので、インドのテキスタイルにご興味のある方、ご覧いただければと思う。
■伝統工芸の粋。サリー、テキスタイル世界(←Click!)












































































































































































