不易流行 〜インドのファッション&ビューティ〜

FASHION & BEAUTY in INDIA/インドの多様性を映す民族衣装サリー情報をはじめ、昨今のファッションやジュエリー、コスメティクスのトレンドをご紹介。

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    ロメイシュ・パパとウマに誘われ、本日の午後はショッピング。ウマが友人から勧められたというケンプスコーナー界隈の店舗を数店巡る。

    特筆すべきは、「絞り」のサリー専門店だった。かなり精緻な絞りによる色柄も豊かな数々のサリー。あまりのすばらしさに、今日のところは時間が足りないと断念。後日ひとりでゆっくりと訪れることにした。サリー店のレポートは日を改めるとして、本日は刺繍製品。上の写真がそれである。

    「日本へ帰ったときのお土産に」

    と、多めに購入してしまったが、さていったい、いつ日本へ帰国するのであろうか。そして帰国する前に、自分が使わずにいられるのだろうか。

    ともあれ、探していたチビクッションのカヴァーも見つけられて、非常にうれしい。

    ところでこの刺繍製品、ご記憶の方もあろうかと思う。過去、バンガロールのSVISTIで見つけ、ブログに写真を載せたところ、「あのバッグが欲しい」との反響を各方面から得た「人気商品」である。

    そのバッグをはじめ、壁掛け、クッションカヴァー、サリーやブラウス、スカートなど、さまざまな商品が狭い店内を埋め尽くしている。

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    創業1969年の、SHRUJANという名のこの店。グジャラート州のカッチ (Kutch)という地方の伝統工芸である刺繍製品を販売している。現在カッチにおける約100もの村の、3500人にのぼる女性たちによる、16種類の技法でもって生み出される刺繍製品を取り扱っているとのこと。

    SHRUJANはこの伝統工芸を守るべく、技術訓練の機会を設け、商品製作を指南するなどのバックアップを行いつつ販売を手がけているようである。

    これまでも幾度となく記してきたことだが、インドの伝統的な手工芸には底知れぬ広がりと美しさが秘められている。それらが大切に守られ、引き継がれていくことはとても大切なことだと思う。

    洗練されたブティックで高価な値がつけられた商品を買うのもいいだろうが、個人的には、良質の素材から作られた、手作りの温もりが伝わるこのような製品を、なるたけ買い求めたいものだと改めて思う。村の女性たちが、一針一針丹念に、刺繍を施すその姿を思い浮かべながら。

    100%自分の好みと合致しなくても、それはそれでよいとさえ思うのだ。

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    夕餉の支度の窓から夕映え。湿気を含んだ海風の強く吹き込むのさえ心地よく。

    どこに住んでも、朝昼晩、食べて、動いて、眠るのを軸に、異なるさまざまに立ち向かいながら、異なるさまざまに溶け込みながら。

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    本日のワールドトレードセンターはシルク製品のエキシビション。お向かいで「市場調査」ができるとは、つくづく便利なロケーションである。全国各地の絹製品が一堂に会し、精緻な手工芸に見入る。

    別々に出かけていたロメイシュ・パパとウマが、お土産にバラナシ・シルクのすてきなサリーを買って来てくれた。すみれ色。今まで持っていない色だ。この間、スジャータからもらったサリーといっしょに、ブラウスの仕立てに出さなければ。

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    04drink右の写真、サワードリンクを作っているところ。ハチミツとリンゴ酢、そして果物。

    左端のボトルは、漬けて数日のザクロの実。

    キウイやバナナ、プラム、その他いろいろな果物で作ることができるようだ。

    今日はマーケットでアムラを買って来た。

    アムラとは、インディアン・グースベリーと呼ばれる果実。

    しかしそのままで食べるには硬くて酸っぱすぎるので、ピクルスや砂糖漬けなどに加工される。

    食用だけでなく、ヘアオイルなどにも使用され、アーユルヴェーダの処方にも頻繁に登場する植物だ。

    そのアムラを使って、サワードリンクを作ってみようと思いたった次第。皮をむき、適当な大きさに切り、ハチミツと酢を入れて漬ける。

    基本は「すべての材料が同量」らしいが、甘い果実はハチミツを減らして作る。1週間ほど漬け込んで後、果物を引き上げる。出来上がりは、水で薄めて飲む。爽やかな健康ドリンクのできあがり。

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    またしても、おいしいパンを発見。ロメイシュとウマがお土産に買って来てくれた。チャーチゲートにあるレストラン&ベーカリー、GAYLOADのパンだ。

    バケットは2種類。プレーンとインドらしくガーリック入り。それからアーモンドパウダーのタルトにシナモンパイ。バケットは、本場欧州に比すれば「しっとり感」が強すぎるけれど、オーヴントースタで軽く焼くと、香ばしくなっておいしかった。

    それからタルトもまた、とても美味。パン屋さんの素朴なお菓子、といった味わいで。聞けばムンバイにほど近い都市、プネにも、その歴史的背景から、おいしいパンを作るベーカリーが多いのだという。

    そういえば、ポルトガルの久しく植民地下だったゴアにも、おいしいペイストリーがあった。一つの国ながら、それぞれの地に、それぞれの歴史に培われた食がある。

    知るほどに、知らぬことの多さを知る日々は、いつになっても変わらず。

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    ●電気代の請求書を、読めないんです。

    新居に電気代の請求書が届いた。日付からして、入居前の請求である。世帯主の名前も以前の居住者のままだ。とはいえ、内容は把握しておかねばならぬ。

    が……。

    読めない。数字と、ごく一部の英語しか、読めない。これはヒンディだ。発音なら辛うじてできるが、意味が全然分からない。アルヴィンドの帰りを待とう。

    夜、アルヴィンドに見せる。

    「電気代の請求書が届いたよ。でも内容が全然読めないから、ちょっと訳して」

    しばらく見つめる夫。

    「僕にも、読めない」

    「ちょっとちょっと〜! 何いってんの? これ、ヒンディじゃない。あなたの母国語でしょ? 面倒くさがらないで、ちゃんとやってよね」

    「これはヒンディじゃないよ。マラティ。文字は一緒だけど、違う言語なんだよ」

    なんということ! ヒンディじゃないの?

    ムンバイはマハラシュトラ州に属し、マラティが主言語だとは知っていた。しかし世間はヒンディをしゃべっている(ように思える)し、街角の看板はすべてヒンディで書かれているから、やっぱりヒンディを勉強せねばと思っていた矢先である。たちまち、やる気喪失……している場合ではない。

    バンガロールはカナラ。ムンバイはマラティ。双方で一応はヒンディも公用語として使われる。やっぱりヒンディは最低でも、ある程度は習得するべきなのだ。そう言いながら行動に移さない自分がいやだ。いやだが、自分を責めるのもいやなので、今日のところは忘れよう。

    後日、電力会社に赴いて、窓口で直接問い合わせよう。でも、英語を話せる人がいないような気がする。

    ● ド派手な女性たちが一堂に会する場所で。

    明日から1週間はバンガロール宅。我がムンバイ不在時の保存食を4晩分、作っておかねばならない。近所のレストランから出前を頼むこともできるし、Taj Presidentは裏にあるし、外食も可能なのであるが、愛妻による手料理が一番だと夫が言うのである。のろけているのである。

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    食材を買いにお向かいのワールドトレードセンターにあるNature’s Basketへ向かったところ、周辺はたいそうな渋滞と人ごみ。雨が降っているというのに、トレードセンターの入り口付近で、マダムらがひしめきあっている。

    なにか、エキシビションが行われているようである。なんだろう。行ってみよう。

    幸い、自由に入場できるタイプのショッピング・エキシビションである。先日、Taj Presidentで行われていた「オンナガウレシイ」と同タイプのもの。衣類やギフト、インテリア小物、ジュエリーなどのブースがずらりと並び、かなり大規模だ。

    それにしても入場者の多いこと! 99.99%が女性である。随所随所の人気店では、まるでバーゲンセールにの様相。老いも若きも、女性たちが商品を手に手に品定めをしている。

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    そもそも「バーゲン時」や「セール時」の買い物が苦手なわたしには、ぐっとエネルギーが下降させられる環境ではある。体力、精神力は人並み以上にあるのだが、あの類いの闘いは、かなり苦手なのだ。

    前がつかえているので、やむなくゆっくりと歩いていると、うしろから背中をぐいぐいと容赦なく押して来るおばさまもいる。これが耐え難い。「押さないでください!」と言いながら、人ごみをかきわけながら、歩く。

    それでも、ムンバイ宅向けに欲しいと思っていたクッションカヴァー、いいものが見つかったので2つお買い上げ。ゆっくりと見たいところだが、ゆっくりと見られる状況でもなく、逃げ去るように出た。

    ところで今週末は、同じワールドトレードセンターで、「マルワール・メガ・ウエディングショー」が開催される。先日記した商業コミュニティのマルワリに向けて出版されている「マルワール」というライフスタイル誌が主催する結婚のフェアである。

    インドの結婚式が派手なことは幾度となく記したが、結婚のシーズンに先駆けて、結婚に関連する商品のフェアが行われるわけだ。

    豪奢なサリーや宝飾品、ギフトなどが展示販売されるようである。ウエディング関連のエキシビションはこれまでバンガロールでもムンバイでも何度か訪れ、記録を残しているのでご記憶の方もあろうが、ともかくは派手で賑やか。

    同時にこういうエキシビションを通して、インドの生活文化の一端を見ることもできるので、訪れる価値はある。

    ぜひ今回も見たいところだったが、あいにくバンガロールである。今後、結婚シーズンを控えて各高級ホテルなどでも催されることだろうから、タイミングが合えば、また訪れたいと思う。

    ●料理、それはスポーツ。額に汗して調理する夕暮れ時。

    丸ごとの鶏を解体する。手羽やもも肉は皮付きのまま、たっぷりのタマネギやアスパラガスなどと一緒にフライパンでソテーして、ブラックビーンソースなどで中国風に味付けをする。

    胸肉の部分は、やはり皮付きのまま、オリーヴオイル、味わいのよい塩とこしょうなど、でマリネをしたあと、オーヴントースターでグリルする。

    水をはった圧力鍋に、ささみのあたりと残りの骨の部分を入れる。ショウガをたっぷりめに入れて火にかけ、チキンスープをつくる。

    マナガツオとエビを一緒に、和風な煮付けにする。

    グリーンピーとトウモロコシを塩こしょうで炒める。

    大量のトマトを湯むきしてジューサーにかけ、トマトジュースよりはやや少なめのチキンスープをいれてとき、適当に味付けをしてあっさりヘルシースープを作る。

    残りのチキンスープは、後日のために冷凍保存。だしがよく取れたチキンスープはいろいろな料理に応用できる。

    24dinnerパンを食べやすいサイズに切って仕分ける。

    ご飯も炊いておく。

    冷凍するとどうなるのか未知数だが、いなり寿司も作って冷凍する。

    ちなみにパック入りのいなり寿司のおあげは、先日ドバイで買って来ていたもの。

    だからドバイへ、何をしにいったのだという話だ。

    とまあ、そういう類いのものをダダダ〜ッと作って、冷まして、冷凍庫へ入れる。左上写真は、本日仕上がりの一部である。というか大半である。

    一食分の品数が若干少ないので、足りないときには、近所のインド料理屋からダル(豆の煮込み)などを出前してもらえばよい。

    今日はたまたま鶏肉丸ごとしかなかったので、鶏肉主体であったが、今後はひき肉類なども駆使し、ハンバーグなど、冷凍してもなかなかにいけるものを作りおきしておこうと思う。

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    ■懐かしい映画が届く。

    金曜の夜、アルヴィンドがムンバイから戻って来た。3週間ぶりのバンガロール。バンガロール新国際空港の、到着ロビーの快適さに、あまりにも整然とした手荷物受取所に、彼も感嘆していた。

    帰りの車中は、義父ロメイシュや義姉スジャータと電話で話をしていたようで、1時間半ほどかかったものの、さほど気にならなかったようである。

    ところで、上のDVD。アルヴィンドがTAJホテルグループのインナーサークルのメンバーなのだが、ホテル滞在などによりポイントが溜まるらしく、そのポイントで、TAJ系リゾートホテル宿泊券や各種商品の引き換えといった特典が受けられる。

    その特典の一つに、DVDのセットがあった。インドではなかなか入手できない品揃えに感動し、ポイントの一部を利用して早速注文したところ、昨日届いたのだった。それはボリウッド映画でも、ハリウッド映画でもない構成である。

    14film01我が二十代後半の「多感な時期」、仕事の合間を縫って、現実の苦痛から逃れるようにひたすら見た映画の数々。

    あのころのわたしにとって、休暇ごとの旅、そして週末の、レンタルヴィデオショップで借りて来た映画を見る時間が、何よりも大切だったように思う。

    ハリウッド映画はあまり見なかったが、欧州、アジアの映画は、よく見た。

    ジム・ジャームッシュ、イングマール・ベルイマン、ヴィム・ヴェンダース……。懐かしい名前が並んでいる。

    一方、黒澤作品は、実はあまり見たことがなかった。このセットには、「七人の侍」と「用心棒」が入っている。これを機に見てみようと思う。

    14sari02■鶴舞うサリー

    これは、先日ムンバイのSATYA PAULで購入したサリーである。

    数カ月前、ブラウスが出来上がったら公開するとの告知をした、例のサリーである。

    5メートル余りもあるサリー。

    その柄のダイナミックさを見ていただくため、わざわざ2階から吊るしてみた。

    最早、壁飾りとしても活用できる美しさである。

    サリーとして着るよりも、壁に飾っておいた方がいいんじゃなかろうか、とさえ思える。

    アルヴィンドが仕事の関係でデリーのSATYA PAUL本社を訪れ、CEOに会った折、このサリーの話をしたところ、デザインルームに案内されて、このサリーをデザインした人と会ったらしい。

    妻が鶴のサリーを気に入って買ったのだ、と話したところ、とても喜んでくれたとか。

    このサリーはかなりの力作だったらしく、「いいお買い物をなさいました」と言われたらしい。

    ショーウィンドーには、実は同じデザインで夕陽ヴァージョン、つまりオレンジ系のサリーがかけられていた。

    それはそれで美しかったのだが、同時に暑苦しかった。

    しかしこのブルーは、爽やかである。

    普段はあまりブルーを着ず、ブルーのサリーは義理両親に買ってもらった1枚しかないのだが、これはもう、自分に似合うか似合わないかはさておき、衣類としてというよりは、作品として欲しいと思った。今のところ一番のお気に入りである。

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    どこかしら、日本の着物にも似ている。背後から前面にかけて、鶴が舞い飛ぶ様。その動きを伴ったデザインが麗しい。

    壁に下げて見ても、着用してみても、絵柄がうまい具合にヴァランスよく配置されているところが憎い。

    抽象的でモダンなデザインの、ハデハデ系サリーが多いSATYA PAULの商品は、以前も書いたがあまり好みではない。しかしこれだけは特別であったと、やはり衝動買いをしておいてよかったと思う。

    型が決まっている、という意味では、サリーも着物も同じようなコンセプトである。素材と柄が命。限りない布の世界が広がるインド。本当に、知れば知るほど、深みにはまってゆく。

    14party02_2■半年に一度の日本人会総会へ。

    バンガロール生活も2年半。

    日本人総会に参加するのも、これで4度目だ。

    2年半もたつと、すでに「事情通の古株」という位置づけになる。

    これからは益々、「古株の一途をたどる」ことになるのだろう。顔見知りの人たちよりもむしろ、初めての方に声をかけられることが多かった。

    このサイトを通して知った人。例の「仰天ライフ」をテレビで見た人も少なくないようだ。これは、今日お会いした方に限らないのだが、バンガロールの赴任が決まって、情報収集の際に見つける人も多いようだ。

    このブログを通してインドを垣間見ることができ、「バンガロールは悪くないではないか」という印象を抱いて渡印される人もあり、それはそれで光栄なことではあるが、責任が重いような気がしないでもない。

    今回、若い男子(夫を含む)との記念撮影に積極的だった我。左はC家のナオヤくん、中央はF家のタイチくんとテツタくん(未成年につき、保護者のご了承を得て掲載しております)。そして右は言うまでもなく、マイハニー。

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    ティーンエージャーの彼らの母は、わたしと同世代。わたしも然るべき年齢で結婚し、然るべき年齢で出産をしていたら、このくらいの子供がいたのだと思うと、なんてこった、という気分だ。

    night会合は7時に始まり10時ごろには終了。帰宅してからは、ジム・ジャームッシュの “Down By Law” を20年ぶりに見て、あの夜、一人で見たことがまるでつい、この間のことのように。

    ただ一つ違っていたのは、モノクロの画面に映る三人の男と一人の女性が、わたしよりも若くなっていたことだ。

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    ●我が愛すべきインド服。サリー。

    上の写真は、本日の午後、赴いたサフィナ・プラザでの一枚。「しぼり (Tie and dye) 」のサリーの業者が、1週間ほどここでエキシビションをしているという案内が届いたので足を運んだのだった。

    上の写真は、糸で絞られたままのサリーを、二人が綱引きの如くぐいぐいと引っ張り合って、糸を切っているところである。インドらしくダイナミックな店頭の光景である。

    数カ月前にも、彼らはインド北部から来ていて、そのときに一枚購入したのだった。カジュアルに着られ、着心地も快適なそのサリーは、お気に入りの一枚となり、テレビ取材の折にもOWC会合のシーンで着用した。

    あいにく今日は、気に入ったものが見つからなかったものの、サフィナ・プラザ内の他の店でアンドラプラデシュ地方からのすてきなサリーを見つけて購入。

    サリーこそは、「衝動買い」しなければ、「欲しいけど、検討して後日」なんて思っているうちに消えてしまう。ほとんどが一点ものだから、二度と巡り会えないことが多いのだ。

    ところでモダンなサリーを販売する全国展開のブランドに、Satya Paulというブランドがある。デリーに工場があり、専任のデザイナーも多く抱えている。モダンなアプローチでサリーやサルワールカミーズ(主にはマテリアルのみ)を販売している随一のブランドといってもいいだろう。

    伝統的な意匠を好むわたしとしては、アバンギャルドなデザインが、今ひとつ好きではなかったのだが、先日ムンバイのブティックですばらしい一枚を見つけ、やはり衝動買いしてしまった。

    それは衣類を超越して、芸術であった。

    最早着る人を引き立てるというよりは、サリーの独壇場状態である。それでも、買わずにはいられなかった。フォーマルなパーティの際に好適のサリー。今はブラウスを作ってもらうためテイラーに出しているが、着用の暁にはここでも紹介したいと思う。

    と、今日の新聞広告を見ていたら、Satya Paulの広告が目に留まった。ルネ・マグリットの絵画に着想を得たサリーを販売しているとのこと。ルネ・マグリットといえば、ベルギーのシュールレアリスト。わたしも好きな画家である。行かずにはいられない。

    なんと幅広く奥深く、心引かれるサリーの世界。ただ、テキスタイルという一点限りにおいても、インドの魅力は、本当に尽きない。

    11lunch01●友人らとThe Leela Palaceでランチ

    今日はOWCのCoffee Morningに参加した後、ユカコさん、エリカさん、コトコさんとでランチ。

    いつものダイニング、シトラスのランチブッフェへ。

    ここ数日、手抜きでジャンクな食生活だったため、さまざまな野菜をたっぷりと食す。

    加えて肉類も、菓子類も、たっぷりと。

    ここへ来ると、ついつい食べ過ぎてしまう。

    ところで夕べは急にぜんざいが食べたくなり、スジャータからもらっていたインドの豆(名称不明)を煮込み、サツマイモを蒸かして、芋ぜんざいにして食べたのだった。

    餅や白玉粉がなくても、実現できる和の味わい。

    かなり美味であった。

    が、それが夕食とは、いけない感じである。

    11lunch03ところで左の写真、Jくんである。

    保護者の許可を得て、本日初登場である。

    本当にもう、かわいいったりゃ、ありゃしない。

    ちょっとおびえた顔をしているのは、抱いているアンティが恐ろしいから、ではないはずだ。

    パンクなヘアスタイルはユカコさんがジェルで立てているのではなく、ナチュラルである。

    昔、流行した、髪をなでると幸運が訪れるというトロール人形のようでもある。

    ごめん、Jくん。

    早く大きくなってね〜。

    ●びっくり仰天!

    噂によると、日曜日に放送される番組のタイトルが変更されたようである。

    「世界に嫁いだ日本人女性 密着!海外ライフ」ではなく、

    「世界に嫁いだ日本人女性 密着!仰天ライフ」になったようだ。

    仰天って……。

    確かにインパクトは強くなったから、番組表を見た人が、「どれどれ、仰天させてもらおうかな!」とチャンネルをひねる(古い表現か)可能性は高いだろう。「海外ライフ」だと、確かに弱い。「世界に嫁いだ」という時点ですでに海外に住んでいることは想像できる訳だから、表現がだぶることにもなる。

    それにしても仰天。
    驚きのあまり、天を仰ぎ見るが如くの仰天。
    オーマイガーッ!! と神を見上げて仰天。

    ……と、事の次第をランチタイムに、友人らに話したら、

    「仰天くらいで仰天してちゃだめよ〜」

    と、たしなめられた。そうか。そうなのか。

    それから、日本のテレビ事情について、あれこれと教えられた。いかにくだらないバラエティ番組が増えているかということや、なにがおかしいのだか少しもわからないお笑い番組が多いということも。

    わたしは十年以上、じっくりと日本のテレビに向き合っていないのでよくわからないのだが、確かに一時帰国した時、「笑っていいとも」をみて、タモリ氏以下の見知らぬ出演者が、内輪話で盛り上がっているのを見て、なんじゃこれ? と思った記憶がある。

    面白いとか面白くないの次元を超えて、意味がわからなかった。

    あと、ニュースがワイドショーのようであるとも思った。ニュースのはずなのに、たしか「効果音」のようなものが入っている番組があって、それにも相当驚いた。

    加えて、テレビ番組のタイトルに、敢えてインパクトの強い過剰な表現が使われがちなことも、思い出した。

    記憶をたどればバブル時代のころから「究極」とか「奇跡」「極上」「驚異」「驚愕」「壮絶」「衝撃」といった、実際の内容を凌駕する過剰な表現が散見されつつあった。

    過剰表現を目的として使われる言葉は、いつしか本来の意味を失っていき、極めて「一般化」されてしまう。言葉そのものが持つ厳かな意味合いは損なわれ、いかにも安っぽくなっていく。

    「究極」などはそのいい例だ。今や「奇跡」も日常茶飯事であろう。

    日本語だけではない。英単語も然りである。ちょっと豪華な家に住んでいたら即「セレブリティ」だし、「カリスマ」などは世間にゴロゴロしている様子。

    自らを「カリスマ○○」と自称する人もいたりして、「自分で言うか〜?!』と突っ込みたくなる。

    いかん。話がどんどん理屈っぽくなっていく。

    だからどうなんだ。と言われてもまた困るので、このへんにしておこう。

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    平穏な、土曜日の午後。心地の良い風がカーテンを揺らしながら、部屋へ入って来る。

    パリから戻ったら、バンガロールの浅く短い冬が終わっていた。わずか一週間にも満たない不在の間に、朝晩の冷え込みがなくなっていた。

    昼間の日差しが強く、通りへ出れば、夏の匂いがする。埃っぽさに溶け込んだ、何とも形容しがたいインドの土臭く雑多な匂い。

    今日は、インドのRepublic Day。共和国記念日だ。加えてフランスからは、サルコジ大統領が訪れており、新聞の記事は賑やかだ。

    「僕が子供の頃、テレビといえばDD(Doordarshan: 国営放送)しかなくて、本当につまらなかったよ。農業の様子とか、地方の踊りとか、そんなのばっかりの退屈な番組でさ。まるで共産主義国みたいだったよ」

    アルヴィンドが子供時代を語るときに必ず出て来るエピソードの一つである。それが今や、一般家庭で簡単に衛星放送を受信することができ、海外の映画やドラマを含め、地方言語の番組も豊富に、何百ものチャネルの選択肢を得られるようになった。

    今朝、彼はクリケット観戦の合間に、DDで放映されていた建国記念日式典の様子を見ているようだった。

    わたしは2階で仕事をしていたのだが、インド国歌が流れて来たので、国歌を覚えたいと思っているわたしは一緒に聞こうと階下へおりた。と、寝間着姿で寛いでいたはずのアルヴィンドがしかし、テレビの前で屹立して、国歌に聞き入っている。

    「国歌を聞くときには、起立して、敬意を表さなければね」

    やや驚きの目で見つめるわたしに気づいて、彼はそう言った。

    あれだけインドに対して愛憎入り乱れる思いで、愛国心などないと言い切っていた彼が、この2年のうちにまるで冷えきった氷が溶けるように、変わりはじめている。我が日本に対する愛国心についてはさておき、インドを母国とする彼をうらやましいとさえ、なぜか思う。

    *  *  *

    そういえば、昨年の大晦日に、ちょっとした事件があった。もう1カ月も前の話となってしまったが、記録しておこうと思う。

    大晦日の夜の過ごし方を、特に計画立てていなかったわたしたちは、30日になってようやく、「明日、どうしようか」と考えるに至った。

    日本のように紅白歌合戦があるわけでも、年越しそばを食べねばならないわけでも、寒くて外出が億劫というわけでもない。できれば外出して、賑やかに年を越したい。

    去年は友人夫妻らを誘ってバンガロールクラブのNEW YEAR’S EVE BALLに参加し、「踊りながら」年を越した。とても楽しい年越しであったが、今年は別の場所にも行ってみたい。

    新聞には、バンガロール内の高級ホテルで企画されるパーティーの記事や広告が出ている。いずれのホテルも、食事はブッフェスタイルだ。カップルで7000ルピーから10000ルピー(日本円は約2.8倍)という、インドにしてはかなりの値段。

    アルコール類も含まれるため、この値段になるのだろうが、アルコールをたしなまない人にとっては不公平な価格設定ともいえる。

    さて、あれこれと見比べた結果、Taj West EndのBlue Gingerに予約をいれることにした。パリからダンサーを招いてのショーも行なわれるとのことで、主にはアルヴィンドが積極的だったのだ。

    ところが、予約の電話をいれたところ、なにかと手続きが厄介だ。予約を確実なものにするためには、あらかじめホテルに赴いて支払いをすませるか、クレジットカードをスキャンして電子メールで送れという。

    予約をしておきながら訪れない客も少なくなさそうなインドで、それは自衛策だろうと察しはつくが、面倒だ。

    あくまでも受付女性の個人的な問題なのだが、カード番号を告げるだけではだめだと言う、その応対ぶりが感じ悪く、お気に入りのホテルであるだけに幻滅した気分で、もう結構ですと電話を切ってしまった。

    やっぱり去年と同じくバンガロールクラブに行こう、そして食事はクラブに近いSunny’sにでも行こう、ということになった。バンガロールクラブは会員であれば予約はいらない。その場でドリンクやスナックを購入できるし、去年のようにダンスフロアで踊りながら、打ち上げ花火を見上げながら、年を越すのもいいだろう。

    バンガロールクラブとは、英国統治時代の1868年に誕生した社交クラブだ。植民地時代の面影を残すこのクラブは、施設自体も年季が入っていて、歴史を感じさせる重厚感はあるものの、決して豪奢ではない。

    しかし、インド上流社会に身を置く人たちにとっては、それなりのステイタスを感じさせるクラブとして知られている。資産家だからといって、すぐに会員になれるわけではない。入会を申請した後、10年待ち、20年待ちでようやく会員になれるとの話も聞く。

    今でこそ高級ホテルやレストランなどの増加に伴い、富裕層の社交場も増えているが、かつてのインドでは、各主要都市に存在するこのような社交クラブが、公私に亘るネットワークづくりに大切な役割を果たしていたのである。

    各クラブ同士のつながりもあり、たとえばバンガロールクラブの会員であれば、ムンバイのジムカーナクラブも利用できるといった利点がある。

    ところで新参者の我々夫婦がなぜ会員になれたかと言えば(無論、義父ロメイシュを筆頭とした家族会員ではあるが)、それはかつてバンガロールに暮らしていたロメイシュの尽力によるものだった。

    家族会員になるためにも、他の会員5名からの推薦状が必要だという。各会員は1年に一人しか推薦できないとのルールもあるため、5人分を集めるのは決して簡単ではない。

    インド在住の友人だけでは足らず、フランスやスイスに暮らす会員たちにも声をかけ、ロメイシュは推薦状を集めてくれていたのだった。そんな次第で、わたしたちが移住したときには、仮の会員カードがすでに用意されていた。

    時折開かれるイヴェントに参加したり、あるいはプールへ泳ぎにいったり、最初の1年はしばしば足を運んでいたが、2年目に入ってからは数カ月に一度、訪れる程度になっていた。

    「植民地時代の慣習を残している」との悪しき評判もあり、たとえば女性立ち入り禁止の「メンズバー」の存在もその一つだ。わたしとしては、女性たちから解放されて、男性だけがくつろげるバーがあってもいいではないかと考えるのだが、公平ではないと感じる女性も少なくないようである。

    また、男性のドレスコードが厳しく、先日Tシャツ姿で訪れた義兄のラグヴァンが門前払いを受けたという。襟付きのシャツでなければ入られないというのだ。

    数年前は、とある老齢のジャーナリストがインドの国民的平服である「クルタパジャマ」を着用してダイニングに入ろうとしたところ、ドレスコードにひっかかるとしてやはり入れてもらえず、彼はその不満を記事に記していた。

    その話を聞いたとき、彼は寝間着同様の、よほどよれよれのクルタ・パジャマでも着ていたのだろう。というくらいに思っていた。

    ちなみにクルタとは、ゆったりとしたシャツのことで、このように丈の長さやデザインなど、かなり幅広くある。

    パジャマとは、世界的に「寝間着」として知られる「パジャマ」の語源となった衣類で、インドでは、クルタの下に履くゆったりとした「パンツ」をさす。

    27dressさて、ニューイヤーズ・イヴのそのパーティーには、やはりドレスコードがあった。

    女性に関しては特に言及されていないが、男性は「ラウンジスーツ、もしくはナショナル・ドレス」とある。

    曰く「ビジネススーツ、もしくは国民服」である。

    実は先月デリーを訪れた際、アルヴィンドは今まで一着も持っていなかったインド男性の国民服であるところの「シェルワニ」を購入していた。

    シェルワニは、結婚式などでも着られる立て襟のジャケットのようなもので、きらびやかな刺繍やスパンコールが施された派手なものもある。生地も、金、赤と派手な色が多い。アルヴィンドは無難にアイヴォリー地に刺繍が少々施されたものを選んでいた。

    アルヴィンドは念のため、バンガロールクラブへドレスコードを問い合せるべく電話をいれた。インドは地方によって服装も若干異なるし、ひょっとすると正装の定義も異なるかもしれない。シェルワニは、主に北インドの方で着られていることから、問い合わせたのだった。

    聞けば担当者曰く、上着とパンツの色が異なっていたら入れないという。去年はそれで追い返された人もいたのだとか。

    最初は、「電話なんてしなくても、これは間違いなく国民服だから大丈夫でしょ」と笑っていたわたしだが、ちょっと驚いた。尤も、アルヴィンドは上下ともアイヴォリーだから、当然ながら、問題ないと判断した。

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    さて、大晦日の夜。わたしもアルヴィンドのシェルワニに合わせて、白っぽいサリーを着て、夕食へと出かける。そして、9時近くなった頃、バンガロールクラブへと赴いた。

    チケットを購入する段になって、受付にいた男性の一人が、アルヴィンドの服を見るなりドレスコードに沿わないと言う。耳を疑った。

    「ちょっと何を言っているの? シェルワニが国民服じゃなかったら、いったい何が国民服なの?」

    アルヴィンドとわたしは笑いながら言うのだが、チケットを発券してくれようとしない。担当者を呼ぶという。わたしたちは呆れながらもその担当者氏の登場を待った。

    果たして彼は、アルヴィンドを一瞥するなり、

    「問題ないです。それは、インドのナショナルドレスですから」

    と言った。当然だ。これがインドの国民服でなくて、なんなのだ。インド服かどうかを識別できないなんて、従業員の教育が、なってないのではないか。一言二言、苦情を言った後、チケットを持って入場受付へと赴いたところ、またしても「チケット切り」の従業員に引き止められた。

    「サー。その服では、入れません。それは、ドレスコードに反します」

    またか。いったいどういうことなのか。またしても、担当者を呼んで来るという。すでに担当者とは話がついている。と告げるや、マネージャーを呼んで来る、という。

    だいたい、なんなのだ。たかが大晦日のどんちゃん騒ぎのパーティーではないか。周囲を見渡せば、スーツとは名ばかりの、よれよれのジャケットを着ている人もいる。そんな人たちが入れて、なぜ正装をしている我々が入れない? どういうドレスコードなのだ。

    入り口で担当者に文句を言っているわたしたちの様子を見て、他の会員たちが口々に言う。

    「それは間違いなく、ナショナルドレスだよ。ネルーカラー(立て襟のジャケットを好んで来ていたネルー元首相に因む)だし」

    しかし、マネージャー氏が訪れて、彼ははっきりと言った。

    「その服装では、入れません」

    わたしと夫はあまりのことに、驚き呆れた。夫は激怒しながら、何がいけないのだとマネージャー氏に詰め寄っている。なにしろ前日問い合わせて、シェルワニは大丈夫だという了解を取り付けているのだ。シェルワニが国民服でなくて、ではいったい、何が国民服だというのだ。

    たいそうな剣幕で問いただす夫。わたしも一緒に文句を言いたいところだが、二人揃って騒いでいると、単なるお騒がせ夫婦にしか見えないので我慢する。

    マネージャー氏が、ある男性の後ろ姿を指差していった。

    「あの服なら、大丈夫なのです」

    見れば、普通のスーツジャケットだ。

    「あれは、単なるスーツじゃないか! インド服ではないだろう!」

    しかし、確かに後ろ姿はスーツであったが、前から見るとネルーカラ−である。それは日本の中高生が来ている「学ラン」に酷似している。ただし、ボタンが表に見えない。つまりは詰め襟の、地味なジャケットである。

    インド服を、無理矢理、西欧のスーツに似せて作っていると言えなくもない、ジャケットである。

    つまり、アルヴィンドのインド服は、インドらしすぎるのが、いけないのか?

    大晦日というこの日。年越しという華やかなひとときを前にして、この人たちは、夫の服装のいったい何を拒絶しているのか。そのドレスコードという不可思議な基準は、誰が決めたのだ。植民地時代の、英国人の、亡霊か?

    彼がTシャツにジーンズだった、あるいは奇妙な仮装をしていた、などというのであれば拒否されて然るべきだが、麗しいインド服を着ているのだ。

    押し問答を、十分ほども繰り返しただろうか。「馬の耳に念仏」と、すでにわたしは諦めの境地で、しかし他の人々の服装を眺めていた。

    男性は、ほとんどがスーツ姿。たまにタキシードの人も見られるが、確かにシェルワニ姿の人はいない。一方の女性。サリー姿は年配の女性だけで、若者はほとんどいない。中年女性は欧米のカクテルドレス風の人も入れば、とてもパーティードレスといえない普段着のような人もいる。

    若い女性に至っては、普段町中で着られないとあってか、ここぞとばかりに「マイクロミニ」のスカートだ。タンクトップ、ストラップレス、もしくは背中全体を露出した、皆が揃いも揃って、ともかく露出度の高い服装で、数年前のインドでは考えられないファッションである。

    まるでバービー人形のごとく、みなスタイルもよく、とても似合っている。しかし、だ。過剰に露出している彼女たちのファッションがOKで、なぜアルヴィンドがだめなのだ?

    理解の域を超えている。

    怒り心頭のアルヴィンドは、最後にいやみたっぷりの笑顔でマネージャー氏に握手を求めた。そして「よいお年を」と言ったあと、

    「来年は、君がインド人としての自覚を高めることを祈るよ」と、捨て台詞を吐いた。

    わたしは、なにしろ、複雑な心境だ。このバンガロールクラブという、インド的なものを拒否する不思議なクラブの存在感。

    そして、夫の心境。

    やさしげな見かけによらず、受け入れがたい事態に遭遇すると相手構わず、ときには高圧的な態度で苦情を言う夫。そんな彼を、意外にもわたしの方がたしなめる、というケースが少なくないのだが、今回は彼をたしなめる気にならなかった。どうしても、クラブ側の対応に、納得がいかなかった。

    わたしがサリーを着るのを、インド的な服装をするのを嫌っていた彼が、この数年のうちにサリーのよさを理解するようになり、そして自分さえも、インド服を着るようになった。

    その彼の心の変遷を思うと、今日、ここで初めて着たシェルワニを拒絶されたことが、不憫でならない。

    「僕は金輪際、このクラブを利用しない! 
    なにがチャーチルだ!(チャーチルはバンガロールクラブの会員だった) 
    なにがドレスコードだ!」

    と、車を待つ間も、彼の怒りは冷めない。

    やれやれ、これからどうしようか。時計は9時半を回っている。すでに夕食をすませているから、これからディナーパーティーというのは非現実的だ。

    ふと、ひらめいた。ウィンザーホテルのバーなら、大晦日でも開放しているかもしれない。そこでカクテルでも飲んで、もしもダンススペースなどがあれば、そこで踊ってもいいし、それがだめなら、家に帰って、二人でゆっくりと年を越そう。

    果たしてウィンザーホテルのバーは、平常通りの営業だった。ダイニングとそこから連なる庭は、ディナーを楽しむ人々でたいへんな賑わいである。ダンスステージもある。

    「やっぱり、踊って賑やかに年を越したいよね」

    と、一応レストランのマネージャーに確認をしたが、席はあいているものの、やはり食事込みで二人7000ルピーとのこと。

    ただ、庭のステージで踊るだけで7000ルピーはないよね。やっぱりバーで軽く飲んで帰ろうか。とバーに入ろうとしたところ、マネージャーが、

    「バーで何かを飲まれるのでしたら、ダンスステージに入っていただいても構いませんよ。特別に」

    と言ってくれるではないか。アルヴィンド、たちまち笑顔で大喜び。バンガロールクラブでひどい目にあったせいか、過剰に喜んで、過剰にお礼を言いながら、マネージャーと握手さえしている。よっぽど踊りたかったらしいな、と思われたに違いない。

    そんな次第で、大晦日。マルハン家におけるバンガロールクラブの株は急落し、ウィンザーホテルの株は急上昇したのであった。

    長々と書いてしまった。

    この出来事を巡っての、夫やわたしの心境の変化についてを、実は記したかったのだが、事実を書いただけで、たいそうなヴォリュームだ。

    世界の流れを取り込んで、日々移り変わるインド。世の中の価値観も、わたしたちの価値観も、たいへんな勢いで、移り変わってゆく。

    あらゆる局面において、揺らがぬ自分であるためには、どうすればいいのだろう。

    価値観や判断基準さえも、ときにはフレキシブルに移動させる必要があるのかもしれない。

    筋を通せる「芯」を、しっかりと持っていたいものだと、改めて思わされた2007年の終わりであった。

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    この記録は、ニューヨーク在住時に発行していたメールマガジン『ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー』の原稿を転載するものだ。メールマガジンは、すべてホームページに転載していたことから、今でも読むことができる。

    *注/文中のA男とは、我が夫アルヴィンドのことである

    ➡︎ http://www.museny.com/essay%26diary/magcover.htm

    【以下、2001年6月の記録を転載】

    エンゲージメントリング(婚約指輪)。これまでの人生、まるで無関心に生きてきたのだが、せっかく結婚するのだし、安くてもいいからちょっとした指輪は記念に欲しいものだと、半年くらい前までは思っていた。

    ところが、数カ月前より、エステティックサロンのSさんをはじめ、かつてエメラルドのバイヤーをやっていて、宝石に詳しいHさん、そしてわが母親らの意見を聞くにつけ、心が揺らいできた。

    Sさんは、「絶対、ダイヤモンドがいい」と力説し、ダイヤモンド関連の情報を教えてくれる。Hさんは、「買うなら絶対1カラット以上がいいから。私はダイヤを卸値で買えるから、コーディネートしてあげるよ」と言ってくれ、母は「美穂、せっかくだったら、買っていただきなさい」と言う。

    「せっかく」も何も、そもそもA男には、まったくそんなつもりはないのだ。以前も記したが、彼は18歳までインドに暮らしていたから、バレンタインデーも知らなかったし、婚約指輪の存在すら、多分、よく知らないはずだ。しっかりと作戦を練る必要がある。

    ある土曜日の午後、レストランでブランチを食べながら、さりげなく話を切り出す。

    「ねえ、婚約したら、指輪を女性に贈らなければいけないんだよ。それは愛の象徴だから、最も強い貴石であるダイヤモンドでなければいけないんだって。知ってた?」

    「知らないよ。そんなこと。宝石会社のコマーシャルに乗せられているだけのことでしょ。インドではそんなこと、しないよ」

    「あら、なに言っているの? この間、あなたのおじさんも、結婚指輪をしてたじゃない。結婚指輪があるということは、婚約指輪も存在するはずよ」

    「そうかなあ。違うと思うけど。僕のお父さんはしてないよ、指輪」

    「それでね。婚約指輪って言うのは、だいたい、月収の3倍なんだって」

    「えーっ? 何だよそれ。誰が決めたんだよ、3倍なんて。それって税引き前の話? それとも税引き後?」

    こちらは、額面の3割近くが税金に引かれるから、それは重要なポイントなのだ。

    「もちろん、税引き前に決まってるじゃない。あ、でも気にすることはないのよ。私、そんなに高価なものを欲しいなんて言ってないし。私たち今までずっと割り勘だったし、あなたに何かを買ってもらうのも、なんとなく気が引けるしね」

    そういいつつも、ブランチをすませ、街をふらふら歩きながら、なぜか私の足は五番街、57丁目の「ティファニー」に向かっている。店の前に来て、いかにも偶然見つけたかのように言う。

    「あ、ティファニーだ。ちょっとのぞいてみない? 別に、今、指輪を買ってくれって、言ってるんじゃないの。マーケティングよマーケティング」

    疑惑の目を向けるA男の手をひっぱり、店内へ。週末のティファニーは一段と込み合っていて、熱気に満ちあふれている。すでに下見しておいた婚約指輪コーナーへ行く。A男に見せておきたいものがあるのだ。人混みをかき分け、ショーケースの中を彼に示す。キラキラと輝く大小のダイヤモンド。中央に、小さな表示がある。

    「Tiffany’s Diamond. Engagement Ring. $950 to $1.1 million」
    (ティファニー製ダイヤモンド 婚約指輪 約10万円から約1.3億円)

    A男、目が点になり硬直している。

    「なんなの、1ミリオンって。指輪に1ミリオン??」

    興奮を隠しきれず、私に耳打ちする。そして冷静になってまわりを見回す。若いカップルが、大粒のダイヤを試している姿を見て、急に競争心を燃やしている様子。予想通りの反応だ。

    「ねえ、あの男、ぜんぜん冴えない感じなのに、あんなダイヤ買えるのかな? あっ、あそこにいる日本人のカップルなんて、大学生みたいだよ。彼らも買うのかな? 信じられないな」

    確かに、私も信じられない。今まで宝石などにお金を使ったことがないから、ピンとこないのだ。A男は、急にのどが渇いたといって、一旦外に出て、ベンダー(屋台)でボトル入りの水を買い、喉を潤して戻ってきた。

    他の店に比べ、ティファニーは日本人好みのシンプルなデザインが多い。アメリカ人は、ごてごてしたジュエリーが好きだから、婚約指輪にしても、やたらと爪が高くて「これみよがし」のものが多いのだ。真珠などにしてもそう。以前、ミキモト・アメリカの社長をインタビューしたことがあったが、アメリカと日本とでは、全く異なるデザインが好まれると聞いた。

    こちらの新聞や雑誌にもミキモトの広告をよく目にするが、ビー玉のような大粒の真珠が、二連、三連になったもの、ゴールドやシルバーの装飾が施されたものなど、奇抜なデザインが紙面を飾っている。

    私は指輪にしろネックレスにしろ、大きめのものが好みだが、それでも、五番街などのショーウインドーで、これでもかというくらいに過度に華やかなジュエリーを見るにつけ、嗜好の違いを痛感させられる。

    さて、ティファニーの最新デザインだというシンプルですてきな婚約指輪を試してみる。大きいのを試すのは心臓に悪いから、最小サイズから3番目ほどのものを指さし、ショーケースから取り出してもらう。

    指につけながら、さりげなく値札をのぞく。A男ものぞく。こんなに小さいのに、かなりのお値段……。店員の手前、僕らは買おうとしているという姿勢を見せなければならないから、ダイヤモンドのしおりなどをもらい、積極的にダイヤモンドの品質などについて質問をする。

    二人して、かなり消耗して店を出た。しかしながら、A男の脳裏に、「婚約指輪はダイヤモンド」という刷り込みがなされたことは、間違いないだろう。第一段階、ほぼ成功である。

    アメリカの婚約指輪はなにしろゴテゴテしている。私は、できるだけ長い歳月、いつも身につけていられる、できるだけシンプルなものを求めていた。

    理想の指輪を求めてリサーチ開始。結婚関係の雑誌やウェブサイトをのぞいたり、打ち合わせなどで外出するたび、ジュエリーショップで足を止める。しかし、どうしても気に入ったものが見つからない。

    ついに私はミッドタウンにあるダイヤモンド街に足を踏み込んだ。47丁目、5番街と6番街の間の1ブロックは、ユダヤ人を中心とした宝石商たちの店舗がぎっしりと軒を連ねているのだ。中国、コリアン、ロシアなど他国の商人たちも見られる。

    ショーウインドーにきらめく、素人目には海のものとも山のものともつかない宝石の数々。私は獣を追うハンターのような鋭い目つきで、プラチナのリングのデザインを眺める。ショーウインドーには、宝石がついているもの以外に、台座の部分だけも陳列されているのだ。

    数軒目のショーウインドーで、ついに、見つけた。ティファニーの、私が求めていたデザインとよく似たシンプルな台座を。ちなみにティファニーの商品の一部は、このダイヤモンド街の職人たちが手がけているという噂も聞く。

    店内に入り、加工の具合やデザインをチェックする。その後何軒か訪ね、いくつかの店で、似たデザインのものを見つけた。

    結局、私は宝石商の友人Hさんに連絡をする。以前、muse new yorkやメールマガジンでも紹介した、エメラルドの貿易をやっていた彼女だ。彼女は今、ダイヤモンド街にある宝石関連の学校で勉強を重ねている。

    彼女と相談した結果、彼女にすべてアレンジしてもらうことにした。予算と希望のダイヤのカラット(重量)を伝える。それにより、ダイヤの質を考慮してもらう。もちろん彼女への手数料も予算に含まれる。

    中途経過はいろいろあったが、最終的に、彼女を通してベルギーのアントワープからダイヤモンドを取り寄せ、ダイヤモンド街の中で最も加工技術が上手だと思われる店で台座を購入し、セッティングしてもらった。

    もう、すでに「婚約指輪」に伴うロマンティックな雰囲気は霧散しているが、A男も「Hさんに頼んだら?」とお任せ気分だったし、二人で予算も相談したので、あとは私とHさんとのやりとりになった次第なのだ。

    ダイヤモンド街では基本的にはクレジットカードは使えず、すべて現金勝負。だから、Hさんにあらかじめ小切手を渡し、彼女が購入の際に現金化して支払うことになる。なんだかその怪しげな雰囲気が私の好奇心をかき立てる。なにしろ、ダイヤモンド街には、店頭に並んでいるのはごく一部で、それぞれの店舗が強靱な金庫を持ち、相当の在庫を保有しているのだ。

    あの1ブロックだけで、いったいどれほどの「金銭的価値」があるのか、想像もつかない。マンハッタンで最もヘビーなブロックなのである。

    さて、先々週の木曜の夕方。「ブツ」の取引を行うことになった。待ち合わせの場所は、ダイヤモンド街に近い、ロイヤルトン・ホテルのバー。あらかじめネイルショップに出かけて、指先を美しく整える。どの色がいいだろうと、いつもより長い時間、色選びに迷った結果、「アマルフィ」というイタリアの海岸の名前が付いた色を選んだ。淡い金色のそれは、柔らかな光のようである。

    Hさんより一足先についた私は、はやる気持ちを抑えつつ、マティーニを飲みながら待つ。

    ニコニコしながらHさんがやってきた。いい仕上がりだったに違いない。

    「ここで感動しちゃだめなんだよね。今日はあくまでも検品、検品。本当の感動はあとにとっとかなきゃね」

    などと言いながら、安っぽい箱を開け、中から黒いビロード製のケースを取り出し、パカッと蓋を開ける。

    きれい! すてきなデザイン! キラキラしてる!!

    指にはめてみると、とてもすんなりと収まる。私の手にとてもしっくりとくる。Hさんも「すごくいいよ、似合ってる」とほめてくれるし、私もそう思う。台座を求めて何軒も訪ねた甲斐があったというものだ。

    下世話な話だが、Hさんを通して作ってもらった婚約指輪の価格は、市価の3分の1程度。日本だともっと高いから4分の1程度かもしれない。その現実もまた、喜びを増幅させる。

    なくしたらいやだから、指輪はそのまま身につけて帰り、家に戻ってから柔らかな布で磨いて箱に戻し、家にあったリボンなどをかけて、きれいな紙袋におさめた。
    翌日、DCから戻ってきたA男に、「お祝いの件」と言いながら、その紙袋をさりげなく渡す。A男もこのときばかりは気を利かせていて、翌日のブランチとディナー、両方に、すてきなレストランの予約をいれてくれていた。

    「お祝いは昼と夜のどっちがいい?」

    と聞かれ、夜まで待ちきれないから昼にすることにした。A男が連れていってくれたのは、近所のアッパーウエストサイドにある、こぢんまりとしたフランス料理レストラン「Cafe des Artistes (1W. 67th St.)」という店だ。近所ながら、まだ一度も訪れたことのない店だった。

    まずはシャンパーンで乾杯。そのシャンパーンの色が、昨日塗ってもらったマニキュアの色と全く同じであることに気づいて、ささやかに感動した。

    前菜に生のオイスターを食べたあと、ロブスターサラダにポトフをオーダー。そのポトフのおいしかったこと。鍋ごとテーブルに供され、テーブルでウエイターからサーブしてもらうのだが、具もたっぷり入っていて、ゆうに二人分はある。トロリとした「マロー・ボーン(牛の骨髄)」、柔らかに煮込まれた牛肉、それに各種野菜。コンソメのスープもとても上品な味で、本当においしかった。

    食後は甘みを抑えたホイップクリームがたっぷりのパイに、ストロベリーやブルーベリー、クランベリーなど、ベリー類がたっぷりあしらわれたデザートを二人で分ける。さらには、食後酒にポルトガルの甘いワイン「ポートワイン」を少し。至福のブランチだった。

    「お祝い」の詳細は、公表するには恥ずかしいので割愛するが、レストランを出るときには、私の薬指にはキラキラと光る石が収まってた。

    こんな小さな石なのに、しかも、受け取ることを予想していたのに、こんなにうれしい贈り物は、これまでの人生でなかったというくらいに、うれしかった。

    小学校に入学するとき、福岡の新天町にある大隈カバン店でウサギのマークのランドセルを買ってもらい、さらにはクロガネの学習机を買ってもらったとき以来の、それは強い感動だった。

    午後の街を歩きながら、何度も石を光に翳してみた。太陽の光、電灯の光、夕陽の光、キャンドルの光……。それぞれの光によって、違う色や輝きを呈する石。小さな石の中に、無数の光の破片が息づいているように見える。

    A男に「もう、いいかげんにしたら?」と言われるくらい、折に触れ、眺めている。

    1週間以上たった今でも、そのうれしさは変わらない。毎晩、ハンドクリームを丹念に塗って、爪もきれいに整え、一人悦に入っている。

    いつまで続くことやら……。