不易流行 〜インドのファッション&ビューティ〜

FASHION & BEAUTY in INDIA/インドの多様性を映す民族衣装サリー情報をはじめ、昨今のファッションやジュエリー、コスメティクスのトレンドをご紹介。

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    米国在住時代のわたしは、ジュエリーにさほど関心がありませんでした。

    指輪と、そして夫の亡母の形見であるバングルは日常的に身につけていましたが、ネックレス類は肩が凝ると思い込んでいたので、「ハレの日」以外にはほとんど使いませんでした。

    そんなわたしが、インド移住を目前にして、ピアスホールを空けました。

    夫の家族からもらっていたイアリング(ピアス)を身につけたいということもありましたが、インドに住めば、間違いなくジュエリーの虜になるであろうとの予感があったからです。

    インドはジュエリー王国。金、銀、天然石、真珠……と、人々は日常的に宝飾品を身につけています。激しくも大振りなジュエリーが、ごくごく普通に店頭にディスプレイされているのです。

    インド移住当初は、シルヴァーとセミプレシャス・ストーン(半貴石)の組み合わせのジュエリーの安さに、衝動買いを連発していましたが、最近は、身につけていて「心地が良い」と感じる品質のよいものを、少しずつ買い求めるようになりました。

    今後は、インドのジュエリー事情を何度かに分けてご説明するとともに、わたしが気に入っているジュエリーについても、少しずつ、ご紹介しようと思います。

    さて、上の写真の指輪。わたしの左手の中指に、いつもおさまっている指輪です。ムンバイにあるホテルのジュエリーショップで見つけました。

    「なに? この派手な指輪は?」

    と思われることでしょう。マルチカラーと呼ぶには洗練されていなさすぎる色遣い。事情を知らなければ、欲しいとは思わなかったであろうこの指輪。事情を知ると、これがついつい、欲しくなってしまうのです。

    この9つの石は、ナヴラトナ・ストーンズ (Navratna Stones)、あるいはナブラタン・ストーンズ (Navratan Stones) と呼ばれるもの。

    インドで古くから親しまれてきたこのナヴラトナ・ストーンズは、太陽及び太陽系の惑星(プラス恒星)を表していて、幸運を招くと言われています。

    ナヴラトナ・ストーンズのことは、インド移住当初に知ったのですが、大振りなペンダントヘッドや、首に激しく負担がかかりそうな巨大なネックレスとして売られていることが多く、「欲しい」と思えるものが見つかりませんでした。

    ところがこのときは違いました。この小さめでかわいらしいデザインの指輪をショーウィンドーに見つけた瞬間、店内に吸い込まれました。試してみれば、わたしの指にぴったりサイズです。これを買わずにはいられましょうか。いや、いられません。

    ところでインド占星術では、出生データから9つの星の状態を調べ、自身に見合った宝石を選び、身に付けることを勧めています。それぞれの石にヒーリング効果があり、自分にふさわしい石を着用することで運気を高めるというのです。

    つまりは、自分に合う一つを選べばいいわけで、9つ全部を身につけることもないのですが、なんとなく「太陽系ひとまとめ」というダイナミックなコンセプトにひかれました。

    ナヴラトナの9つの石の構成や、星との関連性は、文献によって若干異なるのですが、わたしが購入した指輪の構成をもとにご紹介します。中央から時計回りに、

    ・ルビー(太陽)
    ・ダイヤモンド(金星)
    ・ヘソナイト(RAHU)
    ・真珠(月)
    ・珊瑚(火星)
    ・ブルーサファイア(土星)
    ・キャッツアイ(KETU)
    ・イエローサファイア(木星)
    ・エメラルド(水星)

    という構成です。RAHU/ KETUというのは、日食や月食に関連する言葉で、神話に登場する神の名としても知られています。

    この指輪を購入したのは今から1年半前、二都市生活を始める直前でした。当時、わたしたちはムンバイでのアパートメントを探し始めていたのですが、この都市の不動産の著しい高さとクオリティの著しい低さに打ちのめされていたところでした。

    ところが! 指輪を購入してまもなく、思いがけず良好な物件が見つかり、入居が決まったのです。わたしにとってはたちまち「幸運を招く指輪」と化しました。夫は「偶然に決まってるじゃない」と言い張りますが。まあ、確かに偶然だとは思いますが……。

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    上の写真は、まだ引っ越しをする前の、ムンバイ宅の一隅です。明るい日差しが降り注ぐダイニングルームに、ガネイシャ像が飾られていて、「ここはいい物件!」と直感しました。

    バンガロール本宅と、このムンバイのアパートメントを行き来しながらの日々も、しかしまもなく終わります。実は来週、このムンバイ宅を引き払い、一旦バンガロール一都市生活に戻るのです。

    とはいえ、夫の仕事の都合によって、また近々ムンバイ、もしくは他都市での二都市生活が始まる可能性大ですが、ともあれ、この家とはお別れです。

    今、ムンバイでの暮らしを反芻しつつ、少しずつ、引っ越しの準備をしているところです。

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    上の繊細な刺繍。これはコルカタ(カルカッタ)製のサリーで、シフォン地に「フレンチ・ノット (French knot) 」と呼ばれる技法で刺繍が施されています。テキスタイル王国インドでは、このような手工芸品が健在で、折に触れ見事な職人技を目にすることができます。

    さて、下の写真はムンバイ宅の窓から眺めるワールドトレードセンターです。ここでは、しばしば多彩なジャンルの展示会が行われているため、近所へ買い物に行くついでに、時々立ち寄ります。

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    この週末は、インド新聞社大手が主催する “ETHNIC FASHION VILLAGE 2009” が開催されていましたので、足を運んでみました。

    衣類や絵画、インテリア小物、ジュエリー、ベッドリネン、家庭用品など、多岐に亘るジャンルのブースが広大な展示場に並んでいます。

    いずれもインド各地から、商人や職人たちが直接訪れ販売をしていることから、値段も卸値に近く、また都市部の店頭ではなかなか見つけられないこともあり、買い物をするつもりがなくても、ついつい引き込まれてしまいます。

    今日はあまり時間もないし、ざっと見て回るだけ……と思っていたのですが、いくつか気になるブースを見つけたので、それらをここでご紹介します。ちなみにブースは100店近くもあるため、ゆっくり見て回ったなら、何時間もかかります。

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    下の写真は、ラジャスターン地方の衣料店で見つけたトップ。ややGIRLYかとも思いましたが、試着してみたところ、意外と似合った(ような気がする)ので、購入。アイロン不要、絞るように巻き、折り曲げてコンパクトに収納できるので、旅行にも便利です。

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    わたしが買い物をしていると、母子連れがやってきました。母親が小さなパーティ用のポーチを手に取って、娘に聞いています。

    「ねえ、これどうかしら。かわいいと思わない?」

    「お母さん、またぁ? そんなバッグ、100個ぐらい持ってるじゃないの」

    「え、こんなデザインのは持ってないわよ。これ、すてきだわ〜」

    「お母さん、それ買っても絶対使わないに決まってるんだから!」

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    娘に喝破され、苦笑いをするお母さん。娘がお母さんの衝動買いの、よいブレーキ役になっているようです。微笑ましい二人でした。

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    こちらは、コルカタで刺繍製品を製造販売している店のブース。この店の刺繍のクオリティはかなり高く、サリーやサルワール・カミーズ(トップとボトム、スカーフの3点セット)のマテリアルなどがカラフルに展示されています。

    下の写真は、サルワール・カミーズのマテリアル。こちらもすべて、手刺繍です。このマテリアルをテイラーに持って行き、自分のサイズに合わせて縫製してもらいます。インドではこのようなテイラーメイドが一般的で、自分にぴったりの服を気軽に作れるのが魅力です。

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    下の写真は、ラジャスターン州のジョドプールという都市から訪れたというアーティスト。彼の一家はみなこのビジネスをしており、彼自身、絵を描くとともに、こうして展示即売会の営業にも訪れているとのこと。

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    ヒンドゥー教の神々や、古(いにしえ)のマハラジャ、マラハニなどをモチーフとしたきらびやかな作品。アーティストから直接、絵の描き方などを尋ねるのは、とても興味深いものです。

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    さて、こちらはアーユルヴェーダ発祥の地として知られるケララ州の、ハーバル・プロダクツの店。以前、どこかのブティックで見つけて買ったものの、以来目にすることのなかった良質の石けんを見つけました。

    ヤシの葉を乾燥・成型して作られたエコロジカルなパッケージ入りのこの石けん。ココナツオイルやニーム、トゥルシ、ターメリックといった、インドならではのお肌によいハーブが配合されています。3種類ほどあったので、それぞれ購入しました。

    インドでは、アーユルヴェーダの処方に基づく、天然素材の石けんがあちこちで手に入るので、気に入ったものは、身体だけでなく、洗顔にも利用しています。

    1個100円程度。先進国基準で考えると、本当にリーズナブルです。

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    パッケージはあやしいとはいえ、やはりハーブのシャンプーやモイスチャライザーなどもありますので、適当に見繕って購入。それから、マイソールというサンダルウッド(白檀)で有名な都市で作られた、サンダルウッドのお香も買いました。

    石けん、シャンプ、お香と、あれこれとたっぷり買って1000円程度。インド生活の醍醐味です。天然素材の石けんなどは、肌のトラブルがある人にもやさしく、日本へのお土産にもとても喜ばれるので、いい商品を見かけた時にはまとめ買いをしておきます。

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    その他、ジュエリーやサンダル、ハンドバッグなどさまざまな店がありましたが、きりがありませんので、今日はこの辺にしておきます。

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    年に数回、調査の仕事などのため、大量の雑誌を購入します。そのたびに、購入すべき雑誌が増えています。というのも、高度経済成長中のインドは、出版業界もまた、成長の過程にあるからです。

    4、5年前までは、女性誌と言えばインド国内の出版社による、紙や印刷技術の質が低いものが主流だったのですが、ここ数年のうちに海外女性誌の「インド版」が次々に創刊。先進国の雑誌に勝るとも劣らぬクオリティです。

    インドは地方によって言語が異なりますので、地方別にそれぞれの言語による雑誌がありますが、英語の雑誌は全国で販売されています。

    さて、今日は買い集めた雑誌から、何冊かをピックアップして紹介します。まず上の大きな写真。インド版のVOGUE、MARIE CLARE、COSMOPOLITAN、ELLE、GRAZIAです。

    表紙のモデルは、ELLE以外はインド人女性で、人気の映画女優も見られます。彼女らに共通している特徴にお気づきでしょうか? そう。暑苦しいほどの黒髪。そして白めの肌。

    地方ごとに差異があるにせよ、全般に肌色の濃い人が多いインドでは、白い肌が美の条件となっています。インド的美白については、今後少しずつ触れるとして、髪。

    最近でこそ、カラーリングや短めのヘアスタイルを楽しむ女性たちが増え始めていますが、それでも「黒く艶やかな長い髪」は、美の基本的な条件です。

    インド人女性の多くは、髪にコシがあり、髪の量が非常に多く、通学途中の少女たちの三つ編みですら、「しめ縄」状態です。あの小さな頭に、どうやったらあんなに髪の毛が生えてくるのだろうかと感心するほど。

    ブンブンと振り回したら凶器にすらなりそうな勢いです。

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    さて、こちらはインドの女性誌。中でも右端のFEMINAは、1959年創刊、今年で50周年を迎えた最も有名な女性誌です。間違ってヒンディー語版を買ってしまったため読めません。英語を読めるか否かで、読者層が異なることから、英語版とは誌面の構成や広告の内容なども若干異なります。

    下の写真は、50周年記念特集から。1960年代の表紙の一覧です。ファッション、ヘアスタイル、表情、背景……いずれも時代を感じさせます。

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    ところでインドは、今、結婚式のシーズン。毎年、年末近くになると、ホテルのバンケットルームやガーデン、あるいは市井の結婚式場で、きらびやかな結婚式の様子を見ることができます。

    ウェディング専門誌(下の写真)が出回るほか、ウェディング特集を組む雑誌も少なくありません。

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    表紙を見ていただくだけで、インドの花嫁がいかに派手に着飾るか、予想がつくかと思います。インドの花嫁は、金糸銀糸もあでやかに、赤やピンク、オレンジ、黄色といった暖色系の民族衣裳に身を包み、「これでもか!」というくらいに宝飾品をつけます。

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    これはMARIE CLAREのウェディング・ファッション特集。着飾るのは、花嫁だけではありません。花嫁の友人たちも華やかに着飾るのが常ですから、編集側も、「花嫁と花嫁の友だちのためのファッション」と称して、おすすめのアイテムを提案しています。ちなみにインドでは「白」は喪服の色ですから、ハレの日には着ません。黒もあまり好まれません。しかし最近では、白地や黒地に刺繍などを施し「派手化したもの」は、見られるようになってきました。

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    こちらは、VOGUEのウェディング・ファッション。普段は欧米のテイストが効いた、比較的落ち着いた紙面構成のVOGUEですが、結婚となると話は別。写真が小さくてわかりづらいかと思いますが、衣類のほとんどが、刺繍やスパンコール、カラフルな石などが埋め込まれた、どっしりと重量感あるものです。

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    こちらもVOGUE。インドのジュエリーは大振りが基本です。右端のイアリングなど「シャンデリア?」と思うようなデザインです。実際、商品名は「ザ・シャンデリア・イアリング」でした。指輪やバングルも、存在感ありすぎ、です。ちなみにこれらの石はすべて「本物」の貴石、もしくは半貴石。ガラスやプラスティックではありませんので、念のため。

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    インドの結婚式イヴェントは数日に分けて行われます。従っては、花嫁の衣裳も目的に応じて毎日変わります。左は、結婚式の儀式の際の伝統的なファッションの例。右は披露宴の際のシンプルなファッションの例が挙げられています……と思ったら、ファッションではなく「メイクアップのアドヴァイス」のページでした。メイクよりもジュエリーに目がいきますよね。

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    まるでミュージアムの古代出土品コーナーに展示されていそうな首輪。ではなくて、ネックレスですね。度肝を抜かれます。このようなデザインはインドの伝統的な装飾品で、研磨されていないダイヤモンドが埋め込まれています。グリーンはエメラルドです。それにしても、肩が凝りそう……。

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    こちらは、「セクシーな花嫁」と称された特集ですが、セクシーというよりは、鼻輪をどこかにひっかけそうで、気が気ではありません。

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    あまりにも、耳への負担が大きすぎるイアリング。イアリングを落とすことよりも、耳がちぎれそうで心配です。

    インドのファッション。派手できらびやか、加えて体力勝負だということが、おわかりいただけたでしょうか。

    今後少しずつ、インドのファッションやジュエリーなどについてもピックアップしていく予定ですが、まずはインドのスタンダードを理解していただきたいと思い、派手の断片をご紹介しました。

    わたしは、普段インドで、激しく大振りなジュエリーを見慣れているので、日本に帰国した折、ジュエリーショップに立ち寄ると、すべてが上品にも小さすぎて物足りなく感じます。

    小振りのジュエリーにはめ込まれた石など、「肉眼では見えない」とさえ思ってしまいます。大げさですね。失礼しました。

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    満月だか夕日だかを背景に、舞い飛ぶ鶴の群れ……。まるでタペストリーのようですが、これはサリーです。絵柄の全体像を確認したく、バンガロール宅の玄関ホールに吊るしてみたところです。

    このサリーは、インドでもモダンなデザイナーズサリーを手がけるSATYA PAULというブランドのもの。

    コンピュータグラフィックによるデザインのサリーは、抽象絵画のようなモチーフのものが多く、個人的にはあまり好きではなかったのですが、このサリーは別でした。

    ショーウインドーに掲げられているのを見て、店内に吸い込まれるように入り、つい衝動買いをした一枚です。東洋的な絵柄にひかれました。

    インドのサリーは手工芸品が多いことから、「一点もの」であることが多いため、気に入ったら買っておかねば、同じものは二度と手に入りません。

    とはいえ、そうそう衝動買いなどしていられませんから、自分自身の審美眼を養うこと、そして「本当にこれは必要なのか」ということを、即座に判断できる力を備える必要があります。

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    さて、これはサリー3点セット。ブラウスのデザインは自分で好みのスタイルにできます。基本は半袖ですが、最近はフレンチスリーブやスリーブレスも人気です。ブラウスはピシッと身体にフィットさせます。さもなくば、サリーが着崩れてしまうのです。

    ぱっつんぱっつんを着ている人もいて、よく苦しくないものだと感心します。ペチコートはサリーの色に合わせた木綿のシンプルなもの。ぐるぐると腰回りに巻き付け、プリーツを寄せるときの「ひっかけ」として不可欠な存在です。

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    サリーは着物よりも簡単に着られるとはいえ、インドでのパーティは、飲んで食べて踊ってと賑やか。着崩れてしまうこともあるので、出かける前にあらかじめ記念撮影をしておきます。

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    裾のあたりから、胸の方に向かって鶴が舞い飛んで行くようにデザインされています。立体感のある見事な仕上がりです。

    タペストリーのようなサリーと言えば、一昨日、ムンバイで有名な老舗サリー店、KALA NIKETANに赴いたところ、まさにタペストリーのようなサリーを見つけました。

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    ムンバイに居住者の多いパルシー(ゾロアスター教徒)の伝統的な手工芸品とのこと。

    「次の世代にも引き継げる逸品ですよ」

    と店の人に勧められましたが、あまりの重厚感に、衣服の概念を超越しています。

    ちなみにこれは、一人の職人が7〜8カ月かけて作り上げたものだとか。艶やかな刺繍糸で丁寧に作られた、実にすばらしい芸術品です。

    せっかくなので、試着をさせてもらいましたが、カーテンだかテーブルクロスだかを巻き付けているようで、似合う似合わない以前に、変でした。これを着てどこへいくのだという話です。

    サリーではなく、まさにタペストリーとして壁に飾りたい一枚でした。

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    約5メートルの一枚布を巧みに身体に巻き付けて着こなす、シンプルながらも華やかなインドの民族衣裳、サリー。

    絹や綿など布の種類にはじまり、織り、 染め、 刺繍、紋様など、産地や品質によって無限とも思える選択肢があるサリーは、インドの多様性を象徴するような衣類です。

    たとえば同じ絹でも、柔らかいもの、滑らかなもの、光沢のあるもの、粗いものなど、数多くの種類があり、値段もピンからきりまで。

    パーティや結婚式用の豪奢なサリーは、ぎっしりと石やビーズが埋め込まれていて、驚くほどの重量感ときらびやかさ。着こなすのは体力勝負です。

    最近では、富裕層や中流層を中心に洋装が定着し、サリーを「ハレの日」にしか着用しない人たちが増えていますが、一方で、モダンな「デザイナーズ・サリー」も誕生するなど、新たなサリーの世界が展開されています。

    サリーは5メートルの1枚布と、ブラウス、ペチコートの3点セットで着用します。ペチコートやブラウスはサリーの色柄とコーディネートして、自分のサイズに合わせてあつらえます。

    ブラウスのための布は、サリーの布に「共布(ともぎれ)」として付いてくることもあれば、そうでないものもあります。共布がない場合は、自分でテキスタイルショップへ行き、好みの布を選んで合わせます。

    下の写真は、バンガロールのテキスタイルショップ。黄色い柄のサリーに合わせてブラウスの布を探しに行ったのですが、同じ黄色でもさまざまにあり、自分の望む黄色がどれなのか、なかなか見分けがつきません。

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    店内の電灯の下では、色が識別しにくいこともあるので、店の外に持ち出して自然光で見比べてみたりと、布の色を選ぶときにはなかなかのエネルギーを要します。

    インドのテキスタイルに触れ合うとき、無数の黄色、無数の赤、無数の緑、無数の青……と、色の海に漂うかのような心持ちにさせられます。

    わたしは折に触れ、サリー専門店を訪れたり、あるいは各地の工芸展フェアなどに足を運んでは、地方地方の職人たちが丹精を込めて手作りをした芸術品ともいえる布製品に接します。その産地や種類を覚えたいのですが、あまりに種類が多くてなかなか覚えられません。

    さて、今日は「昔ながらのサリー店」の様子を、写真を通してご紹介しようと思います。

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    バンガロールのサリー店にて。ここは工場を併設していて、布を織る音が聞こえてきます。大きなマットが敷き詰められた店内の一画に上がり込み、店の人が次々に広げてくれるサリーを羽織っては鏡に映し、あれでもない、これでもないと、品定めをします。

    インドの女性たちは、棚を見ながら的確に、「それを見せて!」「これはどう?」などと指示をするのが見事です。わたしはといえば、少しずつ慣れてはきたものの、未だ色の海に目が泳いでしまい、なかなか焦点が定まりません。

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    昨年、チェンナイ出張の折に立ち寄ったサリー専門店。チェンナイはデリーやムンバイ、バンガロールなどの都市に比べると比較的コンサバティヴで、サリーを着た女性を多く見かけます。ヘアスタイルも昔ながらのロングに三つ編み、激しく豊満な女性が多いのも特長です。

    ところでインドの女性は、足を隠す一方、腹部は平気で露出します。サリーとブラウスの間から力士並みの二段腹、三段腹をのぞかせている人もいて強烈です。

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    こちらはコルカタ(旧カルカッタ)のサリー専門店。コルカタもやはり、他都市に比べると昔ながらの面影を濃厚に残す都市。このときは、バナラシ・シルクのサリーやカンタ刺繍のストールを購入しました。

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    ムンバイ宅の向かいにはワールドトレードセンターがあり、しばしばテキスタイルフェアをやっています。これはインド全国各地から、50を超える生産者が一堂に会して展示即売会を行っていたときの写真。品質の高いものを卸値で買えるのも魅力ですが、各地の商人や職人の話をするのも楽しいものです。

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    こちらもテキスタイルフェアの様子。絞りのサリーの専門店です。フェアの期間、家族、親戚がそろって北インドから、ムンバイへ来ているとのこと。子供たちも店の手伝いをしています。英語ができない母親にかわって、わたしに商品の説明をしてくれました。

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    約5メートルの一枚布を巧みに身体に巻き付けて着こなす、シンプルながらも華やかなインドの民族衣裳、サリー。

    絹や綿など布の種類にはじまり、織り、 染め、 刺繍、紋様など、産地や品質によって無限とも思える選択肢があるサリーは、インドの多様性を象徴するような衣類です。

    たとえば同じ絹でも、柔らかいもの、滑らかなもの、光沢のあるもの、粗いものなど、数多くの種類があり、値段もピンからきりまで。

    パーティや結婚式用の豪奢なサリーは、ぎっしりと石やビーズが埋め込まれていて、驚くほどの重量感ときらびやかさ。着こなすのは体力勝負です。

    最近では、富裕層や中流層を中心に洋装が定着し、サリーを「ハレの日」にしか着用しない人たちが増えていますが、一方で、モダンな「デザイナーズ・サリー」も誕生するなど、新たなサリーの世界が展開されています。

    サリーは5メートルの1枚布と、ブラウス、ペチコートの3点セットで着用します。ペチコートやブラウスはサリーの色柄とコーディネートして、自分のサイズに合わせてあつらえます。

    ブラウスのための布は、サリーの布に「共布(ともぎれ)」として付いてくることもあれば、そうでないものもあります。共布がない場合は、自分でテキスタイルショップへ行き、好みの布を選んで合わせます。

    下の写真は、バンガロールのテキスタイルショップ。黄色い柄のサリーに合わせてブラウスの布を探しに行ったのですが、同じ黄色でもさまざまにあり、自分の望む黄色がどれなのか、なかなか見分けがつきません。

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    店内の電灯の下では、色が識別しにくいこともあるので、店の外に持ち出して自然光で見比べてみたりと、布の色を選ぶときにはなかなかのエネルギーを要します。

    インドのテキスタイルに触れ合うとき、無数の黄色、無数の赤、無数の緑、無数の青……と、色の海に漂うかのような心持ちにさせられます。

    わたしは折に触れ、サリー専門店を訪れたり、あるいは各地の工芸展フェアなどに足を運んでは、地方地方の職人たちが丹精を込めて手作りをした芸術品ともいえる布製品に接します。その産地や種類を覚えたいのですが、あまりに種類が多くてなかなか覚えられません。

    さて、今日は「昔ながらのサリー店」の様子を、写真を通してご紹介しようと思います。

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    バンガロールのサリー店にて。ここは工場を併設していて、布を織る音が聞こえてきます。大きなマットが敷き詰められた店内の一画に上がり込み、店の人が次々に広げてくれるサリーを羽織っては鏡に映し、あれでもない、これでもないと、品定めをします。

    インドの女性たちは、棚を見ながら的確に、「それを見せて!」「これはどう?」などと指示をするのが見事です。わたしはといえば、少しずつ慣れてはきたものの、未だ色の海に目が泳いでしまい、なかなか焦点が定まりません。

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    以前、チェンナイ出張の折に立ち寄ったサリー専門店。チェンナイはデリーやムンバイ、バンガロールなどの都市に比べると比較的コンサバティヴで、サリーを着た女性を多く見かけます。ヘアスタイルも昔ながらのロングに三つ編み、激しく豊満な女性が多いのも特長です。

    ところでインドの女性は、足を隠す一方、腹部は平気で露出します。サリーとブラウスの間から力士並みの二段腹、三段腹をのぞかせている人もいて強烈です。

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    こちらはコルカタ(旧カルカッタ)のサリー専門店。コルカタもやはり、他都市に比べると昔ながらの面影を濃厚に残す都市。このときは、バナラシ・シルクのサリーやカンタ刺繍のストールを購入しました。

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    ムンバイ宅の向かいにはワールドトレードセンターがあり、しばしばテキスタイルフェアをやっています。これはインド全国各地から、50を超える生産者が一堂に会して展示即売会を行っていたときの写真。品質の高いものを卸値で買えるのも魅力ですが、各地の商人や職人の話をするのも楽しいものです。

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    こちらもテキスタイルフェアの様子。絞りのサリーの専門店です。フェアの期間、家族、親戚がそろって北インドから、ムンバイへ来ているとのこと。子供たちも店の手伝いをしています。英語ができない母親にかわって、わたしに商品の説明をしてくれました。

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    今朝、どなたかRKBラジオを聴いてくださっただろうか。収録時、電話線を通してしかし、日本の空気は伝わってこない。ムンバイが、強烈すぎる。

    インターネットを見れば、「鍋」とか「クリスマスツリー」といったキーワードが見える日本のニュース。しかし、ムンバイは、今日も暑い。年中飽きもせず暑い。日本とは、まるで異次元の世界である。

    さて、昨日はユカコさんと「南ムンバイツアー」に繰り出したのだった。北ムンバイ在住の彼女は南を巡る機会があまりなく、わたしはといえば、立ち去る前にあちこち訪れておきたいところもあり、案内を兼ねてのツアーである。

    まずはクロフフォードマーケット近くのテキスタイルショップへ。彼女もわたしも、粗い質感がいいロウシルクのマテリアルを色違いで購入した。

    それぞれ、どんなデザインの、どんな洋服に仕上がるのか楽しみだ。

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    その後はクロフォードマーケットへ。相変わらずの喧噪の界隈を通り抜け、新鮮な野菜や果物からいくつかを選び、購入。

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    ところで右上の写真。一番上はうずら。一番下は七面鳥。サンクスギヴィングデーが間近の今、この七面鳥は食用か、と思いきや、どれもペットらしい。それにしても、紛らわしい。

    うずらなど、こじゃれたフレンチにでも使えそうである。うずらといえば、映画『赤い薔薇ソースの伝説』を思い出す。ストーリーはさておき、料理のシーンが見事だった。あの映画、また見てみたいものだ。

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    その後、食べ比べの結果、わたしが最も気に入っているグジャラート・ターリーの店、SAMRATへ。ユカコさん、店内に入り、注文して、しかしまだ料理を食べていないうちから、においのよさを気に入って、

    「わたし、またここに来ます!」

    と宣言していた。いつもながら、料理はおいしい。甘みと辛みが濃厚な、独特の味わい。どうやって作るのかわからない感じがまた、魅惑的。

    今度はビルとジェイクをつれて、ぜひ来てね。

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    食後は、サリー専門店が立ち並ぶ界隈へ。中でも豊富な品揃えを誇るKALA NIKETANへ。わたしもこの店に訪れるのは久しぶりのことで、久しぶりにその品数の多さに圧倒される思いだ。

    サリー以外にも、洋服用のマテリアルも豊富。もっと早い時期に来て、ここで常々生地を買い、テイラーで仕立てればよかったと、今更ながら思いつつ、布の海に目が泳ぐ。

    布を選び始めるときりがないので、今日は見学にとどめ、その後、オベロイ・ショッピングセンターへ。ここでもジュエリーや工芸品店をのぞき、最後にタージ・マハル・パレスへ。

    スワロフスキーのクリスタルが鏤められた派手なサンダルを見たり、土産物に好適なインド高級雑貨店を覗いたり、ジュエリーショップであれこれと眺めたりしているうちにも、瞬く間に時間は過ぎる。

    インド。ポイントを絞って巡れば、物欲を刺激するすてきなショッピングポイントがたくさんなのだ。なにしろ、インドらしいもの、質が高いもの、手作りの味わいがあるもの、しかしお手頃なもの……といった商品が多いのが魅力。

    何が必要なのかをきちんと考えてのぞまなければ、あれこれと衝動買いしそうで危険である。それにしても、久しぶりにあちこちを一気に巡れて、とても充実したいい一日だった。

    camera

    さて、本日。今朝は9時に家を出て、チャーチゲートとマリンラインの駅に向かう。今月の西日本新聞『激変するインド』の記事に添える写真の撮影が目的だ。

    ムンバイの通勤電車の描写を織り込んだので、ドアから溢れ出て通勤している人たちの様子を撮影しようと思うのだが、これが写真にすると、今ひとつ迫力が伝わらない。

    18station01 18station03

    ホームで人の波に逆らいながら、ときにベンチの上に立ち、ときにホームの反対側から、ときに階段の上からと、二つの駅にて、あちこちのアングルから撮影してみたのだが、難しかった。

    女性たちの衣服のカラフルさがきれいだったが、モノクロ写真なのでそのあたりが伝わらないのも残念。東京とは別の意味で、迫力満点なのだが……。東京とは別の意味で、体力&精神力を要するムンバイ通勤電車である。

    ところで気になったのが、右上の写真。身体障害者専用車両というのはわかるが、それに加えてキャンサーの人(癌患者)専用の車両とも記されているのが興味深い。しかもそのマークがカニ。

    カニ座を英語でキャンサーというが、がん患者とカニとの間に関係があるのだろうか。なにがなんだか、よくわからない。インドだもの。

    cancer

    さて、汗だくでの撮影を終え、帰路。うっかり昨日のKALA NIKETANの前を通りかかる。10時過ぎだから、まだ開いていないだろうと思いきや、開いていた。せっかくだから、じっくりとサリーを見て行こうと店内へ。

    開店間際でまだスタッフも揃っておらず、もちろんお客もいない。静かな店内をゆっくりと見回しつつ歩く。こんな色の海の中から、自分の好みのサリーを的確に選び出せるインド人女性たちの審美眼には、本当に敬服する。

    生まれたときから豊かな色に包まれているがゆえの、結果だろうか。富める女性も、貧しき女性も、その質は異なれど、華やかな色に対する積極的な姿勢はかわらない。自分に似合う好みの色柄を、きちんと把握している。

    見事なものだと、つくづく思う。

    18sari01
    この上の写真はサリー。今日見つけた中で、最も印象的だった一枚。サリーというよりは最早タペストリー。これ着てどこに行くよ。と突っ込まざるを得ない重厚感だ。

    これはパルシー(ゾロアスター教徒)の伝統的なワークらしい。この店がデザインを発注し、グジャラート州の職人村で作られたものとのこと。1枚のサリーを、一人の職人が7〜8カ月かけて仕上げるのだという。

    左下の写真がその拡大。透かしのようなシルクに、細かな刺繍が施されている。結構な質感だ。

    「これは次の世代にも引き継げる逸品です」

    とのこと。それはよくわかる。思えば以前、INDUSのサリー説明会で、パルシーの女性が祖母から受け継いだアンティークのテキスタイルを参考資料として持って来てくれていた。

    この時の写真の、一番右下の赤い布がそれであった。

    彼女曰く、本当はボーダーがきれいなサリーだったらしいが、祖母の背が低く、一部を大幅に切ってしまったとのこと。もったいないことよね、と笑いながら話していたのを思い出す。

    質のいいサリーは、ジュエリー同様、祖母か母、母から娘へと引き継がれる家族の絆の象徴である。

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    右上のサリーも、パルシーの刺繍。色合いが微妙に難しいが、似合う人には似合うのだろう。

    18MIRROR 18sari04
    左上はミラーワークやビーズが施された「キラキラ系」。右上はバラナシ刺繍。買う買わないは別として、興味があるものを羽織ってみる。

    18sari06 店の人も、他にお客がいないので暇なのか、丁寧に対応してくれる。

    都合10枚ほどをあれこれと試した結果、左の2枚が、自分に似合う気がした。

    赤いサリーはパルシーもの。ボーダーの部分が手刺繍だ。

    赤と黒はこの店オリジナルデザイン。

    こうして見ると、なんだか変だが、着てみると妙に似合ったのだ。赤い方はさほど気負わずに着れる上品さがある。

    どっちにしようか迷う。店の人は、「どちらも買えばいいじゃないですか」と常套句を投げかける。しかし、どちらも欲しいかといえば、いや、それほどでもないような気がする。最後のところで「ピン」とこない。

    散々試した挙げ句ではあるが、

    「やっぱり今日はやめておきます。あなた方が勧めるパルシーワークは、まるでタペストリーで、芸術が歩いているみたいだし、一方この2枚のサリーはちょっと、物足りないし。中間ぐらいの値段と華やかさのものがあればいいのだけれど」

    そう言ったが早いが、お兄さん。

    「じゃ、これはどうですか?」

    と棚の下の方から取り出して見せてくれたそれがもう、ビンゴ!!

    一目見た途端、試す前から購入即決。感動的なほど、わたし好みの色柄デザインである。こういう一枚に出合えるということは、まさに「一期一会」である。これを買わずにいられようか。いや、いられまい。

    そもそも「洋服を買うこと」にさほど情熱がなかったわたしが、インドに来て以来、「お買い物好き。かも?」に変身しているところが、恐るべしインドである。なんのことやらである。

    どういうサリーであったかは、また後日ということで、ともあれ、サリー世界は毎度、奥が深い。

  • 06bread05

    ●日本的コーン&マヨネーズパンを焼いてみた。

    ムンバイ&バンガロール二都市生活も、残すところ約1カ月。来週には引っ越し業者に見積もりに来てもらう。

    ムンバイの家具は一時的にストレージルーム(倉庫)に保管しておくか、潤沢なスペースのあるデリー実家に送るか検討中。その他、不確定要素が多すぎて、考えるのも面倒なので、最早考えない。

    人生、瞬発力と柔軟性である。ぎりぎりでも、いかようにでも、対応しようじゃないか。

    といいながらも、今月は一度バンガロールに戻るべきか、いや、引っ越しまで滞在すべきか、などなど予定がなかなか定まらず、時にウォーッと叫びだしたくなる日々。

    そんな体力余剰の朝は、パンを捏ねるに限る。

    日本のレシピサイト(クックパッド)を見ていたら、急に「コーンマヨネーズパン」が食べたくなった。いかにも、日本的なお惣菜パン、である。

    日本のキューピーマヨネーズならある。あの懐かしい味を再現できるかもしれない。というわけで、今日は普通の小麦粉(MAIDA)を使ってのパン作りである。

    パン作りも4度目ともなると、捏ねるのがだいぶ、うまくなった気がする。

    それはそうと、ムンバイ宅には、オーヴン専用の温度計はおろか、計量カップもはかりもないため、すべて「適当」である。適当であるが、それなりに、できあがるところが、うれしいものである。

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    ベーキングシートがないため、幸いにもバンガロール宅から持って来ていたタルト皿を使うことにした。左上の写真は、二次発酵を終えたあとのようす。右上の写真は、焼く直前にマヨネーズを絞り、つや出しのための卵を生地に縫ったところ。

    「刷毛」すらないので、指先で塗ったが、問題はなかった。

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    ところで、これまでは米国のWHOLE FOODS MARKETでまとめ買いしていたオーガニックのドライイーストを使用していた。しかしこのドライイースト、かなりイーストの匂いがきつい。

    それはそれでよいのだが、インド産のドライイーストも試してみるべきだと思い立ち、先日購入していたインドものを使うことにした。左上の写真がそれである。

    粒が大きくて、これまで見たことのある顆粒状のものとは全く別物の印象だ。これでは粉と混ぜて捏ねることは不可能なので、ぬるま湯で溶かして使用した。

    匂いはほとんどなく、ちゃんと膨らんだので、むしろ米国産よりも使いやすいかもしれない。

    06bread00_2

    今日もまた、いい感じで焼けた。

    これがもしパン屋に並んでいたら、まったく気にも留めやしないだろうありふれた形状なのに、自分で作ったと思うと、どうしてこんなにも、かわいらしく見えるのだろう。

    焼きたてのほかほかを、食べる。主観的に言えば「おいしい!」のだが、客観的にいえば「ふう〜ん」という感じである。というのも、記憶の中のコーンマヨネーズパンに比して、味が物足りないのだ。

    マヨネーズを絞るときに「つけすぎないように」と気を遣ったのだが、なじみのあるマヨネーズ系のパンの味に比べると、具とマヨネーズが少なすぎた。

    コーンはたっぷり詰め込んだ気がしたのだが、どうも足りない。特にマヨネーズのしっとり感が少なく思われた。同時に、過去、日本の一般的なパン屋で購入していたパンが、いかにマヨネーズどっさりだったかを認識させられた。

    菓子作りをしていると、バターや砂糖の使用量の多さに気が遠くなりそうになるが、総菜パンの意外な重さを知るよい機会だった。

    食べても太らない体質だったら、力一杯マヨネーズを絞り出すところだったが、我慢したのだった。

    ●ご近所テイラー活躍。自分にぴったりの服があれこれ完成。

    05miho_5モデル気取りでポーズをとる女。

    それはわたしである。

    厚かましいのは承知だが、テイラーに出していたワンピースがいい感じででき上がったので、つい。

    先日、ショッッピングモールのカシミール地方な工芸品店で購入したサルワール・カミーズ用のマテリアル。

    本来ならばトップとパンツを作るところだが、シンプルなドレスにしてみたく、「自称デザイナー集団」のテイラー店の店主に口頭で指示。

    袖はフレンチスリーブ風に、丈は足首が少し見える程度、軽くフレアを入れて欲しいと頼んだ。更にはインド服では滅多に使用されない「ジッパー(ファスナー)」を背中につけてもらうことにした。

    ちなみにインドの女性は、従来足を見せることはタブーであったため、今でも足を出している人は少ない。最近でこそ若者がミニスカートを履くようになったが、膝丈ですら、かなり目を引く。

    加えてジッパー。インド女性が着ているサルワール・カミーズ。かなりボディにフィットしている。にもかかわらず、彼らはジッパーなしで脱ぎ着している。

    これまで、そんな柔軟なボディを持つインド女性を対象にした衣類を試着して、どれだけ泣きをみたことか。試着室で脱げなくなった服を破らないように脱ぐのに腕やら首の筋を痛めそうになったことは、一度や二度ではない。

    加えてインド人は頭が小さい人が多いせいか、頭が入らない服にも何度となく遭遇した

    その度に、「この服、首周りが小さすぎますよ」と、いかにも縫製上に問題があるかのように、店の人に文句を言っていたのだが、あるとき、自分の頭が大きいから入らなかったのだと気づいて、愕然とした

    そんな話はさておき、仮縫いの段階で試着したいと頼んだところ、

    「一気に仕上げます。襠を多めに取るので、着てみて不都合があれば、縫い直します」

    とのこと。翌日、試着にいったところ、案の定、胸のあたりが窮屈だ。そう。インドの女性は、サリーのブラウスにせよ、サルワール・カミーズのトップにせよ、胸囲全体をぱっつんぱっつんにしたがるのだ。

    胸がつぶれて見えるし、ゆとりがなくてむしろ太って見えるのだが、どうにもそれが永遠のトレンドらしい。

    従っては胸囲部分を1インチ広げてもらい、同時にユルユルに仕上がっていたウエスト部分を1インチ、詰めてもらった。さもなくば、マタニティドレス状になってしまう。

    31shop3そして翌日にはこの通り、我が身にぴったりのドレスができ上がった次第。

    ちなみに、先日も載せたが、左の写真が購入した店の店内である。

    わたしは左側の黒いマテリアルを3つ、購入した。

    左端は、日本の母のために買った。

    来年あたり、母がインドに来たときにテイラーで作ってもらおうと思っている。

    左から2番目がこのドレス。

    左から3番目は、インド的チュニックを作った。ちなみにマテリアルの写真も、この日の記録に載せている。

    05miho2_2右の写真がそれだ。

    素材は木綿なので着心地もよく、風通しがよいので暑い日でもOK。

    ちなみにこれは、一時期気に入ってよく着ていた既製のチュニックをそのままコピーしてもらった。

    『仰天ライフ』の番組内で、アガペ・チルドレンセンターに行く時に着ていた、あの縦縞のトップである。

    丈が長過ぎないので着心地が軽い。

    袖の長さも、鬱陶しくない程度の長さでちょうど良いのだ。

    ただ、襟元の処理が今ひとつなので、刺繍に沿ってカットするなど、後日自分で少し縫い直そうと思う。

    ミシンがないので、手縫いだが。

    05miho0さて、左の黒いシャツは、やはり既製品をコピーしてもらった。

    ブログ内でもしばしば着用して登場している、着心地がよくて気に入っているオレンジのシャツだ。

    前回、東京を訪れたときに、銀座の日比谷シャンテ1階で見つけた大きめサイズのシャツである。

    この店では、4、5年前に帰国したときも、大きめサイズのシャツを見つけて買った。

    欧州サイズで40とか42という日本の一般的なブティックではなかなか見ないサイズがあるのだ。

    ところで日本在住時代、つまり20代のころのわたしは、今より数キロ痩せていたので、11号とか13号の服が入っていた。それでもフリーサイズはとても入らなかった。

    しかし、現在のわたしは、米国在住時よりは数キロ痩せたとはいえ(つまり米国にいる間は、日本時代に比して6〜8キロ、増量していた)、日本では規格外である。

    身長は166センチある。が、昨今の日本、わたしくらいの身長の女性はゴロゴロしているはずにも関わらず、どうしてあんなに小さい服ばかりしか売っていないのだろう。世間のおデブ系な人たちは、どこで服を買っているのだろう。

    13号ですら着用が危ぶまれる身としては、日本においては「大きいサイズのコーナー」に行くしかなく、しかしそこは服の選択肢が限られている。

    従っては、日本に帰国した時に服を買うことはほとんどなく、インドに移住してからも、洋装は米国で調達してきた。米国であれば、6か8という米国の標準的なサイズがぴったりなので、選択肢が豊富なのだ。

    話がそれた。

    それたが、「この服、すてき!」と思っても、自分には入らないという経験を積んできた日本時代の自分を思い返すに、今、こうして自分にぴったりのサイズを作ってもらえることは、格別にうれしく思える。

    さて、この黒いシャツの生地は、アルヴィンドがスーツを仕立てたバンガロールのコマーシャルストリートにある紳士服店Prestigeで購入しておいたもの。伸縮性のあるコットンだ。

    仕上がりは、オリジナルに忠実で、実にいい感じで仕上がっている。ただし20センチ以内に近寄って細部を凝視すれば、ボタンホールのあたりや裏地の始末などの雑な仕上げに気がつく。

    しかし、世間は20センチ以内に近寄って細部を凝視しないだろうから、着心地がよければノープロブレムだ。

    そして最後は、ビジネス対応のシャツ。これはインドで購入したシャツをやはりコピーした。この布もまた、Prestigeで購入しておいたもの。

    オリジナルは、やはりこのブログでもしばしば着用して登場しているところの、青と赤のコンビネーションのシャツだ。この日着用しているのがそれである。

    05miho405miho12

    ストライプの縦横や、背中部分の切り替えなど、こちらが指示をしなくても適当にアレンジして仕上げてくれていた。

    微細に亘っては改善点も少なくないが、詰めていけば向上することは間違いない。などと言っている間もなく、来月にはここを離れる。

    もう少し早い時期に、あれこれ頼んでおくのだったと少々後悔。バンガロールにもいくつかのデザイナー的テイラーがあるのだが、こちらは真にデザイナーが営んでいるため、いずれもムンバイよりかなり高い。

    コマーシャルストリート界隈で、洋装に強いテイラーを、今後開拓したいと思う。

    camera

    ところで上の写真は、セルフタイマーで撮った。いちいち着替えて撮った。我ながら、よくやる。よほどうれしかったようである。

  • 1600

    目覚めたら、まずギザ(シャワーの湯沸かし)のスイッチをいれる。洗面をすませ、階下に降りて、湯をわかす。白湯を飲みながら、庭にでる。

    夜露を残した芝生がサンダルの素足を濡らす。今日はヨガではなく、ラジオ体操をすることにする。これは、ヨガほどではないにせよ、朝を始めるのになかなかよい小さな運動だ。

    ニンジンとリンゴと赤いカプシカムをジューサーにかけ、レモン汁を加えたジュースを作る。

    それを、庭で飲み干す。ムンバイでも同じようなジュースを毎朝飲んでいるが、この庭で飲む方が、身体にぐっと効きそうな気がする。

    restaurant

    今日は、久々に日本人マダムの方々とランチである。バンガロール在住日本人女性の会「さくら会」のメンバーも、どんどん新しい方が増えている。

    バンガロールを離れている時間が長いわたしには、お目にかかる機会はあまりない。さて、「旧空港の方」にお声をおかけしたところ、「新空港の方」に連絡してくださり、総勢6名でのランチであった。

    1601lunch場所はホテル、ウィンザー(THE ITC WINDSOR)の南インド料理店。

    この店は雰囲気もよく、ミールスがなかなかにおいしいのだ。

    わたしはノンヴェジタリアンを選んだ。

    まだバンガロールに移ってまもない方々も、興味津々、楽しそうであった。

    料理の詳細は、初めて訪れた時に記録に残している。

    ■なんとなく、パラレルワールド(←文字をクリック)

    ところで、過去のメニューを見て、目を見張った。

    料理の値段が、今よりも、ずいぶん安い。現在はこれの数割増で、特にシーフードはかなり高かった。

    料理の内容は変わらないのだが……。この数年のうちに、あらゆる場面で物価が上がっているということを痛感する。

    などと世知辛い話はさておいて、雰囲気のよい店で、丁寧なサーヴィスを受けながら、心行くまで食事ができる時間を持てるということはありがたいこと。

    移住当初から今日に至るまで、このような高級ホテルの存在感にどれほど救われて来たことか。日本から母や妹が訪れた時にも、地元の市場や商店街の喧噪に連れ出す一方、こうした優雅な場所に連れて行くことができ、それを楽しんでもらえた。

    砂塵舞う喧噪の世界に、異次元空間へ逃げ出すためのドアが点在しており、そこに入ることができるということは、幸せなことである。

    1602diwali1603diwali
    ランチのあとは、食料品の買い物をすませて帰宅。明日のディワリ本番を控えて、アパートメントでは、女性たちがランゴリ(吉祥紋)を描いている。

    HAAPPY! と、力のこもったインド的ハッピーである。

    さて、帰宅して一息ついたら、今度はサリーに着替えて外出の準備である。今日は一日早く、義姉スジャータ&義兄ラグヴァン宅でディワリを祝するのだ。

    IISキャンパス内の彼らの家に赴く。本日のスジャータは、ケララ州のサリー(白地に金糸)を着ている。とてもよく似合っている。

    わたしが着ているのは、バンガロールのサリー専門店で買った、どこぞの地方のサリー。伝統的な手法による、しかしやや現代風水玉模様である。

    デザインのシンプルさが気に入って買ったのだが、金糸がちくちくとして、若干気心地が悪いのが玉に瑕。

    1605puja1604miho

    さて、去年と同様、今年もスジャータの指揮により、小さなプジャー(儀式)を行う。彼女がマントラを唱えるのに従って、わたしたちも唱える。

    その後、わたしたちとも顔なじみの、ラグヴァンの教授仲間の夫妻、そしてラグヴァンの弟、マドヴァン一家もやってきた。マドヴァンの妻、アヌパマと会うのは約3年ぶり。

    第一子の出産のため、実家のあるデリーに戻っていた彼女は、事情があってしばらくデリーに住んでいたのだが、最近ようやくバンガロールに戻って来たのだ。

    前回会ったときも妊娠中だったが、今回もまた、第二子を妊娠中。子供の少ないマルハン家、ヴァラダラジャン家周辺にあって、非常に貴重な存在感である。

    16092歳半になる長男。

    彼のかわいらしいことといったら!

    目が大きくて、まつげが長くて、まさにお人形のようである。

    やや人見知りをするようだが、両親の言うことをちゃんと聞いて、賢そうな子供だ。

    ちなみにインドではよく見られる光景だが、ナニー(乳母)も同伴である。

    ネパール出身の彼女の影響もあり、彼はヒンディー、英語のほか、ネパール語も少し話すようである。

    遅れて来た母性本能の影響で、このところ小さい子供に関心を持ってしまう昨今のわたしは、ついつい視線が彼に向いてしまう。

    それはそうと、スジャータの手料理はまた、今日もおいしかった。祝祭日の今日、基本はヴェジタリアンである。従っては野菜ばかりの料理だが、十分に満足できる食べごたえだ。

    1606dinner1607diner
    チャナ(ひよこ豆の煮込み)にプーリー(揚げチャパティ)、カボチャの煮込み、カリフラワーのソテー、ジャガイモとトマト、ヨーグルトの煮込みなど。どれも本当においしかった。

    Miho食後は子供の気をひこうと、日本人のおばさまは、サンダルを脱ぎ、地べたに座って、折り紙に精を出す。

    飛行機、ツル、カブト、奴さんなどを次々と作って差し出せば、かなり興味を持ったようで、喜んでいる。

    というか、マドヴァン父の方が、「ミホ、すごいね〜!」と、感嘆している。

    父子で飛行機を飛ばすなどして遊んでいた。

    昨今の日本ではどうだか知らないが、折り紙、海外においては重宝する技である。

    皆が食事を終えて一段落してのち、屋上へと繰り出す。

    毎度おなじみの花火大会である。詳細は割愛するが、今年もまた、大量の花火、爆竹その他を消費したひとときであった。

    1611fire1612fire

    10時近くなっておいとまをし、さて、今夜のお出かけ第二弾。久々にBEC(Bangalore Expatriate Club)の集いに参加するべく、タージ・レジデンシーのアイスバーへ。

    わたしは別に行かずともよかったのだが、アルヴィンドが久々に訪れたいと主張するので付き合ったのだが、主張の大きな理由は、彼女たちの存在だったようである。

    1620彼女たち。クリケットチームのチアリーダーたちが来るという情報を仕入れてのことであった。

    案の定すぎる展開だ。

    今や何人に膨れ上がっているのだかよくわからない会員。

    バンガロールの駐在員の数は年々増えていることは実感しているが、デリーやムンバイなどの他都市に比べて、外国人の比率が著しく増えている気がする。

    night

    ともあれ、今年もこうして、みなが健康に過ごすことができ、インド的新年を共に過ごすことができてよかった。これから先の一年がまた、実り豊かな年であることを祈りつつ。

    HAPPY DIWALI!!

    clip

    【ディワリ:花火炸裂の記録】

    2004年 ●インド彷徨(移住前):花火三昧! ディワリの夜

    2007年 ●全国的に、激しくディワリ  ●ディワリ。熱く激しく爆裂の宵。

    2008年 ●一足お先にハッピー・ディワリ! 花火三昧の夜。

  • U01view

    一昨日、無事に「新婚旅行:第二」を終えてムンバイに戻って来た。採用当初から問題が尽きなかったムンバイのメイドのヨギータは、自然消滅的自主解雇。従っては、昨日は、家事に明け暮れた。

    インド以前は「当たり前」にやっていたことなのに、たかだか荷解きをして、洗濯や掃除をするだけで、不条理にもたいそうな仕事をしてしまった気がする自分がいやである。

    ところで今日は先ほど、歯科へ行った。インプラントをすべく、抜歯である。

    「不爽やか」な話題につき、詳細は割愛するが、ともあれ前回の抜歯は30分ほどですんだのが、今回は諸事情につき2時間近くもかかった。麻酔がかかっているとはいえ、かなり辛かった。

    歯科治療を受ける時、いつも思う。ジュリア・ロバーツの口を借りたい、と。

    ところで歯科医。わたしと同じ世代(もしくは若い)と思しきインド人男性である。腕前がいいことは、なんとなくわかる。ついでにプライドが高い優等生タイプだということも、なんとなくわかる。

    その彼が、抜歯に奮闘しながら、言うのだった。

    「ミホ、大丈夫? ちょっと辛いかもね。でもね、僕にとっても、いや、むしろ君以上に、これは拷問なんだよ。本当なんだってば。でも、これが仕事だから仕方ないけどね……」

    かなり不思議な弱音の吐き方、である。珍しい感情表現をする医者、だとも言える。

    屈折した表現で、わたしを励ましていると解釈したほうがいいのだろうか。確かに、わたしは口を開けているだけでいいが、彼は何だかんだで格闘しているわけで、確かに辛かろう。

    しかし、麻酔が切れた現在、鎮痛剤も効かず、結構な痛みに苛まれている我が現状を、彼は慮っているのだろうか。何やら、悔しい思いだ。

    だいたい、昼ご飯も「アイスクリーム」を食べたのみ。お腹が空くが、何も噛めやしない。

    それにしても我が歯。幼少のみぎりより、歯科とは切っても切れない縁である。

    哀しいかな、現代人的軟弱な顎と歯しかもっていないにも関わらず、古代人のように、硬いものや粘着性、歯ごたえの強いものを好むから、歯がついていけないのかもしれない。

    と、このごろは、思う。

    気を紛らわすためにも、今日はウダイプール旅の記録をしっかりと残しておこうと思う。

    hospital

    2001年7月。結婚式のために初めてインドを訪れ、デリーで一連の結婚式イヴェントを終えたわたしたちは、新婚旅行先であるラジャスターン州はウダイプールヘと赴いた。

    しかし、わたしの体調が劣悪で、「すばらしい場所」であったはずにも関わらず、「辛い思い出」ばかりが蘇ってしまう、それは無惨な新婚旅行であった。ということは先日、克明に記した

    なにしろ結婚式の写真を整理し、ウェブサイトに記録を残したのは、結婚から2年目も過ぎたあとである。やる気がないにもほどがある。新婚旅行の記録も便宜上、残してはいるが、少しも楽しそうではない。

    今回、夫の発熱というトラブルに見舞われたものの、予定を先延ばししてまで、2泊3日新婚旅行第二@ウダイプールを決行した。

    新婚旅行時よりは1泊少なかったにも関わらず、心に深く刻まれる瞬間の多い滞在となった。同時に8年前、自分がどれだけ辛かったかが、今更ながら、よ〜くわかった旅でもあった。

    さて、写真もたっぷりと撮影し、本日の記録は一段と長くなりそうだが、お付き合いいただければと思う。

    ※大長編となったので、トップページの記録を1件だけにしています。過去の記録は、右の「最近の記事」や「アーカイブ」からご覧ください。

    U59tour

    ●10泊のデリー実家滞在。家族のことなど。

    5泊の予定が10泊もしてしまった実家滞在@ニューデリー。長いと思っていたが、しかし、思いがけず多くの人と会うこともでき、意義深い滞在となった。

    ロメイシュ・パパには夫婦喧嘩の仲裁をやってもらったりと、なにかと心労をかけてしまったが、まあ、家族である。持ちつ持たれつである。

    とはいえ別れ際、それなりに心苦しく思っている嫁は、

    「パパ、いろいろと迷惑をかけてごめんね」

    と挨拶をした。そうしたら、

    「家族なんだから、迷惑とか、ごめんなさいとか、そういう風に思うことはないんだよ」

    と毎度やさしい。わたしは、インド家族と関わるようになって、本当に学ばされることが多い。義姉スジャータも、これまで何度となく、我々のことについて相談に乗ってくれたものだ(どれだけ問題の多い夫婦だ)。

    ちなみに続柄上、「義姉」と書いているが、スジャータはわたしよりも、5つも年下である。ということをすっかり忘れていた。とほほほ。

    インド家族の寛大を思うとき、日本の母のことを思う。たとえばときに、母から「迷惑をかけてごめんね」と言われることがある。それはわたしにとって、迷惑、という類いのものではないので、そう言われると、むしろ心苦しい。

    ということを、本人にも伝えているのだが、「迷惑をかけないようにしなきゃ」と言う。一生懸命に一人で生活してくれているのは喜ばしいが、「迷惑をかけないように」というところが、寂しいようにも思う。

    家族なんだから、迷惑をかけあったって、いいではないか。持ちつ持たれつでいいではないか。

    悪意があって問題を発生させたというのなら話は別だが、さもなくば、気を遣いすぎたり、迷惑を恐れたり、することはないではないか、とこのごろは思う。

    損得勘定なしで、助け合ったり、支え合ったりできる、家族の絆が実現できていれば、それはとても幸せなことだと思う。こんな風に思うのは、わたしが歳を重ねたせいかもしれないが。

    尤もこういう思いは、「双方が合意している上で成り立つ」ものであり、どちらか一方がそのつもりでも、一方がそう判断していなければ、行き違いが発生してしまう。

    よくよく考えると、日本人の多くは「他人に迷惑をかけない」ことを尊ぶ意識が強い。一方のインド人。他人の迷惑に対して、非常に寛大なように思う。それに伴い発生する問題はまた、別として。

    また話がそれた。この件については、また改めて綴るとして、とっととウダイプールの話題に移ろう。

    U04air_2U05air

    ●初日:デリー発、キングフィッシャープロペラ機でウダイプールヘ!

    デリーの国内線空港が改築されていたことはデリー到着時の記録に記した。

    出発ロビーもまた、かなり「近代的ムード」に変わっており、レストランやショップが充実していた。FabIndiaやGood Earthの店舗も並んでいたのには驚いた。

    さて、久々に、キングフィッシャー航空便にての旅である。テーマカラーが「赤」の、そしてフライトアテンダントがミニスカートの、おなじみ派手なエアラインだ。

    ウダイプールは観光地である。飛行機に乗るのは主には観光客ばかりで、乗客数も多くはない。つまりは、小型のプロペラ機である。

    プロペラの音が間近に聞こえてうるさかったが、それなりに快適な空の旅、であった。

    これまで、数多くの土地を旅して来た。たとえ20年前の旅ですら、かなり鮮明に旅の情景を思い出すことができる。しかし8年前の新婚旅行の記憶は「断片のみ」で、たとえば空港の様子さえ、思い出すことができない。

    ただ、以前よりも「かなりきれいになっている」ような気がする。一日に数便しか離発着しない空港の割に、そこそこの広さもある。駐機場から歩いて空港ビルディングに向かう「こぢんまりとした感じ」が楽しい。

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    あいにくの曇天だが、暑すぎもせず、湿度もほどよく快適だ。日射照りつける晴天よりも、むしろこれくらいの気候の方がありがたい。

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    空港からウダイプールの市街までは27キロだという。インドではたとえ27キロでも悪路ゆえ、1時間を超えることも多々あるが、ハイウェイはかなり整備されていて、速やかだ。

    しかし、牛がごろごろしている光景は、インドならではである。途中の風景はまったく記憶になく、すべて「初めて見る光景」のようである。前回は車内で爆睡していたものと思われる。

    ラジャスターン州のウダイプールは、1567年、時の藩王だったマハラナ・ウダイ・シンによって創られた街。ウダイ・シンは、当時宮殿のあった20キロほど離れた場所から「うさぎ狩り」のため、ここを訪れていたという。

    あるとき、聖人から告げられた「その、あなたが今、立っている場所に城塞を建てなさい。そうすれば、家族は守られ、あなたは成功をおさめるであろう」という言葉に従って、湖畔にあるパレス(宮殿)を建立したとのこと。

    ウダイプールをおさめてきた歴代マハラナにまつわる逸話は数多い。ウダイプールは数々の侵略にも屈せず、独立を貫いた唯一の藩であったとのこと。

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    さて、目的のホテルは、人工湖であるピチョーラー湖に浮かぶタージ・レイク・パレス (Taj Lake Palace)

    1746年にマハラナ・ジャガト・シン2世によって建てられたもので、かつてはマハラナやそのゲストの夏の宮殿として利用されていたという。

    ところでインドでは、他の藩の藩王は「マハラジャ」と呼ばれているが、ウダイプールでは「マハラナ」(武王)と呼ばれている。

    ムガール帝国時代から英植民地時代に至るまで、ウダイプールの藩王は頑として侵略されることを拒み、自主独立を堅持。自ら戦地に赴いて敵と戦ったことに由来しているそうだ。

    ちなみにマハラジャ制度は現在では廃止されているものの、各藩のロイヤルファミリーは依然として存在し、地元社会に影響を与えているようである。

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    さて、湖畔の船着き場に到着。8年前とは場所が変わり、雰囲気がグレードアップしている。

    8年前はよたよたとした感じのボートだったが、今回は「プチ遊覧ボート」な雰囲気。船頭さんは、なぜかヴェネツィア風だ。

    ちなみに彼は似合っていたが、この後、ボートに乗るたびに、「そのコスチューム、似合わなさすぎ!」な「ぼってり体型の船頭さん」に多数遭遇。

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    写真左上は、湖に浮かぶレイク・パレス。写真右上は、湖畔のパレス。パレスの一部はホテルやレストランになっており、現在も一画に暮らすロイヤルファミリーによって経営されている。

    ところでこの湖、今はモンスーンの時期とあってか、水が豊かで情景麗しい。船頭曰く、2003年は水不足で湖が干上がり、自動車でレイク・パレスまで行き来していたとのこと。それではあまりにも、風情がないというものである。

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    さて、インドのラグジュリアスなリゾートホテルでは定番の、ホテルスタッフからの慇懃なお出迎えだ。

    額に歓迎のビンディをつけてもらう。確か前回はマリーゴールドのレイを首にかけてもらった気がするが、今回はなし。ともあれ、冷たいおしぼりを供され、ウェルカムドリンクをいただいている間、チェックインが進められる。

    このゆったりとした歓待のされ方が、とてもうれしい。

    さて、ホテルであるが、全体的に改装されており、快適さが向上しているようだ。パレスが備える昔ながらの意匠を守りつつ、調度品をはじめとするインテリアを変えることで、洗練度や居住性を上げているように見受けられる。

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    通されたのは湖越しにパレスが眺められる部屋。窓辺のソファーが何とも言えず心地よい! 

    新婚旅行のときには、披露宴のゲストにたまたまこのホテルのマネージャーが出席していたことから、スイートにアップグレードしてもらえた。しかし、狭いながらも、改装後の現在の部屋の方が、かなり快適で心地よい雰囲気だ。

    正直なところ、旅行先を決める前は「ウダイプールはもうすでに行ったし……」と、別の土地を訪れたく、さほど乗り気ではなかったのだが、この向上ぶりからして、来てよかったと思う。

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    バスルームにはローカルの工芸品で作られたコットン入れやティッシュケース、ソープディッシュなどが配されていて、かわいらしい。

    遅めのランチをとろうと思ったが、その前にロメイシュパパが持たせてくれた赤ワインで乾杯。わたしが、GROVERの赤ワイン LA RESERVE がおいしいと言ったところ、早速数本を調達して来てくれていたのだ。

    ランチはインド料理、コンチネンタルと二つあるダイニングのうち、コンチネンタルのJHAROKHAにて。新婚旅行時にアルヴィンドを撮影したときと同じテーブルにて、今回はわたしが被写体である。

    ■2001年:新婚旅行時の記録と写真:今回の内装がかなり向上していることがわかる。

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    内装が向上したのはいいが、メニューを開いてその値段の高さに愕然とする。

    8年前はさておき、移住前の2004年から2005年にかけて、インド各地を訪れ、タージやオベロイ、リーラといった高級ホテルに滞在してきたが、宿泊費も食事代の相場も、先進国の同レヴェルのホテルよりは安かったように記憶する。

    ムンバイのタージマハル・パレスのダイニングでも、「米国に比べれば安い」と気軽に食事をしていたものだ。しかし、ここ2、3年のうちに、値段は「倍以上」に上がっている。

    以前、タージマハル・パレスで「路上スナック」なダヒ・バタタ・プリが高いことに目を見張ったが、今日はグラブジャムンの値段に愕然とした。

    Umenuダヒ・バタタ・プリをしのぐ、なんと550ルピー。

    ちなみにラスマライも550ルピー。

    1000円以上である。

    道ばたでは10円とか20円で売っているものがである。

    いくらなんだって、これはないだろう。

    グラブジャムンがこれだから、他の料理も推して知るべし。

    原価激安なはずのヴェジタリアンのサンドイッチが650ルピーから。やはりヴェジタリアンのパスタ一皿が900ルピーから。

    とはいえ、せっかくのラグジュリアスな旅である。

    いっそルピーを「日本円」と捉えてメニューを見ることにした。それでもなお、特にデザート類は高すぎるが、注文しなければいいだけの話である。

    さて、二人してひとしきり、値段の高さについて意見を交換したのち、サンドイッチとサラダを注文した。料理はそれなりに美味であった。途中でシェフとレストランマネージャーが挨拶に来た。

    よほど、「料理の値段、高過ぎです」と言いたかったが、今日のところは、いわずにおいた。

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    さて、食後は、まだ体調が完全に戻りきっていない夫と、実家滞在でそれなりに疲れていた妻は、ベッドに横たわるが早いか爆睡。

    小一時間ほど仮眠をとるつもりが、目が覚めたらすでに午後6時。3時間ほども眠りこけていた。従っては、「館内巡りツアー」や「レイク・クルーズ」に参加し損ねたが、それは明日に回すことにする。

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    外へ出ると、雲間からほんのりと青空がのぞいていた。そして小さく、虹のかけらが! 

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    夜は持参のサリーに着替え、ホテル内で行われているダンスのパフォーマンスを見にいく。

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    スパークリングワインを飲みながら、ダンスを眺めながら、湖面を渡る風は心地よく、暑すぎもせず、本当にいい気分である。

    ダンス鑑賞のあとは、ホテル内を散策。麗しい夜景に見入り、二度目の来訪(夫は三度目)が実現できたことを喜びつつ。軽めの夕食をすませ、一日を締めくくった。

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    ●2日目:湖畔のパレスを見学。夕刻は、ホテルツアーや湖上クルーズなど

    目覚めれば、窓からまばゆい光がこぼれている。朝日がきらきらと湖面に反射している。曇天でも構わないと思っていたが、青空を背景に、光を受けて輝く白亜のパレスを目にすると、晴れてよかったと思う。

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    さて、朝食はやはり、コンチネンタルのダイニングで。世界各国、さまざまな高級ホテルがあり、さまざまな朝食のスタイルがあろうかと思うが、インドのそれは、かなりよいと、個人的に思っている。

    もちろんアラカルトでも注文できるが、基本的には朝食は宿泊代に含まれている。初日は「料理の値段が高すぎる!」と憤ったものの、この点、別料金の場合が多い他国の高級ホテルとは異なるよさ、である。

    数年前までは冷菜、温菜すべてがブッフェとして並んでいたが、最近ではフルーツやシリアル、チーズやヨーグルトなどの冷菜がブッフェで、温菜はメニューから好みのものを注文するスタイルが一般的になっている。

    コンチネンタルに限らず、ドサなどのインド的料理も頼めるところがよい。ちなみにわたしたちは、朝食でインド料理を食べることはないが。

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    スイートライムジュースに紅茶。そしてフルーツなどをあれこれと。温菜は悩んだ末に、スモークサーモンのエッグ・ベネディクトを。

    高カロリーな料理、だとわかってはいるのだが、これがまた、美味なのである。ところで、朝食の途中、給仕が「花の交換」にやってきた。

    タイミング、間違っている気がするが、こういう緩い感じがまた、インド的である。黄色いバラの傍らにあるのは、夫が飲んでいるスイカジュース。これもまた、美味なり。

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    さて、前回は訪れなかった湖畔のパレスを、今回は見学しようと思う。ホテルにパレスのガイドを手配してもらい、船着き場で待ち合わせる。長身の、知的な風貌をした青年である。

    ウダイプールに生まれ育ったという彼。丁寧な案内に加え、こちらの質問にも的確に答えてくれる、とてもすばらしいガイドである。

    しかし、ホテルに支払ったガイド料は250ルピー。彼の手に幾ら渡るのかは知らないが、グラブジャムンの半額とは、むしろ安すぎるとさえ思ってしまう。

    この国に暮らしていると、貨幣価値の感覚が乱れて仕方がない。

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    船着き場から歩いてパレスに向かう。このパレスはマイソールのパレスに次いで国内2番目の規模だという。ガイド青年曰く、前述の通り、ウダイプールが一度も外部の勢力に屈したことのない唯一の藩であるということがたいへんな誇りのようである。

    愛郷心に満ちあふれた口調で、歴史を説明してくれる。右下の写真は、西暦566年から続いている歴代マハラニの家系図である。

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    マイソールのパレスもそうだが、このパレスのインテリアを手がけたマハラニもまた、「欧州趣味」だったと見える。インドの伝統工芸と欧州伝統工芸の融合。といえば聞こえはいいが、管理状態が悪く、むしろ安っぽく見えてしまうのが難。

    「これは、ウェッジウッドのタイルです」

    「ベルギーから取り寄せたクリスタルです」

    「このモザイクも、ベルギーからです」

    「このシャンデリアは、フランスのルネ・ラリックです」

    ガイド青年は誇り高く説明してくれるのだが、シャンデリアは埃かぶっている。もっとなんとか、ならんのか。

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    ところで遠目に見ると大きく見えるパレスだが、実はさほどではない。パレス下部の窓がない部分は、実は「岩山」で、岩肌をきれいに覆うことによってパレスを大きく見せているとのこと。いわば、「上げ底」である。

    館内の天井は低く、各部屋の入り口やスペースも比較的狭い。外敵が一気に流入するのを防ぐため、と聞いて納得するが、旅行者で溢れかえった回廊などは、かなり息苦しい。

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    館内では、史実を表したいくつかの細密画を見たが、一つの絵画が印象に残った。マハラニ率いる騎馬隊と、ムガール軍の闘いのシーンである。

    ムガール軍は「ゾウ」の鼻に刀をくくりつけて、ウマを切るべく調教し、戦力としていた。その絵画は、流れる時間を同時に表していて、ゾウに後ろ足を切られたマハラニの乗るウマが、3本足で逃げ延びて、マハラニを守った様子が表現されていた。

    マハラニを無事に送り届けた後、倒れて死したウマの様子が痛々しい。

    それはそうと、右上の写真。ゾウの鼻をつけたウマである。ウマの鼻にゾウの鼻をつけることによって、「ゾウ軍隊」がウマを「子供のゾウ」と判断して傷つけることはないだろうと見込んでの、作戦だったらしい。

    ゾウ軍団は、だまされてくれたんだろうか。血で血を洗うはずの戦場が、どこかコメディである。昔から、インドはインド的、だったのだとの思いを新たにしつつ。

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    インドの観光地を訪れると、必ずと言っていいほど、インド人観光客から「一緒に写真を撮ってください」と頼まれる。

    多くの日本人も経験しているようで、各方面から「一緒に写真を撮って〜って頼まれちゃった。てへっ!」的な話を見聞きする。中にはすっかり「有名人気分」を堪能している人もあるが、率直に申し上げて、それは勘違いだ。

    相手の風貌の善し悪しを問わず、相手は外国人であれば、とにかくは一緒に写りたいのである。

    そんなわけで、わたしもここで2組から、一緒に写真に映ってくれと頼まれた。一人目のおばちゃんは、わたしの肩に、馴れ馴れしく肘を載せて映った。はっきりいって「やな感じ」だが、取り敢えず笑顔で対応した。

    それを見ていたアルヴィンドが、

    「ミホ、なにやってるの? ちゃんと断りなさい。有名人を気取ってる場合じゃないでしょ!」

    あいたたた。そう見えましたか。やれやれ。

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    パレス観光は全館を巡らず、途中で切り上げた。しかしガイド青年にはとてもお世話になった。夫も非常に感銘を受けていて、かなり多めにチップを渡していた。

    パレスにはクリスタル・ミュージアムも併設されているが、人ごみに疲労困憊したこともあり、立ち寄らなかった。下の写真は、クリスタル・ミュージアムと同じ場所にあるダイニングルーム。

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    この天井のクリスタルもベルギー製に違いない。以前、ベルギー取材でクノックヘイストという港町を訪れ、カジノに行ったのだが、そのホールに、これとそっくりのシャンデリアを見た記憶がある。

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    さて、ホテルに戻り、ランチをすませ、しばらくはラウンジや部屋でくつろぐ。ホテルに備えてある写真集を眺めたり、本を読んだりしているうちにも、睡魔が襲ってくる。

    昨日のように寝てしまって、うっかり夕方のイヴェントに参加し損ねてはなるまいと、コーヒーを飲んでなんとか覚醒。

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    さて、午後5時からのホテル内ツアーは、スタッフの女性によって行われた。そもそも小規模なホテルであるから、すでに全館を巡っていたのだが、歴史上のエピソードなどを聞くのは興味深い。

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    屋根に施された黄色いクリスタルは、やはりベルギーからの装飾らしい。150年以上も前から、ずっとそこにあると思うと、ずいぶんと丈夫なものなのだなと感心する。

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    30分ほどのツアーが終わったあとは、バーラウンジに通され、コンプリメントのスパークリングワインでもてなされる。ツアーに参加し、ホテルの歴史を学んでくれたお礼に、ということらしい。うれしい心遣いだ。

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    さて、7時からは、ボートで湖上を巡るツアーに参加。湖畔沿いを行けば、ウダイプール市街の様子が見え隠れする。あるレストランの看板に、『007 オクトパシー』毎日上映、とある。

    実はこのレイクパレスや、丘の上にあるモンスーン・パレスは、1983年に公開された映画『007 オクトパシー』の舞台となったのだ。

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    夕暮れの湖上は、吹く風もいっそう心地よく、山間の光景は静かでやさしく、懐かしい場所を彷彿とさせる。

    0palace途中、湖上に浮かぶもう一つのパレスに立ち寄る。

    ここは現在、結婚式のバンケットなどに利用されているという。

    中央にはタージマハルを模した建物もあり、それなりに豪奢な雰囲気である。

    日没のタイミングに合わせたツアーだけあり、ちょうどいい塩梅で、山の稜線に消え行く太陽を眺めることができた。

    前回の旅の際にも、ここを訪れたはずだが、夕日を見たかどうかさえ思い出せない。やはり、新婚旅行をやりなおせてよかったと、改めて思う。

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    さて、夕食はインド料理店、NEEL KAMALへ。「雪辱! タンドーリ・チキン」については、すでに記した通りだ。正直なところ、すっかり今回の旅を堪能しているわたしは、タンドーリ・チキンなど、最早どうでもよくなっていた。

    第一、8年前からは何もかもが変わっている。ダイニングのシェフも明らかに変わっており、あのときのタンドーリチキンを再び味わえないことはわかっていた。

    それでも、せっかくなのでインド料理である。ところでブレッドソーサーは、なぜかヴェルサーチである。

    さて、メニューを見るに、タンドーリ・チキンはなかった。そもそもキッチンにはタンドール釜が見られない。

    ウエイターがお勧めだという魚のグリーンソースカレーと、ホウレンソウと松の実のソテー、それからチキン・ビリヤニ(炊き込みご飯)とロマリ・ロティ(ハンカチーフのように薄っぺらいパン)を注文する。

    インド料理店では、たいてい料理の前に、パパル(パパド)と呼ばれる薄焼きせんべいのようなスナックが出てくるし、付け合わせにタマネギやトマト、ニンジン、キュウリのサラダも出てくるし、そもそもランチが遅くてあまりお腹がすいていないしで、これで十分だと判断した。

    オープンキッチンになっていたので、テーブルを立ち、しばらく調理の様子を眺める。自分たちの料理が作られるさまを眺めるのは楽しい。

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    が、同時に、「わ、そんなにクリームを入れるのですか?」「え、その塊は、バター?」と、こってりな製法を目前にし、すでに胃が重くなる。家庭料理とは異なり、インド外食の多くは、ヘヴィーなのである。

    ところで、なぜか、ウエイターが超親切。すでにスパークリングワインやらワインを飲んでいて、水以外、飲みたくない状態だったので注文しなかったのだが、

    「これは、レストランからのコンプリメントです」と、モクテル(アルコールが入っていないカクテル)を2種、持って来てくれる。

    さらには、もう一皿、お勧めだと言われたグリーンピーとマッシュルームのクリーム煮を「お味見にどうぞ」と持って来てくれる。さらには、注文時に念のため確認したタンドーリ・チキンを、確かメニューにはなかったはずなのに、出してくれた。

    何が何だかよくわからんが、たいそうなもてなされぶりである。そのタンドーリ・チキンは、はっきりいって、「普通の味」だったが、心遣いがうれしかった。

    そして最後にはインドの甘い菓子を2つ出してくれた。隣のコンチネンタルダイニングでは、550ルピーでチャージしているにも関わらず。

    おまけに、注文したコーヒーは、伝票に加算されていなかった。これもまた、コンプリメントにしてくれたらしい。

    なぜかよくわからないが、あまりにも気前のよいサーヴィスを受けたので、もちろんチップを多めに払い、気分よく、ダイニングをあとにしたのだった。

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    ちなみに、料理は全体的に、「おいしかった!」が、「ものすごく、おいしかった〜!!」というわけではない。しかしこの際、そんなことは、どうでもいいのだ。

    一人寂しくキチリ(豆と米のお粥)を食べた8年前に比べたら、ちゃんと、おいしさを味わえただけで、最早大満足である。

    ちなみにこの店のパパルは、かなりおいしかった。たいていはチャナ豆の粉にスパイスを混ぜた生地で作られているのだが、はじめて「トウモロコシの粉」で作られたものを食べた。

    昔なつかしい「とんがりコーン」の味を、より素朴にしたような、とてもおいしいものだった。あのパパルについて、シェフに話を聞いておけばよかったと、今更ながら、後悔。

    ●3日目:プールサイドでまどろむ。市街の喧噪にまみれる。

    2泊3日など、瞬く間に過ぎて行く。しかし、本日ウダイプールからムンバイへのフライトは午後7時過ぎの便を押さえている。つまりは夕方までここでゆっくりとしていられるわけだ。

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    夫が得意とする「交渉力」で、午後5時の「レイトチェックアウト」を実現。空港に向かうぎりぎりまで、ホテルに滞在することができる。

    U76bfさて、今朝もまばゆい湖面越しに湖畔のパレスを眺めながらの朝食だ。

    今朝のジュースも、スイートライム。

    インドではムサンビと呼ばれるこの柑橘類。

    果汁は、その名の通り、ライムのような風味があるにも関わらず、酸味が少なく甘くまろやかな味がする。

    アーユルヴェーダでも勧められているヘルシーで美味なる飲料だ。

    さて、今朝はフルーツなどを食した後、再びエッグベネディクトを注文。

    夫はベルギー風ワッフルを。

    それらを半分ずつ分けて味わうことにした。

    ワッフルもまた、しっとりもっちりとした舌触りで、小麦粉の風味もよく、とてもおいしい。

    パンケーキやフレンチトーストなども試しておきたかったと悔やまれるが、胃袋は一つである。

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    朝食の後は、プールサイドでくつろぐことにした。ホテルが小規模であることから、プールも小さい。とはいえ、泳ぐことが目的ではなく、プールサイドのデッキチェアに横たわることが目的なので、問題はない。

    欧米同様、日ざしがガンガン照りつけているあたりは他のゲストに占拠されていて、東屋の日陰に置かれたデッキチェアが空いている。わたしたちにとっては、毎度、好条件である。

    横たわれば、湖面を渡る涼風がそよそよと心地よく、眼前にはパレスが見渡せ、ここもまた、よい場所だ。持参していた本は数ページを読んだきり、またしても寝入る。実によく眠れる我である。

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    ふと目覚めれば、もう正午を過ぎている。湖畔の市街を眺めているうちに、やはりウダイプールの街を歩きたくなった。

    前回は、病院に行ったり、牛から辛い仕打ちを受けたりと、いいことがなかったから、今回はホテルで優雅に過ごそうと決めていたのだが、どうもそれだけでは気がすまないらしい。

    夫は喧噪が苦手なのはわかっているので、わたしは一人で行くと言ったのだが、一緒に行くという。

    「途中で絶対、文句言わないでよね」

    と約束して、ホテルを出たのだった。

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    ボートで湖畔に渡り、パレスを通過して、市街に出る。通りの両脇には土産物屋や商店がひしめき合い、オートや二輪がせわしなく行き交い、下校中の子供が歩道を占拠し、バックパッカーな欧米人ツーリストが店頭を冷やかし、たいへんな喧噪だ。

    それにしても、インドのバックパッカーの人たちは、どうしてみな、揃いも揃って同じようなファッションなのだろう。

    インド女性が身につけることのない、しかしインドで入手できるところのニッカポッカのようなだっぽりしたパンツに、タンクトップのTシャツ。木綿のずた袋的バッグを斜めがけにしている。

    洗濯しやすいからだろうか。ともあれ、まるでユニフォームのようで興味深い。

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    歩道をそぞろ歩いていたら、突然、背後から後頭部を強打された。驚いて立ち止まったら、諸手を広げて走り去る10歳ほどの少年。

    わざとではないにしても、あれだけひどくぶつかったら、立ち止まって謝るのが筋だろう。ところが、そのまま走り去っていく。

    反射的に、追いかける我run

    少年の肩をぐいとつかむ。

    驚きの目でわたしを見つめる少年。

    「あなたの腕が、今、わたしの首の辺りに力一杯ぶつかったの、気づかなかったの? そんなはずはないわよね。ぶつかったら謝るのが礼儀でしょ!」

    まるで、自分はぶつかっていない、無実だと言わんばかりのイノセントな目で見つめる少年。なんなのだ、この無垢さは。

    と、一部始終を眺めていたらしき、どこぞの店のおじさんが、近づいて来た。

    「まあまあ、マダム、落ち着いて。確かに全速力で駆けてあなたにぶつかった彼は悪い。わたしからも、よ〜く言っておきます。これからは、ゆっくり走りなさいって。ともかくは、子供のしたことですから、許してやってください」

    なにやらポイントがずれている気がしないでもないが、しかし、またしても、我に返らせられる。

    このおじさんにとって、この少年は他人の子である。にもかかわらず、まるで自分の身内に対するような親密さとやさしさを漂わせている。

    走りの速さの問題ではない。ぶつかって知らん顔をしていることが問題なのだ。と思っていたのだが、なんだかもう、そんなことはどうでもいいような気がして来た。

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    さて、いくつかの土産物店に立ち寄り、しかし、特に買い物はせず、ただ、細密画の専門店で、ウダイプールを舞台にした絵と、ゾウの絵を購入した。今回の旅の思い出である。

    さて、そろそろホテルに戻ろうか……と話していた矢先、菓子屋の店頭で大量グラブジャムンを発見! 思わず吸い寄せられる夫。「路上もの」にも関わらず、食べる気らしい。

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    ちなみに左の大鍋は油で揚げているところ。右の大鍋は、激甘大量シロップに浸しているところ。

    1皿2個入りで5ルピー。ホテルのグラブジャムンは550ルピー。価格差110倍!!

    それはさておき、この揚げたてグラブジャムン、ほくほくとおいしかった。しかしわたしは1個でよい。しかし夫はもう少し食べたいと、もう1皿を頼み、一人で都合3個を平らげた。幸せそうである。

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    さて、ホテルに戻りしのちは、もう一度、パレス内を散策する。それぞれに、お気に入りの場所で記念撮影をしたり、眺めを楽しむ。

    ホテルのスタッフも積極的に、「写真を撮って差し上げましょう」と申し出てくれる。

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    そして瞬く間にチェックアウトの時間となる。

    最後に、エントランスでの写真を撮ってくれた女性のスタッフが、「この次は、いついらっしゃいますか?」と尋ねる。

    「多分、10年後くらいに」と答えた。

    この8年が、瞬く間だったのだ。10年後も、瞬く間に訪れることだろう。そのときグラブジャムンは、いったいいくらになっているのだろう。

    そんなことはさておき、本当に、よき滞在だった。

    最後のボートは、夕暮れの風が清々しく、殊更に気持ちよかった。この空気を伝えたく、ボート上から、携帯電話で日本の母に電話をした。

    ざわざわという風の音と、ボートのエンジンの音が、聞こえたようだった。

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    さて、新婚旅行を仕切り直したことだし、これからまた、夫婦仲良く、力を合わせて、がんばっていきたいものである。