不易流行 〜インドのファッション&ビューティ〜

FASHION & BEAUTY in INDIA/インドの多様性を映す民族衣装サリー情報をはじめ、昨今のファッションやジュエリー、コスメティクスのトレンドをご紹介。

  • 06bread05

    ●日本的コーン&マヨネーズパンを焼いてみた。

    ムンバイ&バンガロール二都市生活も、残すところ約1カ月。来週には引っ越し業者に見積もりに来てもらう。

    ムンバイの家具は一時的にストレージルーム(倉庫)に保管しておくか、潤沢なスペースのあるデリー実家に送るか検討中。その他、不確定要素が多すぎて、考えるのも面倒なので、最早考えない。

    人生、瞬発力と柔軟性である。ぎりぎりでも、いかようにでも、対応しようじゃないか。

    といいながらも、今月は一度バンガロールに戻るべきか、いや、引っ越しまで滞在すべきか、などなど予定がなかなか定まらず、時にウォーッと叫びだしたくなる日々。

    そんな体力余剰の朝は、パンを捏ねるに限る。

    日本のレシピサイト(クックパッド)を見ていたら、急に「コーンマヨネーズパン」が食べたくなった。いかにも、日本的なお惣菜パン、である。

    日本のキューピーマヨネーズならある。あの懐かしい味を再現できるかもしれない。というわけで、今日は普通の小麦粉(MAIDA)を使ってのパン作りである。

    パン作りも4度目ともなると、捏ねるのがだいぶ、うまくなった気がする。

    それはそうと、ムンバイ宅には、オーヴン専用の温度計はおろか、計量カップもはかりもないため、すべて「適当」である。適当であるが、それなりに、できあがるところが、うれしいものである。

    06bread01_206bread02
    ベーキングシートがないため、幸いにもバンガロール宅から持って来ていたタルト皿を使うことにした。左上の写真は、二次発酵を終えたあとのようす。右上の写真は、焼く直前にマヨネーズを絞り、つや出しのための卵を生地に縫ったところ。

    「刷毛」すらないので、指先で塗ったが、問題はなかった。

    06bread0306bread04
    ところで、これまでは米国のWHOLE FOODS MARKETでまとめ買いしていたオーガニックのドライイーストを使用していた。しかしこのドライイースト、かなりイーストの匂いがきつい。

    それはそれでよいのだが、インド産のドライイーストも試してみるべきだと思い立ち、先日購入していたインドものを使うことにした。左上の写真がそれである。

    粒が大きくて、これまで見たことのある顆粒状のものとは全く別物の印象だ。これでは粉と混ぜて捏ねることは不可能なので、ぬるま湯で溶かして使用した。

    匂いはほとんどなく、ちゃんと膨らんだので、むしろ米国産よりも使いやすいかもしれない。

    06bread00_2

    今日もまた、いい感じで焼けた。

    これがもしパン屋に並んでいたら、まったく気にも留めやしないだろうありふれた形状なのに、自分で作ったと思うと、どうしてこんなにも、かわいらしく見えるのだろう。

    焼きたてのほかほかを、食べる。主観的に言えば「おいしい!」のだが、客観的にいえば「ふう〜ん」という感じである。というのも、記憶の中のコーンマヨネーズパンに比して、味が物足りないのだ。

    マヨネーズを絞るときに「つけすぎないように」と気を遣ったのだが、なじみのあるマヨネーズ系のパンの味に比べると、具とマヨネーズが少なすぎた。

    コーンはたっぷり詰め込んだ気がしたのだが、どうも足りない。特にマヨネーズのしっとり感が少なく思われた。同時に、過去、日本の一般的なパン屋で購入していたパンが、いかにマヨネーズどっさりだったかを認識させられた。

    菓子作りをしていると、バターや砂糖の使用量の多さに気が遠くなりそうになるが、総菜パンの意外な重さを知るよい機会だった。

    食べても太らない体質だったら、力一杯マヨネーズを絞り出すところだったが、我慢したのだった。

    ●ご近所テイラー活躍。自分にぴったりの服があれこれ完成。

    05miho_5モデル気取りでポーズをとる女。

    それはわたしである。

    厚かましいのは承知だが、テイラーに出していたワンピースがいい感じででき上がったので、つい。

    先日、ショッッピングモールのカシミール地方な工芸品店で購入したサルワール・カミーズ用のマテリアル。

    本来ならばトップとパンツを作るところだが、シンプルなドレスにしてみたく、「自称デザイナー集団」のテイラー店の店主に口頭で指示。

    袖はフレンチスリーブ風に、丈は足首が少し見える程度、軽くフレアを入れて欲しいと頼んだ。更にはインド服では滅多に使用されない「ジッパー(ファスナー)」を背中につけてもらうことにした。

    ちなみにインドの女性は、従来足を見せることはタブーであったため、今でも足を出している人は少ない。最近でこそ若者がミニスカートを履くようになったが、膝丈ですら、かなり目を引く。

    加えてジッパー。インド女性が着ているサルワール・カミーズ。かなりボディにフィットしている。にもかかわらず、彼らはジッパーなしで脱ぎ着している。

    これまで、そんな柔軟なボディを持つインド女性を対象にした衣類を試着して、どれだけ泣きをみたことか。試着室で脱げなくなった服を破らないように脱ぐのに腕やら首の筋を痛めそうになったことは、一度や二度ではない。

    加えてインド人は頭が小さい人が多いせいか、頭が入らない服にも何度となく遭遇した

    その度に、「この服、首周りが小さすぎますよ」と、いかにも縫製上に問題があるかのように、店の人に文句を言っていたのだが、あるとき、自分の頭が大きいから入らなかったのだと気づいて、愕然とした

    そんな話はさておき、仮縫いの段階で試着したいと頼んだところ、

    「一気に仕上げます。襠を多めに取るので、着てみて不都合があれば、縫い直します」

    とのこと。翌日、試着にいったところ、案の定、胸のあたりが窮屈だ。そう。インドの女性は、サリーのブラウスにせよ、サルワール・カミーズのトップにせよ、胸囲全体をぱっつんぱっつんにしたがるのだ。

    胸がつぶれて見えるし、ゆとりがなくてむしろ太って見えるのだが、どうにもそれが永遠のトレンドらしい。

    従っては胸囲部分を1インチ広げてもらい、同時にユルユルに仕上がっていたウエスト部分を1インチ、詰めてもらった。さもなくば、マタニティドレス状になってしまう。

    31shop3そして翌日にはこの通り、我が身にぴったりのドレスができ上がった次第。

    ちなみに、先日も載せたが、左の写真が購入した店の店内である。

    わたしは左側の黒いマテリアルを3つ、購入した。

    左端は、日本の母のために買った。

    来年あたり、母がインドに来たときにテイラーで作ってもらおうと思っている。

    左から2番目がこのドレス。

    左から3番目は、インド的チュニックを作った。ちなみにマテリアルの写真も、この日の記録に載せている。

    05miho2_2右の写真がそれだ。

    素材は木綿なので着心地もよく、風通しがよいので暑い日でもOK。

    ちなみにこれは、一時期気に入ってよく着ていた既製のチュニックをそのままコピーしてもらった。

    『仰天ライフ』の番組内で、アガペ・チルドレンセンターに行く時に着ていた、あの縦縞のトップである。

    丈が長過ぎないので着心地が軽い。

    袖の長さも、鬱陶しくない程度の長さでちょうど良いのだ。

    ただ、襟元の処理が今ひとつなので、刺繍に沿ってカットするなど、後日自分で少し縫い直そうと思う。

    ミシンがないので、手縫いだが。

    05miho0さて、左の黒いシャツは、やはり既製品をコピーしてもらった。

    ブログ内でもしばしば着用して登場している、着心地がよくて気に入っているオレンジのシャツだ。

    前回、東京を訪れたときに、銀座の日比谷シャンテ1階で見つけた大きめサイズのシャツである。

    この店では、4、5年前に帰国したときも、大きめサイズのシャツを見つけて買った。

    欧州サイズで40とか42という日本の一般的なブティックではなかなか見ないサイズがあるのだ。

    ところで日本在住時代、つまり20代のころのわたしは、今より数キロ痩せていたので、11号とか13号の服が入っていた。それでもフリーサイズはとても入らなかった。

    しかし、現在のわたしは、米国在住時よりは数キロ痩せたとはいえ(つまり米国にいる間は、日本時代に比して6〜8キロ、増量していた)、日本では規格外である。

    身長は166センチある。が、昨今の日本、わたしくらいの身長の女性はゴロゴロしているはずにも関わらず、どうしてあんなに小さい服ばかりしか売っていないのだろう。世間のおデブ系な人たちは、どこで服を買っているのだろう。

    13号ですら着用が危ぶまれる身としては、日本においては「大きいサイズのコーナー」に行くしかなく、しかしそこは服の選択肢が限られている。

    従っては、日本に帰国した時に服を買うことはほとんどなく、インドに移住してからも、洋装は米国で調達してきた。米国であれば、6か8という米国の標準的なサイズがぴったりなので、選択肢が豊富なのだ。

    話がそれた。

    それたが、「この服、すてき!」と思っても、自分には入らないという経験を積んできた日本時代の自分を思い返すに、今、こうして自分にぴったりのサイズを作ってもらえることは、格別にうれしく思える。

    さて、この黒いシャツの生地は、アルヴィンドがスーツを仕立てたバンガロールのコマーシャルストリートにある紳士服店Prestigeで購入しておいたもの。伸縮性のあるコットンだ。

    仕上がりは、オリジナルに忠実で、実にいい感じで仕上がっている。ただし20センチ以内に近寄って細部を凝視すれば、ボタンホールのあたりや裏地の始末などの雑な仕上げに気がつく。

    しかし、世間は20センチ以内に近寄って細部を凝視しないだろうから、着心地がよければノープロブレムだ。

    そして最後は、ビジネス対応のシャツ。これはインドで購入したシャツをやはりコピーした。この布もまた、Prestigeで購入しておいたもの。

    オリジナルは、やはりこのブログでもしばしば着用して登場しているところの、青と赤のコンビネーションのシャツだ。この日着用しているのがそれである。

    05miho405miho12

    ストライプの縦横や、背中部分の切り替えなど、こちらが指示をしなくても適当にアレンジして仕上げてくれていた。

    微細に亘っては改善点も少なくないが、詰めていけば向上することは間違いない。などと言っている間もなく、来月にはここを離れる。

    もう少し早い時期に、あれこれ頼んでおくのだったと少々後悔。バンガロールにもいくつかのデザイナー的テイラーがあるのだが、こちらは真にデザイナーが営んでいるため、いずれもムンバイよりかなり高い。

    コマーシャルストリート界隈で、洋装に強いテイラーを、今後開拓したいと思う。

    camera

    ところで上の写真は、セルフタイマーで撮った。いちいち着替えて撮った。我ながら、よくやる。よほどうれしかったようである。

  • 1600

    目覚めたら、まずギザ(シャワーの湯沸かし)のスイッチをいれる。洗面をすませ、階下に降りて、湯をわかす。白湯を飲みながら、庭にでる。

    夜露を残した芝生がサンダルの素足を濡らす。今日はヨガではなく、ラジオ体操をすることにする。これは、ヨガほどではないにせよ、朝を始めるのになかなかよい小さな運動だ。

    ニンジンとリンゴと赤いカプシカムをジューサーにかけ、レモン汁を加えたジュースを作る。

    それを、庭で飲み干す。ムンバイでも同じようなジュースを毎朝飲んでいるが、この庭で飲む方が、身体にぐっと効きそうな気がする。

    restaurant

    今日は、久々に日本人マダムの方々とランチである。バンガロール在住日本人女性の会「さくら会」のメンバーも、どんどん新しい方が増えている。

    バンガロールを離れている時間が長いわたしには、お目にかかる機会はあまりない。さて、「旧空港の方」にお声をおかけしたところ、「新空港の方」に連絡してくださり、総勢6名でのランチであった。

    1601lunch場所はホテル、ウィンザー(THE ITC WINDSOR)の南インド料理店。

    この店は雰囲気もよく、ミールスがなかなかにおいしいのだ。

    わたしはノンヴェジタリアンを選んだ。

    まだバンガロールに移ってまもない方々も、興味津々、楽しそうであった。

    料理の詳細は、初めて訪れた時に記録に残している。

    ■なんとなく、パラレルワールド(←文字をクリック)

    ところで、過去のメニューを見て、目を見張った。

    料理の値段が、今よりも、ずいぶん安い。現在はこれの数割増で、特にシーフードはかなり高かった。

    料理の内容は変わらないのだが……。この数年のうちに、あらゆる場面で物価が上がっているということを痛感する。

    などと世知辛い話はさておいて、雰囲気のよい店で、丁寧なサーヴィスを受けながら、心行くまで食事ができる時間を持てるということはありがたいこと。

    移住当初から今日に至るまで、このような高級ホテルの存在感にどれほど救われて来たことか。日本から母や妹が訪れた時にも、地元の市場や商店街の喧噪に連れ出す一方、こうした優雅な場所に連れて行くことができ、それを楽しんでもらえた。

    砂塵舞う喧噪の世界に、異次元空間へ逃げ出すためのドアが点在しており、そこに入ることができるということは、幸せなことである。

    1602diwali1603diwali
    ランチのあとは、食料品の買い物をすませて帰宅。明日のディワリ本番を控えて、アパートメントでは、女性たちがランゴリ(吉祥紋)を描いている。

    HAAPPY! と、力のこもったインド的ハッピーである。

    さて、帰宅して一息ついたら、今度はサリーに着替えて外出の準備である。今日は一日早く、義姉スジャータ&義兄ラグヴァン宅でディワリを祝するのだ。

    IISキャンパス内の彼らの家に赴く。本日のスジャータは、ケララ州のサリー(白地に金糸)を着ている。とてもよく似合っている。

    わたしが着ているのは、バンガロールのサリー専門店で買った、どこぞの地方のサリー。伝統的な手法による、しかしやや現代風水玉模様である。

    デザインのシンプルさが気に入って買ったのだが、金糸がちくちくとして、若干気心地が悪いのが玉に瑕。

    1605puja1604miho

    さて、去年と同様、今年もスジャータの指揮により、小さなプジャー(儀式)を行う。彼女がマントラを唱えるのに従って、わたしたちも唱える。

    その後、わたしたちとも顔なじみの、ラグヴァンの教授仲間の夫妻、そしてラグヴァンの弟、マドヴァン一家もやってきた。マドヴァンの妻、アヌパマと会うのは約3年ぶり。

    第一子の出産のため、実家のあるデリーに戻っていた彼女は、事情があってしばらくデリーに住んでいたのだが、最近ようやくバンガロールに戻って来たのだ。

    前回会ったときも妊娠中だったが、今回もまた、第二子を妊娠中。子供の少ないマルハン家、ヴァラダラジャン家周辺にあって、非常に貴重な存在感である。

    16092歳半になる長男。

    彼のかわいらしいことといったら!

    目が大きくて、まつげが長くて、まさにお人形のようである。

    やや人見知りをするようだが、両親の言うことをちゃんと聞いて、賢そうな子供だ。

    ちなみにインドではよく見られる光景だが、ナニー(乳母)も同伴である。

    ネパール出身の彼女の影響もあり、彼はヒンディー、英語のほか、ネパール語も少し話すようである。

    遅れて来た母性本能の影響で、このところ小さい子供に関心を持ってしまう昨今のわたしは、ついつい視線が彼に向いてしまう。

    それはそうと、スジャータの手料理はまた、今日もおいしかった。祝祭日の今日、基本はヴェジタリアンである。従っては野菜ばかりの料理だが、十分に満足できる食べごたえだ。

    1606dinner1607diner
    チャナ(ひよこ豆の煮込み)にプーリー(揚げチャパティ)、カボチャの煮込み、カリフラワーのソテー、ジャガイモとトマト、ヨーグルトの煮込みなど。どれも本当においしかった。

    Miho食後は子供の気をひこうと、日本人のおばさまは、サンダルを脱ぎ、地べたに座って、折り紙に精を出す。

    飛行機、ツル、カブト、奴さんなどを次々と作って差し出せば、かなり興味を持ったようで、喜んでいる。

    というか、マドヴァン父の方が、「ミホ、すごいね〜!」と、感嘆している。

    父子で飛行機を飛ばすなどして遊んでいた。

    昨今の日本ではどうだか知らないが、折り紙、海外においては重宝する技である。

    皆が食事を終えて一段落してのち、屋上へと繰り出す。

    毎度おなじみの花火大会である。詳細は割愛するが、今年もまた、大量の花火、爆竹その他を消費したひとときであった。

    1611fire1612fire

    10時近くなっておいとまをし、さて、今夜のお出かけ第二弾。久々にBEC(Bangalore Expatriate Club)の集いに参加するべく、タージ・レジデンシーのアイスバーへ。

    わたしは別に行かずともよかったのだが、アルヴィンドが久々に訪れたいと主張するので付き合ったのだが、主張の大きな理由は、彼女たちの存在だったようである。

    1620彼女たち。クリケットチームのチアリーダーたちが来るという情報を仕入れてのことであった。

    案の定すぎる展開だ。

    今や何人に膨れ上がっているのだかよくわからない会員。

    バンガロールの駐在員の数は年々増えていることは実感しているが、デリーやムンバイなどの他都市に比べて、外国人の比率が著しく増えている気がする。

    night

    ともあれ、今年もこうして、みなが健康に過ごすことができ、インド的新年を共に過ごすことができてよかった。これから先の一年がまた、実り豊かな年であることを祈りつつ。

    HAPPY DIWALI!!

    clip

    【ディワリ:花火炸裂の記録】

    2004年 ●インド彷徨(移住前):花火三昧! ディワリの夜

    2007年 ●全国的に、激しくディワリ  ●ディワリ。熱く激しく爆裂の宵。

    2008年 ●一足お先にハッピー・ディワリ! 花火三昧の夜。

  • U01view

    一昨日、無事に「新婚旅行:第二」を終えてムンバイに戻って来た。採用当初から問題が尽きなかったムンバイのメイドのヨギータは、自然消滅的自主解雇。従っては、昨日は、家事に明け暮れた。

    インド以前は「当たり前」にやっていたことなのに、たかだか荷解きをして、洗濯や掃除をするだけで、不条理にもたいそうな仕事をしてしまった気がする自分がいやである。

    ところで今日は先ほど、歯科へ行った。インプラントをすべく、抜歯である。

    「不爽やか」な話題につき、詳細は割愛するが、ともあれ前回の抜歯は30分ほどですんだのが、今回は諸事情につき2時間近くもかかった。麻酔がかかっているとはいえ、かなり辛かった。

    歯科治療を受ける時、いつも思う。ジュリア・ロバーツの口を借りたい、と。

    ところで歯科医。わたしと同じ世代(もしくは若い)と思しきインド人男性である。腕前がいいことは、なんとなくわかる。ついでにプライドが高い優等生タイプだということも、なんとなくわかる。

    その彼が、抜歯に奮闘しながら、言うのだった。

    「ミホ、大丈夫? ちょっと辛いかもね。でもね、僕にとっても、いや、むしろ君以上に、これは拷問なんだよ。本当なんだってば。でも、これが仕事だから仕方ないけどね……」

    かなり不思議な弱音の吐き方、である。珍しい感情表現をする医者、だとも言える。

    屈折した表現で、わたしを励ましていると解釈したほうがいいのだろうか。確かに、わたしは口を開けているだけでいいが、彼は何だかんだで格闘しているわけで、確かに辛かろう。

    しかし、麻酔が切れた現在、鎮痛剤も効かず、結構な痛みに苛まれている我が現状を、彼は慮っているのだろうか。何やら、悔しい思いだ。

    だいたい、昼ご飯も「アイスクリーム」を食べたのみ。お腹が空くが、何も噛めやしない。

    それにしても我が歯。幼少のみぎりより、歯科とは切っても切れない縁である。

    哀しいかな、現代人的軟弱な顎と歯しかもっていないにも関わらず、古代人のように、硬いものや粘着性、歯ごたえの強いものを好むから、歯がついていけないのかもしれない。

    と、このごろは、思う。

    気を紛らわすためにも、今日はウダイプール旅の記録をしっかりと残しておこうと思う。

    hospital

    2001年7月。結婚式のために初めてインドを訪れ、デリーで一連の結婚式イヴェントを終えたわたしたちは、新婚旅行先であるラジャスターン州はウダイプールヘと赴いた。

    しかし、わたしの体調が劣悪で、「すばらしい場所」であったはずにも関わらず、「辛い思い出」ばかりが蘇ってしまう、それは無惨な新婚旅行であった。ということは先日、克明に記した

    なにしろ結婚式の写真を整理し、ウェブサイトに記録を残したのは、結婚から2年目も過ぎたあとである。やる気がないにもほどがある。新婚旅行の記録も便宜上、残してはいるが、少しも楽しそうではない。

    今回、夫の発熱というトラブルに見舞われたものの、予定を先延ばししてまで、2泊3日新婚旅行第二@ウダイプールを決行した。

    新婚旅行時よりは1泊少なかったにも関わらず、心に深く刻まれる瞬間の多い滞在となった。同時に8年前、自分がどれだけ辛かったかが、今更ながら、よ〜くわかった旅でもあった。

    さて、写真もたっぷりと撮影し、本日の記録は一段と長くなりそうだが、お付き合いいただければと思う。

    ※大長編となったので、トップページの記録を1件だけにしています。過去の記録は、右の「最近の記事」や「アーカイブ」からご覧ください。

    U59tour

    ●10泊のデリー実家滞在。家族のことなど。

    5泊の予定が10泊もしてしまった実家滞在@ニューデリー。長いと思っていたが、しかし、思いがけず多くの人と会うこともでき、意義深い滞在となった。

    ロメイシュ・パパには夫婦喧嘩の仲裁をやってもらったりと、なにかと心労をかけてしまったが、まあ、家族である。持ちつ持たれつである。

    とはいえ別れ際、それなりに心苦しく思っている嫁は、

    「パパ、いろいろと迷惑をかけてごめんね」

    と挨拶をした。そうしたら、

    「家族なんだから、迷惑とか、ごめんなさいとか、そういう風に思うことはないんだよ」

    と毎度やさしい。わたしは、インド家族と関わるようになって、本当に学ばされることが多い。義姉スジャータも、これまで何度となく、我々のことについて相談に乗ってくれたものだ(どれだけ問題の多い夫婦だ)。

    ちなみに続柄上、「義姉」と書いているが、スジャータはわたしよりも、5つも年下である。ということをすっかり忘れていた。とほほほ。

    インド家族の寛大を思うとき、日本の母のことを思う。たとえばときに、母から「迷惑をかけてごめんね」と言われることがある。それはわたしにとって、迷惑、という類いのものではないので、そう言われると、むしろ心苦しい。

    ということを、本人にも伝えているのだが、「迷惑をかけないようにしなきゃ」と言う。一生懸命に一人で生活してくれているのは喜ばしいが、「迷惑をかけないように」というところが、寂しいようにも思う。

    家族なんだから、迷惑をかけあったって、いいではないか。持ちつ持たれつでいいではないか。

    悪意があって問題を発生させたというのなら話は別だが、さもなくば、気を遣いすぎたり、迷惑を恐れたり、することはないではないか、とこのごろは思う。

    損得勘定なしで、助け合ったり、支え合ったりできる、家族の絆が実現できていれば、それはとても幸せなことだと思う。こんな風に思うのは、わたしが歳を重ねたせいかもしれないが。

    尤もこういう思いは、「双方が合意している上で成り立つ」ものであり、どちらか一方がそのつもりでも、一方がそう判断していなければ、行き違いが発生してしまう。

    よくよく考えると、日本人の多くは「他人に迷惑をかけない」ことを尊ぶ意識が強い。一方のインド人。他人の迷惑に対して、非常に寛大なように思う。それに伴い発生する問題はまた、別として。

    また話がそれた。この件については、また改めて綴るとして、とっととウダイプールの話題に移ろう。

    U04air_2U05air

    ●初日:デリー発、キングフィッシャープロペラ機でウダイプールヘ!

    デリーの国内線空港が改築されていたことはデリー到着時の記録に記した。

    出発ロビーもまた、かなり「近代的ムード」に変わっており、レストランやショップが充実していた。FabIndiaやGood Earthの店舗も並んでいたのには驚いた。

    さて、久々に、キングフィッシャー航空便にての旅である。テーマカラーが「赤」の、そしてフライトアテンダントがミニスカートの、おなじみ派手なエアラインだ。

    ウダイプールは観光地である。飛行機に乗るのは主には観光客ばかりで、乗客数も多くはない。つまりは、小型のプロペラ機である。

    プロペラの音が間近に聞こえてうるさかったが、それなりに快適な空の旅、であった。

    これまで、数多くの土地を旅して来た。たとえ20年前の旅ですら、かなり鮮明に旅の情景を思い出すことができる。しかし8年前の新婚旅行の記憶は「断片のみ」で、たとえば空港の様子さえ、思い出すことができない。

    ただ、以前よりも「かなりきれいになっている」ような気がする。一日に数便しか離発着しない空港の割に、そこそこの広さもある。駐機場から歩いて空港ビルディングに向かう「こぢんまりとした感じ」が楽しい。

    U07airU08
    あいにくの曇天だが、暑すぎもせず、湿度もほどよく快適だ。日射照りつける晴天よりも、むしろこれくらいの気候の方がありがたい。

    U09roadU10road
    空港からウダイプールの市街までは27キロだという。インドではたとえ27キロでも悪路ゆえ、1時間を超えることも多々あるが、ハイウェイはかなり整備されていて、速やかだ。

    しかし、牛がごろごろしている光景は、インドならではである。途中の風景はまったく記憶になく、すべて「初めて見る光景」のようである。前回は車内で爆睡していたものと思われる。

    ラジャスターン州のウダイプールは、1567年、時の藩王だったマハラナ・ウダイ・シンによって創られた街。ウダイ・シンは、当時宮殿のあった20キロほど離れた場所から「うさぎ狩り」のため、ここを訪れていたという。

    あるとき、聖人から告げられた「その、あなたが今、立っている場所に城塞を建てなさい。そうすれば、家族は守られ、あなたは成功をおさめるであろう」という言葉に従って、湖畔にあるパレス(宮殿)を建立したとのこと。

    ウダイプールをおさめてきた歴代マハラナにまつわる逸話は数多い。ウダイプールは数々の侵略にも屈せず、独立を貫いた唯一の藩であったとのこと。

    mist

    さて、目的のホテルは、人工湖であるピチョーラー湖に浮かぶタージ・レイク・パレス (Taj Lake Palace)

    1746年にマハラナ・ジャガト・シン2世によって建てられたもので、かつてはマハラナやそのゲストの夏の宮殿として利用されていたという。

    ところでインドでは、他の藩の藩王は「マハラジャ」と呼ばれているが、ウダイプールでは「マハラナ」(武王)と呼ばれている。

    ムガール帝国時代から英植民地時代に至るまで、ウダイプールの藩王は頑として侵略されることを拒み、自主独立を堅持。自ら戦地に赴いて敵と戦ったことに由来しているそうだ。

    ちなみにマハラジャ制度は現在では廃止されているものの、各藩のロイヤルファミリーは依然として存在し、地元社会に影響を与えているようである。

    U12boatU13boat
    さて、湖畔の船着き場に到着。8年前とは場所が変わり、雰囲気がグレードアップしている。

    8年前はよたよたとした感じのボートだったが、今回は「プチ遊覧ボート」な雰囲気。船頭さんは、なぜかヴェネツィア風だ。

    ちなみに彼は似合っていたが、この後、ボートに乗るたびに、「そのコスチューム、似合わなさすぎ!」な「ぼってり体型の船頭さん」に多数遭遇。

    U14boatU15boat
    写真左上は、湖に浮かぶレイク・パレス。写真右上は、湖畔のパレス。パレスの一部はホテルやレストランになっており、現在も一画に暮らすロイヤルファミリーによって経営されている。

    ところでこの湖、今はモンスーンの時期とあってか、水が豊かで情景麗しい。船頭曰く、2003年は水不足で湖が干上がり、自動車でレイク・パレスまで行き来していたとのこと。それではあまりにも、風情がないというものである。

    U16welcomeU17welcome
    さて、インドのラグジュリアスなリゾートホテルでは定番の、ホテルスタッフからの慇懃なお出迎えだ。

    額に歓迎のビンディをつけてもらう。確か前回はマリーゴールドのレイを首にかけてもらった気がするが、今回はなし。ともあれ、冷たいおしぼりを供され、ウェルカムドリンクをいただいている間、チェックインが進められる。

    このゆったりとした歓待のされ方が、とてもうれしい。

    さて、ホテルであるが、全体的に改装されており、快適さが向上しているようだ。パレスが備える昔ながらの意匠を守りつつ、調度品をはじめとするインテリアを変えることで、洗練度や居住性を上げているように見受けられる。

    U18roomU20room_2
    通されたのは湖越しにパレスが眺められる部屋。窓辺のソファーが何とも言えず心地よい! 

    新婚旅行のときには、披露宴のゲストにたまたまこのホテルのマネージャーが出席していたことから、スイートにアップグレードしてもらえた。しかし、狭いながらも、改装後の現在の部屋の方が、かなり快適で心地よい雰囲気だ。

    正直なところ、旅行先を決める前は「ウダイプールはもうすでに行ったし……」と、別の土地を訪れたく、さほど乗り気ではなかったのだが、この向上ぶりからして、来てよかったと思う。

    U21room_2U22room
    バスルームにはローカルの工芸品で作られたコットン入れやティッシュケース、ソープディッシュなどが配されていて、かわいらしい。

    遅めのランチをとろうと思ったが、その前にロメイシュパパが持たせてくれた赤ワインで乾杯。わたしが、GROVERの赤ワイン LA RESERVE がおいしいと言ったところ、早速数本を調達して来てくれていたのだ。

    ランチはインド料理、コンチネンタルと二つあるダイニングのうち、コンチネンタルのJHAROKHAにて。新婚旅行時にアルヴィンドを撮影したときと同じテーブルにて、今回はわたしが被写体である。

    ■2001年:新婚旅行時の記録と写真:今回の内装がかなり向上していることがわかる。

    U24wine_3U23lunch

    内装が向上したのはいいが、メニューを開いてその値段の高さに愕然とする。

    8年前はさておき、移住前の2004年から2005年にかけて、インド各地を訪れ、タージやオベロイ、リーラといった高級ホテルに滞在してきたが、宿泊費も食事代の相場も、先進国の同レヴェルのホテルよりは安かったように記憶する。

    ムンバイのタージマハル・パレスのダイニングでも、「米国に比べれば安い」と気軽に食事をしていたものだ。しかし、ここ2、3年のうちに、値段は「倍以上」に上がっている。

    以前、タージマハル・パレスで「路上スナック」なダヒ・バタタ・プリが高いことに目を見張ったが、今日はグラブジャムンの値段に愕然とした。

    Umenuダヒ・バタタ・プリをしのぐ、なんと550ルピー。

    ちなみにラスマライも550ルピー。

    1000円以上である。

    道ばたでは10円とか20円で売っているものがである。

    いくらなんだって、これはないだろう。

    グラブジャムンがこれだから、他の料理も推して知るべし。

    原価激安なはずのヴェジタリアンのサンドイッチが650ルピーから。やはりヴェジタリアンのパスタ一皿が900ルピーから。

    とはいえ、せっかくのラグジュリアスな旅である。

    いっそルピーを「日本円」と捉えてメニューを見ることにした。それでもなお、特にデザート類は高すぎるが、注文しなければいいだけの話である。

    さて、二人してひとしきり、値段の高さについて意見を交換したのち、サンドイッチとサラダを注文した。料理はそれなりに美味であった。途中でシェフとレストランマネージャーが挨拶に来た。

    よほど、「料理の値段、高過ぎです」と言いたかったが、今日のところは、いわずにおいた。

    U25maha_4U26garden_2
    U27gardenU28garden
    U29gardenU30garden
    さて、食後は、まだ体調が完全に戻りきっていない夫と、実家滞在でそれなりに疲れていた妻は、ベッドに横たわるが早いか爆睡。

    小一時間ほど仮眠をとるつもりが、目が覚めたらすでに午後6時。3時間ほども眠りこけていた。従っては、「館内巡りツアー」や「レイク・クルーズ」に参加し損ねたが、それは明日に回すことにする。

    U32view
    外へ出ると、雲間からほんのりと青空がのぞいていた。そして小さく、虹のかけらが! 

    U31room_2U33dance
    夜は持参のサリーに着替え、ホテル内で行われているダンスのパフォーマンスを見にいく。

    U33viewU35night
    U34wineU34miho
    スパークリングワインを飲みながら、ダンスを眺めながら、湖面を渡る風は心地よく、暑すぎもせず、本当にいい気分である。

    ダンス鑑賞のあとは、ホテル内を散策。麗しい夜景に見入り、二度目の来訪(夫は三度目)が実現できたことを喜びつつ。軽めの夕食をすませ、一日を締めくくった。

    U36view

    ●2日目:湖畔のパレスを見学。夕刻は、ホテルツアーや湖上クルーズなど

    目覚めれば、窓からまばゆい光がこぼれている。朝日がきらきらと湖面に反射している。曇天でも構わないと思っていたが、青空を背景に、光を受けて輝く白亜のパレスを目にすると、晴れてよかったと思う。

    U402view

    さて、朝食はやはり、コンチネンタルのダイニングで。世界各国、さまざまな高級ホテルがあり、さまざまな朝食のスタイルがあろうかと思うが、インドのそれは、かなりよいと、個人的に思っている。

    もちろんアラカルトでも注文できるが、基本的には朝食は宿泊代に含まれている。初日は「料理の値段が高すぎる!」と憤ったものの、この点、別料金の場合が多い他国の高級ホテルとは異なるよさ、である。

    数年前までは冷菜、温菜すべてがブッフェとして並んでいたが、最近ではフルーツやシリアル、チーズやヨーグルトなどの冷菜がブッフェで、温菜はメニューから好みのものを注文するスタイルが一般的になっている。

    コンチネンタルに限らず、ドサなどのインド的料理も頼めるところがよい。ちなみにわたしたちは、朝食でインド料理を食べることはないが。

    U41bfU42bf_3U43bf
    スイートライムジュースに紅茶。そしてフルーツなどをあれこれと。温菜は悩んだ末に、スモークサーモンのエッグ・ベネディクトを。

    高カロリーな料理、だとわかってはいるのだが、これがまた、美味なのである。ところで、朝食の途中、給仕が「花の交換」にやってきた。

    タイミング、間違っている気がするが、こういう緩い感じがまた、インド的である。黄色いバラの傍らにあるのは、夫が飲んでいるスイカジュース。これもまた、美味なり。

    restaurant

    さて、前回は訪れなかった湖畔のパレスを、今回は見学しようと思う。ホテルにパレスのガイドを手配してもらい、船着き場で待ち合わせる。長身の、知的な風貌をした青年である。

    ウダイプールに生まれ育ったという彼。丁寧な案内に加え、こちらの質問にも的確に答えてくれる、とてもすばらしいガイドである。

    しかし、ホテルに支払ったガイド料は250ルピー。彼の手に幾ら渡るのかは知らないが、グラブジャムンの半額とは、むしろ安すぎるとさえ思ってしまう。

    この国に暮らしていると、貨幣価値の感覚が乱れて仕方がない。

    U45palace

    船着き場から歩いてパレスに向かう。このパレスはマイソールのパレスに次いで国内2番目の規模だという。ガイド青年曰く、前述の通り、ウダイプールが一度も外部の勢力に屈したことのない唯一の藩であるということがたいへんな誇りのようである。

    愛郷心に満ちあふれた口調で、歴史を説明してくれる。右下の写真は、西暦566年から続いている歴代マハラニの家系図である。

    U44palaceU46palace

    マイソールのパレスもそうだが、このパレスのインテリアを手がけたマハラニもまた、「欧州趣味」だったと見える。インドの伝統工芸と欧州伝統工芸の融合。といえば聞こえはいいが、管理状態が悪く、むしろ安っぽく見えてしまうのが難。

    「これは、ウェッジウッドのタイルです」

    「ベルギーから取り寄せたクリスタルです」

    「このモザイクも、ベルギーからです」

    「このシャンデリアは、フランスのルネ・ラリックです」

    ガイド青年は誇り高く説明してくれるのだが、シャンデリアは埃かぶっている。もっとなんとか、ならんのか。

    U47palaceU48palace_2
    ところで遠目に見ると大きく見えるパレスだが、実はさほどではない。パレス下部の窓がない部分は、実は「岩山」で、岩肌をきれいに覆うことによってパレスを大きく見せているとのこと。いわば、「上げ底」である。

    館内の天井は低く、各部屋の入り口やスペースも比較的狭い。外敵が一気に流入するのを防ぐため、と聞いて納得するが、旅行者で溢れかえった回廊などは、かなり息苦しい。

    0lake_20horse
    館内では、史実を表したいくつかの細密画を見たが、一つの絵画が印象に残った。マハラニ率いる騎馬隊と、ムガール軍の闘いのシーンである。

    ムガール軍は「ゾウ」の鼻に刀をくくりつけて、ウマを切るべく調教し、戦力としていた。その絵画は、流れる時間を同時に表していて、ゾウに後ろ足を切られたマハラニの乗るウマが、3本足で逃げ延びて、マハラニを守った様子が表現されていた。

    マハラニを無事に送り届けた後、倒れて死したウマの様子が痛々しい。

    それはそうと、右上の写真。ゾウの鼻をつけたウマである。ウマの鼻にゾウの鼻をつけることによって、「ゾウ軍隊」がウマを「子供のゾウ」と判断して傷つけることはないだろうと見込んでの、作戦だったらしい。

    ゾウ軍団は、だまされてくれたんだろうか。血で血を洗うはずの戦場が、どこかコメディである。昔から、インドはインド的、だったのだとの思いを新たにしつつ。

    U49palaceU50palace
    インドの観光地を訪れると、必ずと言っていいほど、インド人観光客から「一緒に写真を撮ってください」と頼まれる。

    多くの日本人も経験しているようで、各方面から「一緒に写真を撮って〜って頼まれちゃった。てへっ!」的な話を見聞きする。中にはすっかり「有名人気分」を堪能している人もあるが、率直に申し上げて、それは勘違いだ。

    相手の風貌の善し悪しを問わず、相手は外国人であれば、とにかくは一緒に写りたいのである。

    そんなわけで、わたしもここで2組から、一緒に写真に映ってくれと頼まれた。一人目のおばちゃんは、わたしの肩に、馴れ馴れしく肘を載せて映った。はっきりいって「やな感じ」だが、取り敢えず笑顔で対応した。

    それを見ていたアルヴィンドが、

    「ミホ、なにやってるの? ちゃんと断りなさい。有名人を気取ってる場合じゃないでしょ!」

    あいたたた。そう見えましたか。やれやれ。

    U52palaceU51palace
    U53palaceU54palace
    パレス観光は全館を巡らず、途中で切り上げた。しかしガイド青年にはとてもお世話になった。夫も非常に感銘を受けていて、かなり多めにチップを渡していた。

    パレスにはクリスタル・ミュージアムも併設されているが、人ごみに疲労困憊したこともあり、立ち寄らなかった。下の写真は、クリスタル・ミュージアムと同じ場所にあるダイニングルーム。

    U55dining
    この天井のクリスタルもベルギー製に違いない。以前、ベルギー取材でクノックヘイストという港町を訪れ、カジノに行ったのだが、そのホールに、これとそっくりのシャンデリアを見た記憶がある。

    wine

    さて、ホテルに戻り、ランチをすませ、しばらくはラウンジや部屋でくつろぐ。ホテルに備えてある写真集を眺めたり、本を読んだりしているうちにも、睡魔が襲ってくる。

    昨日のように寝てしまって、うっかり夕方のイヴェントに参加し損ねてはなるまいと、コーヒーを飲んでなんとか覚醒。

    U57hotelU56lunch_2

    さて、午後5時からのホテル内ツアーは、スタッフの女性によって行われた。そもそも小規模なホテルであるから、すでに全館を巡っていたのだが、歴史上のエピソードなどを聞くのは興味深い。

    U60tourU58tour
    U61tour_2U64tour
    U62tourU63tour

    屋根に施された黄色いクリスタルは、やはりベルギーからの装飾らしい。150年以上も前から、ずっとそこにあると思うと、ずいぶんと丈夫なものなのだなと感心する。

    U65tour

    30分ほどのツアーが終わったあとは、バーラウンジに通され、コンプリメントのスパークリングワインでもてなされる。ツアーに参加し、ホテルの歴史を学んでくれたお礼に、ということらしい。うれしい心遣いだ。

    U66tourU67tour_2

    さて、7時からは、ボートで湖上を巡るツアーに参加。湖畔沿いを行けば、ウダイプール市街の様子が見え隠れする。あるレストランの看板に、『007 オクトパシー』毎日上映、とある。

    実はこのレイクパレスや、丘の上にあるモンスーン・パレスは、1983年に公開された映画『007 オクトパシー』の舞台となったのだ。

    U69boatU68boat

    夕暮れの湖上は、吹く風もいっそう心地よく、山間の光景は静かでやさしく、懐かしい場所を彷彿とさせる。

    0palace途中、湖上に浮かぶもう一つのパレスに立ち寄る。

    ここは現在、結婚式のバンケットなどに利用されているという。

    中央にはタージマハルを模した建物もあり、それなりに豪奢な雰囲気である。

    日没のタイミングに合わせたツアーだけあり、ちょうどいい塩梅で、山の稜線に消え行く太陽を眺めることができた。

    前回の旅の際にも、ここを訪れたはずだが、夕日を見たかどうかさえ思い出せない。やはり、新婚旅行をやりなおせてよかったと、改めて思う。

    U71boat

    U70boatU72boat

    さて、夕食はインド料理店、NEEL KAMALへ。「雪辱! タンドーリ・チキン」については、すでに記した通りだ。正直なところ、すっかり今回の旅を堪能しているわたしは、タンドーリ・チキンなど、最早どうでもよくなっていた。

    第一、8年前からは何もかもが変わっている。ダイニングのシェフも明らかに変わっており、あのときのタンドーリチキンを再び味わえないことはわかっていた。

    それでも、せっかくなのでインド料理である。ところでブレッドソーサーは、なぜかヴェルサーチである。

    さて、メニューを見るに、タンドーリ・チキンはなかった。そもそもキッチンにはタンドール釜が見られない。

    ウエイターがお勧めだという魚のグリーンソースカレーと、ホウレンソウと松の実のソテー、それからチキン・ビリヤニ(炊き込みご飯)とロマリ・ロティ(ハンカチーフのように薄っぺらいパン)を注文する。

    インド料理店では、たいてい料理の前に、パパル(パパド)と呼ばれる薄焼きせんべいのようなスナックが出てくるし、付け合わせにタマネギやトマト、ニンジン、キュウリのサラダも出てくるし、そもそもランチが遅くてあまりお腹がすいていないしで、これで十分だと判断した。

    オープンキッチンになっていたので、テーブルを立ち、しばらく調理の様子を眺める。自分たちの料理が作られるさまを眺めるのは楽しい。

    U74dinner_2U75dinner

    が、同時に、「わ、そんなにクリームを入れるのですか?」「え、その塊は、バター?」と、こってりな製法を目前にし、すでに胃が重くなる。家庭料理とは異なり、インド外食の多くは、ヘヴィーなのである。

    ところで、なぜか、ウエイターが超親切。すでにスパークリングワインやらワインを飲んでいて、水以外、飲みたくない状態だったので注文しなかったのだが、

    「これは、レストランからのコンプリメントです」と、モクテル(アルコールが入っていないカクテル)を2種、持って来てくれる。

    さらには、もう一皿、お勧めだと言われたグリーンピーとマッシュルームのクリーム煮を「お味見にどうぞ」と持って来てくれる。さらには、注文時に念のため確認したタンドーリ・チキンを、確かメニューにはなかったはずなのに、出してくれた。

    何が何だかよくわからんが、たいそうなもてなされぶりである。そのタンドーリ・チキンは、はっきりいって、「普通の味」だったが、心遣いがうれしかった。

    そして最後にはインドの甘い菓子を2つ出してくれた。隣のコンチネンタルダイニングでは、550ルピーでチャージしているにも関わらず。

    おまけに、注文したコーヒーは、伝票に加算されていなかった。これもまた、コンプリメントにしてくれたらしい。

    なぜかよくわからないが、あまりにも気前のよいサーヴィスを受けたので、もちろんチップを多めに払い、気分よく、ダイニングをあとにしたのだった。

    U73boat

    ちなみに、料理は全体的に、「おいしかった!」が、「ものすごく、おいしかった〜!!」というわけではない。しかしこの際、そんなことは、どうでもいいのだ。

    一人寂しくキチリ(豆と米のお粥)を食べた8年前に比べたら、ちゃんと、おいしさを味わえただけで、最早大満足である。

    ちなみにこの店のパパルは、かなりおいしかった。たいていはチャナ豆の粉にスパイスを混ぜた生地で作られているのだが、はじめて「トウモロコシの粉」で作られたものを食べた。

    昔なつかしい「とんがりコーン」の味を、より素朴にしたような、とてもおいしいものだった。あのパパルについて、シェフに話を聞いておけばよかったと、今更ながら、後悔。

    ●3日目:プールサイドでまどろむ。市街の喧噪にまみれる。

    2泊3日など、瞬く間に過ぎて行く。しかし、本日ウダイプールからムンバイへのフライトは午後7時過ぎの便を押さえている。つまりは夕方までここでゆっくりとしていられるわけだ。

    U80city_3

    夫が得意とする「交渉力」で、午後5時の「レイトチェックアウト」を実現。空港に向かうぎりぎりまで、ホテルに滞在することができる。

    U76bfさて、今朝もまばゆい湖面越しに湖畔のパレスを眺めながらの朝食だ。

    今朝のジュースも、スイートライム。

    インドではムサンビと呼ばれるこの柑橘類。

    果汁は、その名の通り、ライムのような風味があるにも関わらず、酸味が少なく甘くまろやかな味がする。

    アーユルヴェーダでも勧められているヘルシーで美味なる飲料だ。

    さて、今朝はフルーツなどを食した後、再びエッグベネディクトを注文。

    夫はベルギー風ワッフルを。

    それらを半分ずつ分けて味わうことにした。

    ワッフルもまた、しっとりもっちりとした舌触りで、小麦粉の風味もよく、とてもおいしい。

    パンケーキやフレンチトーストなども試しておきたかったと悔やまれるが、胃袋は一つである。

    U83pool_2U84pool
    朝食の後は、プールサイドでくつろぐことにした。ホテルが小規模であることから、プールも小さい。とはいえ、泳ぐことが目的ではなく、プールサイドのデッキチェアに横たわることが目的なので、問題はない。

    欧米同様、日ざしがガンガン照りつけているあたりは他のゲストに占拠されていて、東屋の日陰に置かれたデッキチェアが空いている。わたしたちにとっては、毎度、好条件である。

    横たわれば、湖面を渡る涼風がそよそよと心地よく、眼前にはパレスが見渡せ、ここもまた、よい場所だ。持参していた本は数ページを読んだきり、またしても寝入る。実によく眠れる我である。

    U80hotelU81hotel

    ふと目覚めれば、もう正午を過ぎている。湖畔の市街を眺めているうちに、やはりウダイプールの街を歩きたくなった。

    前回は、病院に行ったり、牛から辛い仕打ちを受けたりと、いいことがなかったから、今回はホテルで優雅に過ごそうと決めていたのだが、どうもそれだけでは気がすまないらしい。

    夫は喧噪が苦手なのはわかっているので、わたしは一人で行くと言ったのだが、一緒に行くという。

    「途中で絶対、文句言わないでよね」

    と約束して、ホテルを出たのだった。

    U85cityU86city
    ボートで湖畔に渡り、パレスを通過して、市街に出る。通りの両脇には土産物屋や商店がひしめき合い、オートや二輪がせわしなく行き交い、下校中の子供が歩道を占拠し、バックパッカーな欧米人ツーリストが店頭を冷やかし、たいへんな喧噪だ。

    それにしても、インドのバックパッカーの人たちは、どうしてみな、揃いも揃って同じようなファッションなのだろう。

    インド女性が身につけることのない、しかしインドで入手できるところのニッカポッカのようなだっぽりしたパンツに、タンクトップのTシャツ。木綿のずた袋的バッグを斜めがけにしている。

    洗濯しやすいからだろうか。ともあれ、まるでユニフォームのようで興味深い。

    U89cityU90city

    歩道をそぞろ歩いていたら、突然、背後から後頭部を強打された。驚いて立ち止まったら、諸手を広げて走り去る10歳ほどの少年。

    わざとではないにしても、あれだけひどくぶつかったら、立ち止まって謝るのが筋だろう。ところが、そのまま走り去っていく。

    反射的に、追いかける我run

    少年の肩をぐいとつかむ。

    驚きの目でわたしを見つめる少年。

    「あなたの腕が、今、わたしの首の辺りに力一杯ぶつかったの、気づかなかったの? そんなはずはないわよね。ぶつかったら謝るのが礼儀でしょ!」

    まるで、自分はぶつかっていない、無実だと言わんばかりのイノセントな目で見つめる少年。なんなのだ、この無垢さは。

    と、一部始終を眺めていたらしき、どこぞの店のおじさんが、近づいて来た。

    「まあまあ、マダム、落ち着いて。確かに全速力で駆けてあなたにぶつかった彼は悪い。わたしからも、よ〜く言っておきます。これからは、ゆっくり走りなさいって。ともかくは、子供のしたことですから、許してやってください」

    なにやらポイントがずれている気がしないでもないが、しかし、またしても、我に返らせられる。

    このおじさんにとって、この少年は他人の子である。にもかかわらず、まるで自分の身内に対するような親密さとやさしさを漂わせている。

    走りの速さの問題ではない。ぶつかって知らん顔をしていることが問題なのだ。と思っていたのだが、なんだかもう、そんなことはどうでもいいような気がして来た。

    U87cityU88city
    さて、いくつかの土産物店に立ち寄り、しかし、特に買い物はせず、ただ、細密画の専門店で、ウダイプールを舞台にした絵と、ゾウの絵を購入した。今回の旅の思い出である。

    さて、そろそろホテルに戻ろうか……と話していた矢先、菓子屋の店頭で大量グラブジャムンを発見! 思わず吸い寄せられる夫。「路上もの」にも関わらず、食べる気らしい。

    U91city_2U92city
    ちなみに左の大鍋は油で揚げているところ。右の大鍋は、激甘大量シロップに浸しているところ。

    1皿2個入りで5ルピー。ホテルのグラブジャムンは550ルピー。価格差110倍!!

    それはさておき、この揚げたてグラブジャムン、ほくほくとおいしかった。しかしわたしは1個でよい。しかし夫はもう少し食べたいと、もう1皿を頼み、一人で都合3個を平らげた。幸せそうである。

    U93hotelU97hotelU96hotel
    さて、ホテルに戻りしのちは、もう一度、パレス内を散策する。それぞれに、お気に入りの場所で記念撮影をしたり、眺めを楽しむ。

    ホテルのスタッフも積極的に、「写真を撮って差し上げましょう」と申し出てくれる。

    U94hotelU99hotel
    そして瞬く間にチェックアウトの時間となる。

    最後に、エントランスでの写真を撮ってくれた女性のスタッフが、「この次は、いついらっしゃいますか?」と尋ねる。

    「多分、10年後くらいに」と答えた。

    この8年が、瞬く間だったのだ。10年後も、瞬く間に訪れることだろう。そのときグラブジャムンは、いったいいくらになっているのだろう。

    そんなことはさておき、本当に、よき滞在だった。

    最後のボートは、夕暮れの風が清々しく、殊更に気持ちよかった。この空気を伝えたく、ボート上から、携帯電話で日本の母に電話をした。

    ざわざわという風の音と、ボートのエンジンの音が、聞こえたようだった。

    Final_2

    さて、新婚旅行を仕切り直したことだし、これからまた、夫婦仲良く、力を合わせて、がんばっていきたいものである。

  • 07indus14

    ●INDUSの勉強会で、インドの伝統的な刺繍を学ぶ。

    遥か紀元前2000年を遡る古(いにしえ)より、受け継がれて来た刺繍。インドでは、地方や民族、コミュニティによって、それぞれに、独自の刺繍文化が栄えて来た。

    その一端を知るべく、刺繍の研究家によるレクチャーを受ける。インドの刺繍糸は、従来から野菜など天然の染料で染められており、素朴ながらも力強く鮮やかな色彩だ。

    ミラーワークが印象的な遊牧民を起源とするラバリの刺繍、動物たちをモチーフにしたシンプルなアヒ刺繍。貝やタッセルを使ったジプシーを起源とするバンジャーラの刺繍。

    そして、ここでも幾度か紹介してきたチカン刺繍、カンタ刺繍。その他、ダンワリ、カッチ、バンニ、フルカリー……。

    ミラーワークは、子どもを「悪魔の目」から守るために施されたのだといった話や、ダウリ(持参金)のかわりに、刺繍製品をたっぷりと作り、嫁入り道具にする民族があるのだという話などを聞きつつ、刺繍を通して垣間みるインドの多様性。

    本日、目にした刺繍製品の一例を、取り敢えず掲載しておこうと思う。

    07indus0107indus02_2
    07indus0407indus07
    07indus0607indus03
    07indus0807indus05
    07indus0907indus12
    07indus1107indus13

    ●テロのその後。ついにはSEA LOUNGEも再開

    2004年4月。初めてムンバイを訪れ、初めてTHE TAJ MAHAL PALACEに泊まって以来、このホテルのことをとても気に入っていて、中でもオールドウィングにあるSEA LOUNGEは、館内で最も好きな場所だった。

    窓辺の席に座り、インド門やアラビア海を眺め、周辺を行き交う人々を眺め、一方で、優雅なひとときを過ごすラウンジの人々を眺め、清濁、貧富、入り乱れるムンバイを眺め、あれこれと思い巡らせながら。

    07taj04

    昨年の11月26日のテロにより、多くの命が奪われ、甚大な被害を被ったこのホテルは、しかし徐々に再建へ向けての作業が進められ、5月にはこのSEA LOUNGEも再開していた。

    なかなか足を運ぶ機会がなかったのだが、今日、ようやく訪れ、一人でゆっくりと、午後のひとときを過ごしたのだった。まるで何事もなかったかのように、あのテロが、まるで夢の中の出来事のように。

    07taj01_207taj02
    07taj0507taj03

    以下は、昨年のテロの直後にTHE TAJ MAHAL PALACEの写真や映像を組み合わせて作ったもの。改めてここに貼りつけておく。ちなみにWASABIはまだ、営業を再開していない。(←と思っていたのだが、最上階のランデブーにて、すでに営業していました!)

    ●出会ってから13年記念日と、算数&数学の問題。

    妻「おめでとう!」

    夫「え? 何が?」

    毎年、朝目覚めたら、一応、おめでとう言ってみる。すると、なにがめでたいのか覚えていない夫が動揺する。

    「あ、そうそう、今日はインドで結婚式をやった日だね! おめでとう!」

    違うっちゅ〜に。

    その頭脳の出来具合と学歴を鑑みるに、どう考えても数字に強いはずの夫である。

    にも関わらず、なぜ小学5年の算数の、「速度」や「割合」で小さな挫折を見たのをきっかけに、その後、「方程式」「関数」「因数分解」で、中ぐらいの挫折を見、中学、高校とで数学全般ぼろぼろとなり、だましだまし生きて来たわたしよりも、その簡単な数字の並びとその意味を覚えられないのだろう。

    覚えたくないんだろう。

    覚えたくないにしてもだ。

    そこまで忘れることもないだろう。

    ちなみに彼は、自宅の電話番号や郵便番号などもなかなか覚えず、いつもわたしに聞く。わたしはいざというときのために、大切な電話番号などは記憶しておく習慣があるのだが、彼は携帯電話のメモリー機能に頼りっぱなしなのである。

    ……と、折しも、夫が今、神妙な顔つきで、ドキュメントを見ている。そこには無数の数字が並んでいる。

    「ねえ、アルヴィンド。その数字、何?」

    「明日の打ち合わせに備えて、データを覚えてるんだよ」

    「すぐに覚えられるの?」

    「いや、覚えられない。だから何度も見直すんだ。僕は、数字を覚えるのは嫌いなんだよ」

    「え〜そうなの? でも学生時代は、数学が得意だったんでしょ? 今だって数字を扱う仕事じゃない?」

    「僕が専門にやってきたのは、ロジック(理論)や分析。そっちは得意でも、覚えるのはまた別問題。覚える仕事は、会計とかそっちの方だよ」

    「仕事でも、数字を覚えればいいってもんじゃないんだよ。ちょっと邪魔しないで」

    ……! そうなんですか??!!

    誕生日や記念日や電話番号を覚えるのが苦手なばかりか、他の数字の記憶も苦手だったとは!! 

    今更ながら、わたしは何だか、勘違いをしていたようである。というよりは、無知だったようである。頭脳明晰な人とは、記憶力の善し悪しが大きく影響していて、ことに理数系においては、などと思い込んでいたが……。

    学問的優秀は、機械的な記憶力の問題ではなく……、勉強とは、もっと方法論を突き詰めて、行うべきことだったのかもしれない。

    そんなことは、実は漠然とだが、わかっていた気がする。わかっていたが、実践にはなんら、移せなかった学生時代だった。

    たとえ時間がかかっても、「質問」→「答え」に急ぐのではなく「質問」→「プロセス(課程)」→「答え」といった具合に、プロセスを経て、そのプロセスを理解した上で答えに至るべきだったのだろう。

    その理由付け、分析力が備わっているからこそ、数字を「丸覚え」するのではなく、導きだすことができたのだろう。

    わたしはあまりにも、当たり前のことを書いているだろうか。

    ともあれ、漠然とだが、わたしは夫に対して勘違いをしていたということに、改めて気がついた。バックグラウンドも、業種も、なにもかも違うわたしたちだが、実は似ているのかもしれない。

    「インド式算数」が、一時日本でも流行っていたようだが、流行の方向性が、大きく間違わないことを祈るばかりだ。

    さらに言えば、「インド人は二桁のかけ算を暗記している」などとまことしやかに言われているが、そんなことはない。そんな人もいるかもしれんが、夫が覚えているのは12×12くらいまでである。

    ちなみに、超優秀なサイエンティストである義兄ラグヴァン博士でさえも、「14×14程度までは暗記しているけど」とし、「そんなにたくさん暗記する意味、ないし」と言っていた。

    暗記ではなく、ロジック(理論)によって、頭の中で計算し、答えを導きだすことはできるという。

    わたしが「算数が苦手」だと感じるようになったのは、小学校5年の、ある算数の授業での、担任の先生の、今考えたら本当に、あり得ないほど忌々しい「宣言」が理由だった。

    あの日から、わたしの中で「算数は、苦手な科目」として刷り込まれてしまった。いいわけのようだが、子どもにとって、先生のネガティヴな言葉は、その人の将来を大きく左右する威力がある。

    あのとき、27歳の男性教師は、なにを根拠にあんなことを言って、子供たちを恐怖に陥れ、算数嫌いの子供たちを作ってしまったのだろう。話が長くなるので、具体的な先生のコメントを記すのは控えておくが。

    算数だけではない。あらゆる面で、わたしは彼から冷酷な仕打ちを受けた。そのときは、自分が欠陥のある人間だとしか思えなかった。人に対して思いやりのない、協調性のない、自己中心的な悪い人間だと。そして実際、そうだったのだろう。

    「生徒の力を伸ばす」のではなく、「可能性を根こそぎ叩きつぶす」ような人だった。いかん。30年以上も前の話が、鮮明に蘇りすぎた。

    restaurant

    話が大いにそれたが、出会い記念日である。今夜は夫の好物であるところのチキンカツをたっぷりと揚げ、「出会い記念日」を祝したのだった。食後は、マンゴー(チョーサー種)をデザートに。

    ちなみに我々の出会いのいきさつに関しては、3年前の記録に残している。

    あの3年前から、もう3年もたってしまったのか。

    月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。(by 松尾芭蕉)

  • 25kashii06_2
    (写真)講演会に足を運んでくれた同級生たち。平日の朝っぱらから来てくれて、ありがとう!! 久しぶり会えてうれしかった〜! (ここに写真、載せていいか確認せんかったけど、いいやろ? せっかく写真館の人が撮ってくれたけん。もし顔が出て都合が悪かったら、連絡して〜。顔のところば消すけん)

    clip

    本日は、母校である香椎高校の創立記念88周年の創立記念日だった。記念講演は、つつがなく終えることができた。実に、濃密な一日だった。

    午後、用事を終えて帰宅し、テレビのニュースから「福岡市内で新型インフルエンザ初の感染者」のニュースが流れた。志免町は、香椎高校の学区内である。つくづく、休校にならずにすんでよかったと思う。

    25kashii05

    講演は、体育館で行われた。パワーポイントを映し出すためのスクリーンも大きく設置され、演壇も麗しく、整然としたムードである。1100人を超える生徒と関係者が参加しているが、会場が静かなのに驚く。

    合計90分のうち、最初の20分は、わたしが昨年登場したテレビ番組『世界に嫁いだ日本女性/密着!海外仰天ライフ』のDVDを流してもらう。

    その時点で、すでに居眠りを始めている生徒数名。

    こらっ、ここですでに寝るか! 早すぎるやろ!

    と揺さぶり起こしたい衝動にかられつつも、気を取り直して壇上に上がる。

    自分が着用しているサリーの話にはじまり、インドの概要、それから高校を卒業してから今日に至るまでの、わたし自身の軌跡についてを、写真や文章を織り交ぜながら、話した。

    壇上から見ると、真剣に話を聞いている人と、ぼんやりしている人と、寝込んでいる人と、それぞれの様子が、館内が薄暗いとはいえ、かなりよくわかる。

    自分としては、かなりユニークかつ情熱的に、さまざまを話したつもりである。しかし、今の高校生たちに、どこまで何が伝わったのか、それは正直なところ、よくわからなかった。

    ただ、数少ない人たちでもいいから、少しでも、何かのメッセージが引っかかってくれれば、と願う。

    school

    生徒たちは、お行儀がよく、態度もよかった。自分たちが高校生の時のような「悪そう」な子が見当たらないのが新鮮だった。ただ、善し悪しは別にして、

    「ここは笑うところやろ!」

    というところでも、笑いの反応が全く得られなかったのは、かなり寂しかった。

    壇上と生徒たちの間に、感性の差異、世代の差異という川が流れているような気もした。わたしが一人で熱すぎる気もしたが、途中で路線を変えるわけにも行かず、取り敢えず自分の世界を押し通した。

    25kashii01_225kashii02
    25kashii04_225kashii03_2

    高校時代の写真が映し出されたとき、笑い声が聞こえた。その「旧式なファッション」に受けているのは、同級生たちであった。

    わたしには子供がおらず、普段、日本の高校生と関わる機会もなく、今の高校生の事情がほとんどわからなかった。つまりは自分が高校生の時のことを思い出して、あのときの自分に語りかけたいことを話にしたつもりだった。

    だが、時代は確実に移り変わっていて、人々が興味を持つ対象も移り変わっていて……ということを、肌で感じさせられた。

    25kashii0725kashii08

    さて、講演のあとは、校長先生や同窓会の役員の方々、そしてわたしの母や妹夫婦を交えてのランチ。今日の再会で最も印象に残っているのは、篠崎先生との対面だ。

    25kashii09篠崎先生(右の写真)の姿を認めた途端、

    「先生〜〜!」

    と言って、握手だけでは足らず、ついついハグをしてしまったら、

    「なんしようとや!」

    と押し返されてしまった。

    いかん。

    ここは日本である。

    しかし、ハグしたい衝動にかられるほどに、26年振りの再会は懐かしく、思いがけず、うれしいものだった。篠崎先生は現在退職し、自宅で「農業」をしていらっしゃるとのこと。ともあれ、相変わらずお元気そうで、なによりである。

    篠崎先生は体育教師だった。一時期、わたしのいたクラスの副担任だったこともあり、よく顔を合わせていた。いつも竹刀を持ち歩き、振り回し、わたしが何も悪いことをしていない(はず)にも関わらず、しょっちゅう竹刀でぶたれていた。

    「なんで先生、殴ると〜! もう、すか〜ん!」

    と、しょっちゅう文句を言っていたものである。ぶたれる理由は覚えていないが、竹刀の痛みは覚えている。不条理である。

    学年の同窓会評議員代表の任務をわたしに押し付けたのも、篠崎先生である。その経緯は、同窓会のホームページのコラム(←文字をクリック)にも記している。

    篠崎先生から言われたことで、忘れられない言葉もある。卒業当時、高校の国語の先生になると言っていたわたしに、他の生き方を示唆してくれる言葉をくれたのは、先生だった。

    ご自身も香椎高校の卒業生で、香椎高校で何十年も教鞭をとっていた先生が、しかし教師以外の道の可能性を知らしめてくれたことは、わたしの心にきちんと刻まれていた。

    そのときのエピソードもここに記している(←文字をクリック)。

    講演もさることながら、この食事中の、年配同窓生の方々との会話が面白かった。こてこての博多弁が懐かしく、わたしの口からも速やかにこぼれ出る。三つ子の魂百まで、である。

    「お前は逆らってばっかり、おったもんなあ!」

    と篠崎先生は言う。わたしは、何に逆らっていたのだろう。自分では逆らっていた記憶はないのだが……。自分では理由なくぶたれていると思っていたが、どうやら理由あってぶたれていたようである。

    「先生、今、あんなことしよったら、学校におられんくなるやろ?!」

    と、言わずにはいられない。そう思っているのはわたしだけでは、当然ないらしい。

    「今やったら、警察につかまっとうばい!」

    などと、卒業生から、よく言われるらしい。そりゃそうだろう。

    みなで弁当を食べながら、話は過去に遡る。

    「生徒を張り飛ばして鼓膜ば破ったこともありますけんね。で、近所の病院の先生も、事情をわかっとうけん、篠崎先生に殴られたんなら、お前が悪い、ってことになりよったとですよ」

    と篠崎先生。前時代的ダイナミックな発言が飛び出して笑いの渦。などと笑っているのはまた、野蛮きわまりないのだろうか。

    「オレの甥がインドに住んどって、こないだマンゴーば送って来た。ありゃ、こっちじゃ高いらしいな」

    と篠崎先生。

    「え? インドにお住まいなんですか? どこです?」

    「知らん。だいたい、オレがそれを知ってどうするとや?」

    「え〜、同じ都市に住んでらしたら、わたしが挨拶とか、できるじゃないですか。どこの会社ですか?」

    「○通」

    「お名前は?」

    「○○内」

    そんなわけで、インド○通の○○内さん。わたしは篠崎先生の教え子であります。先生からは、「マンゴーがうまかった」といったコメントは一切ありませんでしたが、さておき、本当に情熱的で、心に残る先生でした。今日、先生にお目にかかれたことは、本当にうれしかったです。

    25kashii1025kashi11_2

    食事の後は、秋に行われる一大同窓会の役員を担当してくれている同級生ら数名とおしゃべり(打ち合わせ)をし、その後、「服飾デザイン科」のクラスへ、サリーを見せるために立ち寄る。

    以前は「被服科」と呼ばれていたこのクラス。当時から公立高校にしては珍しい特別なクラスだったが、今でも評価が高いのだという。文化祭の時のファッションショーは、メインイヴェントであったが、それは今も変わらないらしい。

    25kashii1325kashii17
    25kashii1425kashii16

    ちなみに被服科の木村先生(旧姓末安先生)は、わたしが在校時にいらした新任の先生だった。講演が終わって、体育館から外へ出る時に、先生の姿を一目見て、すぐに末安先生とわかって感激した。

    彼女は当時、バスケット部の副々顧問で、たま〜に練習を見に来てくれていた。末安先生とおしゃべりしていたときの忘れられないエピソードもある。

    わたしが先生に向かって、「大人になって、歳をとるって、どんな感じ?」って尋ねたことがあった。

    先生は「20歳になったら、22歳とか23歳とか、目上の人がいるし、25歳になったらなったらで、まだ目上の人がいるし、ずっと自分は若いって気持ちでいられるよ〜」

    とわかるようなわからないようなことを、のんびりとおっしゃった。

    でもその会話が妙に心に残っていて、折に触れて「歳上の人間がいる限り、自分は若い」と発想することができた。面白いものである。

    サリーを着たいという人に簡単に着付けをしたり、サリーの説明をしたり、実際に手に触れてもらったりし、楽しいひとときである。

    大人数で話す機会を得られたのは貴重だが、こうしてみなの顔が見渡せ、直接に反応が得られるスケールでのレクチャーもまた意義深いのではなかろうかと思われた。

    25kashii12
    校門の前での記念撮影。左から同窓会会長、篠崎先生、そして右端が森永校長。

    25kashii20_2
    いただいた花束の芍薬(ピオニー)があまりにも美しくてうれしい。大好きな花の一つ。

    25dinner_2夜は天神まで、友人らと夕食に出かけた。

    さすがにサリー姿では目立ちすぎるので、服は着替えた。

    高校卒業以来、なんら接点がなく20年余りが過ぎた。

    この年齢になり、遠い過去と再会する事実には、さまざまな意味合いが込められているように思う。

    29日には、多くの同窓生が集まってくれての宴会が待っている。

    25年ものの再会が続出である。本当に怖い。いや、楽しみだ。

  • 09awc00_4

    昨日、日曜日は丸一日、サーヴァーの不調で、インターネットにアクセスできず。たった一日、メールの確認をできないだけで、なにやら落ち着かない。

    インターネットに依存しすぎているな、と思う。しかし、インターネットなしでは、仕事もなにも、できやしない。

    さて、金曜の夜、バンガロールからムンバイ宅に戻って来た。1週間後には東京、そして2週間後は福岡。しばらくはあちこちを転々とする日が続く。

    日本での予定も、少しずつ決まり始めた。これこそ、電子メールでのやりとりができなければ、難しいこと。これが15年前だったら、ファックスや電話でやりとりをしていたのだろうか。

    bar

    ところで土曜日の夜は、ムンバイ在住のアメリカ人女性らの組織、AWC (American Women’s Club)が主催するチャリティ・ボール(パーティ)に出席した。

    以前も何度か記した通り、基本的にはアメリカ人女性のクラブだが、他国籍の女性もウェルカムなクラブなのである。

    今回は、参加費の一部が慈善団体への寄付される、チャリティを目的とした集いである。夫とともに出席しようとチケットを購入しておいたのだった。

    会場は、ドレスコードはブラックタイ(タキシード)、ドレス、もしくはインド伝統服。わたしたちはインド服での出席である。

    09awc01バンガロールのOWCを代表して招かれていた知人二人にも遭遇する。

    AWCとOWCは相互に交流があるようだ。

    水曜日のピンクエレファント・セールで会ったばかりの彼女らと挨拶を交わし、記念撮影。

    思いがけず、夫の会社の英国人駐在員や、知り合いのNRI(非インド在住インド人/印僑)数名とも再会する。

    カクテルの後は、指定された円卓に着席してのディナータイム。

    同席になったカップル(スコットランド人、米国人、多分インド人?)はみな、年配(といっても50代、60代)だったが、会話が非常に楽しかった。

    restaurant

    中でも、食べることが大好きだという自称 “foody”のカップルの話が面白かった。彼らは「究極のグルメ」である。世界中の高級レストランを訪れ、美味なる料理を食べ尽くしている様子。

    「ムンバイで一番はどこ?」

    と問われ、

    「WASABI。それ以外は勧められる店はないわ。敢えて言えば、ZODIAC GRILLかしら」

    とのこと。WASABI。森本さんの店である。昨年の11/26のテロ以来、まだ開業していない。

    「ニューヨークでは、どこ?」

    PER SE

    「では、世界で一番だと思われるレストランはどこ?」

    「スペインのelBulli」

    elBulli(エルブリ)。バルセロナから車で北へ約160キロという田舎町にありながら、世界中のグルメが駆けつける「超有名店」らしい。彼らは3年前に訪れたらしいが、その料理がいかにすばらしかったかを淡々と説明してくれた。

    ここに日本語の記事を見つけたので、参考まで(←文字をクリック)に。

    なんだか、ものすごそうである。地図を見れば、そこはサルバトール・ダリのふるさとであるフィゲラスから、彼が晩年暮らしていたカダケスに向かう途中に位置するようだ。

    フィゲラスにも、カダケスにも訪れたことはあるが、店の存在すら知らなかった。

    ただ、おいしいものを求めて旅をする。食を軸にして、旅をする。しかも、あの風光明媚なコスタ・ブラバを。わたしたちは、たいしたグルメではないけれど、しかしいつかそういう旅をしてみたいとも思う。

    El Bulli

    music

    スコットランド人のおじさんは、インド人と結婚した日本人妻にかなり興味があるらしく、あれこれと根掘り葉掘り聞かれた。

    「インドに住むのはいやでしょ?」

    と当然のように言われたので、

    「いいえ。むしろ楽しい」

    と言ったのが災いして、あれこれと突っ込まれたのだった。ラジオでインドをレポートしているとの話から、

    「ぼくはNPRのテリーグロスのラジオプログラムが好きなんだ。毎日ダウンロードして聴いているよ」

    と聞いて、そうだ、インターネットでは海外のラジオさえ聴けるのだ、と改めて知る思いで、早速聴いてみようとも思う。

    09awc0209awc03
    09awc07_509awc05
    スコットランドの伝統服に身を包んだ人たちが3人ほども。間近で見るのは初めてのことで興味深く、記念撮影をさせてもらった。

    右は友人のエマ。今回、サリーを美しく着付けている人にたくさん出会ったが、彼女のサリーもまた上品な色合いで、とてもすてきだった。

    09awc0609awc04
    パーティーの後半は、ダンスダンスダンス! それにしても、熟年カップルの多くが、熱愛ムードで踊るのは、どうしたものだろう。

    妻が「お色気たっぷり」で夫を誘惑するかの如く踊るのは、どうしたものだろう。

    あの過剰なセクシーだけは、どうにも、真似できぬ。

    と思いつつ、体育会系的に、踊るのであった。ともあれ、楽しい夜であった。

  • 20neemrana00

    車で市街を走り抜けていたとき、目に鮮やかなスカイブルーの店構えが目に飛び込んできた。ショーウインドーに “NEEMRANA” とある。

    20neemrana01あ〜っと、ちょっと車を停めて! 

    と毎度のごとくドライヴァーに頼み、店へ入る。

    ニームラナ(NEEMRANA)。

    ウッタル・プラデーシュの州都ラクナウLucknowの手工芸であるチカンカリ刺繍が施された衣類が売られている店だ。

    味わいのあるシティ・ガイドブック LOVE MUMBAI (←文字をクリック)でお勧めの店であるとの記事を読んだことがあったが、訪れたことはなかった。

    店内には、木綿に、シルクに、ジョーゼットなどの布地で作られたクルタ(チュニック)に、素朴でやさしい風合いの刺繍が施されたものが山と積まれている。

    18neemrana0318neemrana02

    そもそもは、白を中心とした無地の木綿に、単色の刺繍糸を用い、独特のパターンと技法で刺繍を施したものが主流だ。以前わたしは義理の両親からチカンカリ刺繍入りのブルーのサルワールカミーズ(←文字をクリック)をプレゼントされたことがある。

    あまり似合わないと各方面からいわれ、着る機会がないままだ。

    この店には、伝統的な刺繍をモダンなファッションに反映させたものも揃っており、かなり魅力的なラインナップだ。クルタ以外にも、サルワールカミーズの素材や、子供用の衣類(激しくかわいい!)もある。

    無地の上に刺繍をした方が刺繍の模様が際立ってよいと思うのだが、柄物もかなり多い。あまり目立たないものの、それはそれで、密かに贅沢な感じがするともいえる。

    20neemrana05_220neemrana06
    20neemrana04_220neemrana02

    インドの手工芸品。わたしが知るのは、まだまだ序の口だ。本当に、尽きなくて、たまらん。

    NEEMRANA CHIKANKARI(←モデルのお姉さんがどうにも怖い)

    clip

    ところでこの店とは関係ないが、ニームラナと言えば、ニームラナ・フォート。あそこもまた、訪れたい場所。味わいのあるホテルの思い出はこちら

  • 01sari_2

    買い物の途中に立ち寄ったお向かいのワールドトレードセンターで、テキスタイルフェアが開かれていた。いつものように、ふらりと見学。

    と、「絞りのサリー」の専門店が出ていた。途端に目が釘付けだ。壁に吊るされた色とりどりのサリーに目を走らせる。

    昔ながらのデザインが主流を占める中、品揃えの豊富なこの間の店でも見つけられなかった、伝統的でありながら、モダンなスパイスが利いたデザインの「黒いサリー」を発見!

    一目惚れである。

    上の写真の賑やかな彼らは、店主とその家族親戚。このフェアに参加するため、一族がそろってアメダバードからやってきたのだとか。右端のおばさまが、オーナーの妻でありデザイナーである模様。

    英語を話さない彼女のために、甥やら姪やらが、通訳をかってでてくれる。

    「クレジットカードで払えるの?」

    と英語で尋ねると、

    「イエス!」と「ノー!」が同時に返ってくる。

    やんややんやと猛烈に騒がしくて、しかし楽しげだ。しかし、買い物は進まない。それでもあれこれと交渉を進め、その黒いサリーを買うことにした。

    彼らは自分たちでサリーを作り、ここで直接販売しているから、つまりは「卸値」である。決して安くはないが、しかし店で同じようなクオリティのものを買うよりも3割以上は安い。はずである。

    インドにおけるサリーや宝飾品などの手工芸品は「一期一会」であることは、これまで幾度も記した。欲しいと思った時に買っておかなければ、二度と出会えないものがほとんどだ。

    このサリーもまた、そんな雰囲気を漂わせていた。

    このごろは、サリーを選ぶ目が超えて来たと自負している。移住当初の1年目に買ったものは、「失敗したな」と思われるものも目立つ。

    どこがどう失敗なのか、を説明するのは難しい。ともかくは、いろいろなサリーを見て、審美眼を育てることである。そうすれば、自ずと見えてくる。

    サリーに限らず、インドには、いろいろと「たくさんを、しっかりと見つめて経験を積み、見極める目を養うべき」ことがたくさんあるように思う。

    サリーについても、語りたいことは尽きぬが、ともあれ、いい一枚に巡り会えてよかった。

    絞りのサリーは、腰から下に巻き付ける部分だけをしっかりとアイロンをかけてもらい、表に出てくる部分は絞りのよさを生かしてアイロンはかけないままにしてもらう。

    全部アイロンで伸ばしてしまう着方をする人も少なくないようなので、そのあたりをしっかりと伝えることがポイントである。早くブラウスとペチコートをあつらえて、近々着てみたいものだ。

  • 13bangaloresky
    14sky

    1カ月と数日ぶりのバンガロール。今回ほど、バンガロール宅に戻るのが楽しみだったことはない。なにしろムンバイの蒸し暑さが辛い。

    日中はそこそこに凌げるのだが、問題は就寝時の「寝苦しさ」にある。

    友人や知人らの多くは「冷房をつけたまま、ブランケットを被って寝る」というのだが、わたしにはそれができない。冷房で喉が痛み、関節が痛む。身体の芯が冷えてしまう。

    とはいえ、天井のファンだけでは蒸し暑い。加えて、夏場でもバニャ〜ン(ランニングシャツ)に長袖の白いクルタパジャマを着用して寝る夫。体温が高くて汗をかきやすい彼は、まるでホカホカの肉まんのような存在感だ。

    そんな肉まん夫とから少しでも距離をとろうとベッドの端によってはみるものの五十歩百歩。蒸し暑さに夜中目をさまし、しばらく冷房を入れて消す、などということを繰り返すから、熟睡できない。

    むしろモンスーンが来れば気温も下がるのだが、今年はモンスーンの到来が遅れているようだ。なんでも、どこかの土地でモンスーンが「ひっかかっている」らしい。一気に来られてマキシマムな水害攻撃を与えられそうでいやだ。

    さて、一方のバンガロール。夕方、空港に到着するや否や、雨が降り出した。こちらはすでにモンスーンに入っていて、毎日、夕刻には雨が降っているようだ。

    この時期の空は、美しい。雲の動きがはやく、その形もまた、独特だ。まばゆいほどの白い雲と澄み切った青のコントラストの美しさ。灰色の、雨雲の隙間からこぼれ落ちる日ざしの様子もまた、いい。

    13japan0113japan04

    ところで土曜の夜は、バンガロール日本人会の総会であった。数日前に記した通り、場所がタージ・レジデンシーからタージ・ウエストエンドに移行し、「速やかな感じ」で会合は過ぎていった。

    今回も、多くの日本人マダムたちがサリーなどをお召しになって、みなそれぞれに美しい。わたしは着やすい絞りの黒いサリーを着た。数カ月前にムンバイのワールドトレードセンターのフェアでアメダバードの一家から購入したものだ。

    思えば、それぞれのサリーに、購入時の逸話があり、思い出がある。3年余りのうちに少しずつ増えたサリーを眺めながら、そのときどきを思い返すのもまたをかし。

    13japan027時からの開会、9時半の終了と、短い間に、総会があり、食事があり、コーラスがあり、ビンゴーゲームありで、あっという間だ。

    思えば3年前、初めて総会に出席した時は、夫がニューデリーに転勤する可能性があり、バンガロールでの総会出席は最初で最後だと思っていた。

    しかし、バンガロールでの仕事が継続となり、家を買い、落ち着いたかと思ったら今度はムンバイ転勤。

    しかしバンガロールは拠点として残り、こうして3年後も参加している。わたしもいつしか、古株となりつつある。二度と同じ顔ぶれで集まることのないこの会合に、わたしはこの先、何度現れるのだろう。

    「いつまでインドにいるのですか?」

    と訊ねられることがよくある。

    夫は今でも、いつかは米国に戻りたいと思っているようだが、わたしは、これから先もずっとインドを拠点にしておきたいと思う。

    このまま、バンガロール宅に家財道具はじめ、さまざまな身の回りのものを取り敢えずおいておき、あとはスーツケースで移動すればいいのだ。

    今のところ、わたしにとって地球の中心はインドで、東へ飛べば日本、西へ飛べば、欧州、そして米国で、その距離感がちょうどよい。

    13japan0513japan06

    つまりは、バンガロールの、ものすごい古株になる可能性も、かなり高いのである。

    bar

    日曜日は、友人夫妻に招かれて、再びタージ・ウエストエンドに赴きサンデーブランチ。このホテルのダイニング(ミント)は、緑豊かな庭に面していて、本当に心地がよい。

    ブランチのブッフェは、シャンパンも味わえて、注がれるがままに飲んですっかり酔っぱらい、料理も少しずつ味わい、4時間ほどもしゃべって飲んでの午後だった。

    気がつけば、夫アルヴィンドがムンバイから戻るころ。今日は夕飯の準備をしたくないなと思っていたら、彼もランチミーティングでたっぷりとインド料理を味わったらしく、夕飯はワインとトースト(あんまり?)で満足してくれたのでよかった。

    14garden今日、月曜日は、日がな一日、庭と、庭に面したダイニングルームで過ごした。

    新聞の読み込みリサーチ(まだやってる)をしつつ、インターネットでテレビを見たりしつつ、月曜だが日曜の気分で。

    夜はIISキャンパスのヴァラダラジャン宅へ。

    義姉スジャータとラグヴァンと1カ月ぶりに再会し、スジャータ手作りの料理を味わう。

    やっぱり、バンガロールに戻ってくると、ほっとする。

    cafe

    ところで17日水曜日、第4回チャリティ・ティーパーティを開催します。

    今回は、さくら会を通してのメールをお送りしていませんが、OWCの会員でない方でもご参加いただけますので、ご興味のある方はどうぞお立ち寄りください。午後2時以降、コックスタウンの拙宅をオープンハウスにしています。

    詳しくは、メールでお問い合わせを。

  • 31nye00

    2008年のカウントダウンは、タージ・ウエスト・エンド (THE TAJ WEST END)で迎えた。

    ムンバイのタージ・マハル・パレスに比べると、ずいぶんこぢんまりとしているけれど、コロニアル様式の白い建築物が、豊かな緑に映えて美しいホテルだ。

    インド移住当初に滞在していたこのホテルにはまた、さまざまな思い出が詰まっている。3年以上もすぎて、顔なじみのスタッフはずいぶん減ってしまったけれど、しかしドアマンのおじさんは相変わらずで、にこやかにドアをあけてくれる。

    2005年11月にインドへ移住して以来、振り返れば4度の年越しを、ここバンガロールで過ごしたことになる。毎年、これから先一年の在り方について、あれこれと思い巡らすが、毎年が、不完全燃焼のままに幕を閉じる。

    とはいえ、身の回りの人たちが健康で、なにはともあれ、それなりに幸せな日々を生きているということだけでも、有り難いことである。

    31nyemiho3_3さて、今日は久しぶりにサリーを着用である。

    少し華やかに、金糸の刺繍が施された絞り染めのサリーだ。

    近寄って見ると、その絞りの精緻な作業のすばらしさがよくわかる。

    手工芸の粋である。

    以前も書いたが、絞りのサリーは着崩れしにくく、シルクの肌触りもやさしく、着心地がよい。

    最近はパーティーの席でも、サリーを着る人が減っていて、他の人の装いを楽しめないのが少々物足りない。

    さて、ホテルに到着したのは午後8時過ぎ。ニューイヤーズ・イヴならではの多彩なブッフェと、各種ドリンクが用意されている。まずはいつものように、スパークリングワインで乾杯をし、前菜を味わう。

    チーズやスモークサーモン、ハムなどを少しずつ。タンドーリで焼かれた魚や肉類の香りも食欲をそそる。

    「こんなものでお腹いっぱいになってしまいたくない」

    と思いつつも、我々好物のストリートスナック「チャート」なども味わう。意外なことに、アルコールのおつまみとしてもいけるのだ。

    31nye04_231nye03

    焼きたてのマルガリータ・ピザや、ジューシーなカニ、エビ類が美味であったが、本日、最もおいしかったのは、子豚のグリルであった。

    31nye1131nye09
    31nye0831nye10

    一方、デザートは種類が多いばかりでどれも今ひとつ。ともあれ、食事で十分にお腹いっぱいで幸せな気分である。

    食後、カウントダウンまで時間があったので、ワインを飲んだり、用意されていた仮面や帽子をかぶって阿呆に記念撮影をしたり、時にダンスフロアで踊ったり、またテーブルに戻ってコーヒーを飲んだり、来年の抱負を語り合ったりして過ごす。

    31nyemaruo31nyemiho

    そしていよいよ、2008年も終わり、迎える2009年。直後に花火が打ち上げられ、再びスパークリングワインで乾杯! こうして毎年、夫と共に、平和な気分で新しい年を迎えられることに感謝しつつ、天を仰ぐ。

    31nye12_231nye13
    31nyemiho231nye01

    2009年は、どんな年にしよう。

    それぞれの、思いを、野心を胸に抱いて、満天の星空を見上げながら、何はともあれ、ありきたり、だけど、LOVE & PEACE。