不易流行 〜インドのファッション&ビューティ〜

FASHION & BEAUTY in INDIA/インドの多様性を映す民族衣装サリー情報をはじめ、昨今のファッションやジュエリー、コスメティクスのトレンドをご紹介。

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    ◉ジャパン・ハッバ2025は、パレス・グラウンドの広大な会場で開催されます。京都の伝統工芸である染織物「京友禅」の技法で作られた、多彩な「京友禅サリー」が一堂に会します。ぜひ「京友禅サリー・パヴィリオン」へお立ち寄りください! チケットの購入をお忘れなく。コメント欄に購入先のリンクがあります。

    *京友禅協同組合連合会/京都工芸染匠協同組合(令和6年度中小企業組合等課題対応支援事業)

    *坂田マルハン美穂は、2年ぶりに再び、京友禅サリーのプロモーターをお引き受けしております。

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    🇯🇵Japan Habba 2025 is a celebration of culture, creativity, and community.

    – Date: January 12, 2025
    – Venue: Chamara Vajra, Bengaluru

    🎟Book your tickets now! (Book your tickets now from the link in the bio, or visit japanhabba.org to learn more!)

    *Cultural Performances: Enjoy everything from traditional musical performances to fusion and J-Pop idols on a scale you’ve never seen before

    *Anime & Manga Paradise: Participate in a slew of 12+ events produced by veteran anime fans, learn and immerse with the medium in a way like never before. Shop from an artists alley with 25+ exhibitors with unique art styles.

    *Authentic Japanese Food & Shopping: Savor sushi, ramen, and more while browsing unique Japanese crafts.

    * Gaming: This year, participate in @theversusfestival Habba edition with top international talent across a slew of 6 diverse games.

    *Retail therapy: Buy everything from Japanese products to officially licensed anime merchandise!
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    最終日。時間に余裕ができたので、『Ashdeen』へ赴いた。わたしは2年前に、京友禅サリーのプロモーターをつとめた際、DASTKARの創始者であるLaila Tyabjiとデリーでお会いした。それがご縁で、オーナーのAshdeenともお会いする機会を得ていた。

    その後も、わたしがデリーで京友禅サリー展示会を開催したときや、ムンバイ店でも、タイミングよくお会いしてきた。Ashdeenは、ハイデラバードやコルカタなど他都市でも展示会を開いてご多忙だ。今、デリーにいらっしゃるだろうか……と思いつつ連絡したところ、ちょうどその日の午後、デリー店にいるという。

    せっかくなので、印日フォーラムで着用した京友禅サリーをお見せするべく持参した。うえの2枚が今回撮影した写真だ。店内のディスプレイとも見事に調和している。関心のある方は、ぜひ過去の記録をご覧いただければと思う。

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    インドにはさまざまな伝統的な技法を用いたテキスタイル、サリーが存在する。そのなかでも、特にわたしが大好きなのが、パールシー刺繍のサリーだ。2008年から2年に亘り、我々夫婦はバンガロールとムンバイの二都市で生活をしていた。その時期、サリー専門店や展示会で、何枚かを購入した。十年以上経った今も、しばしば着用しているお気に入りだ。以下、以前も記したが、一部転載する。

    パールシーとは、今から1000年以上前に、ペルシャ(現在のイラン)からインドに移住したゾロアスター教徒のこと。西暦651年に、イスラム教徒から迫害された彼らの末裔は、やがて西インドのグジャラート州に辿り着いた。

    ペルシャから運ばれた神聖な火を崇めることから、拝火教とも呼ばれる。寺院には、ゾロアスター教徒以外は立ち入ることができず、基本的には同族との婚姻が一般的。インドにおいて、極めて少数派の宗教ながら、タタ財閥を筆頭に、社会的に影響力が強いコミュニティでもある。

    タタ財閥の創始者であるジャムシェトジー・タタが綿貿易会社を創設、1893年、東京を訪れた彼は渋沢栄一と会い、日印定期航路の開設を提案、同年に神戸=ボンベイを結ぶ日本郵船の航路が誕生した……といった、歴史的な背景を綴れば尽きない。坂田のセミナー動画でディープに触れているので、関心のある方は、ぜひご覧いただきたい。①〜⑤まで、ぐっと見ていただきたい。

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    パールシー刺繍に話を戻す。以下は、2年前、初めてAshdeenにお会いした時に聞いた話を一部転載する。
    世界史の授業で出てくる「三角貿易」の話をご記憶だろうか。主に17〜18世紀にかけて、英国により展開された貿易構造のことで、3つの国や地域が関係する大西洋での貿易を指す。

    Ashdeenは、自分の出自を探るべく、イランや中国を旅し、パールシー刺繍についての研究をしてきた。彼によると、英国、インド、中国(清)が、綿織物、茶、阿片(アヘン)の取引をしていた時代、パールシーの商人たちは、広東に赴き、積極的な貿易をしていた。

    中国の精緻な刺繍(汕頭/スワトウなど)を目にした当時の貿易商らは、妻たちのサリーに刺繍を施すことを思い立つ。インドから約5メートルの絹布を持ち込み、広東の職人に刺繍を施してもらい持ち帰る……。

    艶やかな刺繍のサリーは、瞬く間にパールシー女性たちの心を惹きつけた。やがて男たちには任せられぬと、女性たち自ら広東へ赴き、自分たちの好みを伝え、パールシーと中国の「折衷」デザインが誕生していったという。主には、サリーの両端に施すボーダー部分の刺繍物が普及したようだ。

    Ashdeenの説明を受けながら、中国の伝統や自然、言い伝えなどが反映された見事なサリーを眺める。一つ一つのモチーフに、物語がある。

    彼が『Ashdeen』を創業してから12年。この間にもビジネスは着実に拡大し、職人たちも10倍以上に増えたという。昨日掲載したデザイナーズ・ブランドの伝統衣装にも見られるが、インドでは、伝統的な手工芸を守りながら現在のデザインに反映すべく「不易流行」のコンセプトが確実にある。自国の手仕事を慈しみ、守り、未来に継承することは、とても大切で、尊い。

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    さて、わたしが今回、『Ashdeen』を訪れたのは、他でもない、自分のサリーを注文するためだ。2年前から、ここで赤いサリーを注文することを決めていた。赤にも、いろいろある。直接お会いして、色見本を拝見して、色、そして柄を決めたかった。これまで『Ashdeen』のパールシー刺繍が大好きだと言いつつ、実はバッグを1つ購入したことしかなかった。遂には、サリーを注文できたことがうれしい。

    来年の誕生日に着ることが、楽しみだ。

    🇮🇳🇯🇵 パラレルワールドが共在するインドを紐解く① 多様性の坩堝インド/多宗教と複雑なコミュニティ/IT産業を中心とした経済成長の背景/現在に息づくガンディの理念

    🥻京都とKYOTOが出合う。Ashdeenを訪ね、パールシー刺繍の歴史や、日本とインドの関わりを知る至福のひととき。(2022/11/3)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2022/11/03/as/

    🥻Ashdeen。夢のように美しい刺繍……! パールシー刺繍専門店へ。(2022/10/30)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2022/10/30/ad01/

    🥻パールシー刺繍の専門店『Ashdeen』で優美な衣装を眺め楽しむ(2023/06/03)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2023/06/03/ashdeen-2/

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    5泊6日のデリー滞在を終えて、昨夜、バンガロールへ帰ってきた。本来ならば、デリー宅の片付けなどを完全にすませるべく、そこそこ長期の滞在をしたいところ。しかし、冬は寒く、夏は暑いデリー。バンガロールの快適な気候に甘やかされてきた身にとって、この過酷な気象条件には、つい二の足を踏んでしまう。

    2020年1月に、義父が急逝。その直後にパンデミック時代に突入したこともあり、デリー宅の抜本的な片付けや内装工事もペンディングのまま5年の歳月が流れようとしている。「やらねば」と思うだけで、不毛なストレスが蓄積されるので、「まあ、機が熟した時にでも」というくらいの緩さで生きよう。

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    今回は、The India Japan Forumに出席し、義理の継母と食事をし、伯父夫妻の家へ遊びに行く以外に予定を入れていなかった。そんな旅の数日前に、デリー界隈に暮らしている友人のAkikoさんから、久しぶりにお話ししたいとのメッセージをいただいた。

    わたしがデリーに行くことは、どこにも書いていないはず。偶々のタイミングだったようで、フォーラムを終えた翌日に、ランチをご一緒することにしたのだった。場所は、Akikoさんにお任せしたところ、我々夫婦の住まいがある南デリーのPanchsheel Parkの南、クトゥブ・ミナールの近くにあるイタリアンCAARAを提案された。

    CAARAがあるのは、THE DHAN MILL (https://thedhanmill.com/)と呼ばれる複合施設。かつては倉庫街だったところに、高級ブランドやモダンなインド・デザイナーズ・ファッションのブランドが軒を連ねている。わたしの好きなブランドもあちこちに! いつのまに、こんなところに、こんなすてきな場所ができていたのだ……?! と、驚きつつも、うれしい。

    この日はもう、Akikoさんとの話に夢中で、美味ランチを楽しんだ後に散策するものの、ファッションに集中できる気持ちではなかったので、次回のデリー来訪時に、じっくり探検したいと思う。

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    ところでわたしがAkikoさんと初めて出会ったのは、彼女がバンガロールで働き始めたばかりの2012年2月のこと。東大のバンガロール事務局開設の式典の場で挨拶を交わした。

    2012年のあの日に感じたことが、今、思い描く未来に連なっている。そして、2003年の思いが、現在に連なっている。今読み返せば、未熟な考察も散見され、異論もあるが、それはそれ。過去の自分に再会するも面白い。

    ◉東大バンガロール事務所開設と、2003年のメールマガジンで書いたこと。(02/28/2012)
    https://museindia.typepad.jp/2012/2012/02/edu.html

    Akikoさんとは、初対面以降、あまり接点はなかった。しかし、COVID-19パンデミックにおけるロックダウンのころ、バンガロールに残る数少ない日本人として、彼女は積極的に、ミューズ・クリエイションの活動に関わってくれた。中でも2020年10月に開催した、オンラインでのミューズ・チャリティフェストを思い出せば、閉塞感と先の見えない心もとなさが同時に蘇る。

    閑古鳥が鳴くレストランを借りての「ほぼ無観客ライヴ」。Akikoさんの長男のSeijiさん(ドラマー)と共に、インド人のギタリストとベースに参加してもらって、「No Borders」というバンドを組み、ONE OK ROCK(ワンオクロック)のコピーを演った。

    12月には、ひっそりと、友人が経営するCinnamonの一室を提供してもらい、ミューズ・チャリティバザールも実施した。今、当時の動画を紐解けば、胸がきゅっと締め付けられる。あのころ、共に活動したメンバーたちは、大切な同志だ。

    Akikoさんとは、その後も、彼女の人生の節目にお会いし、語り合う機会がいくつかあった。そして今回は、2年ぶりの再会。今回はまた、二人にとって節目のタイミングであった。成長したSeijiさんの写真を見せてもらって、そのハンサムっぷりに目を見張

    子供はみんな、たちまち大人になる。

    ロックダウンに入った直後、独学で動画を作り始め、1年余りで100本以上の動画をYoutubeにアップロードした。今思えば、あの情熱もまた、意義深いものだった。

    今、久しぶりに、当時の動画を見直した。あのころの心許なさが蘇ってきて、泣けてくる。😿 同時に、コロナ太りで「長州力」風味が漂っていた自分の姿にも泣けてくる。

    それより何より、Seijiさんのキュートさよ💓 大人になっても、「削除してほしい!」なんて、言わないでほしい。逆に、貴重な動画になるかもしれぬ。藤井風の、子供時代の動画みたいに。このごろは、すっかり動画作りから遠ざかってしまったが、これもまた、時の過ぎゆくままに。

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    🇮🇳🇯🇵 Wasted Nights/ ONE OK ROCK, スタジオで初練習@Music House(Sep. 2020)

    🇮🇳🇯🇵 デカン高原の片隅で。ほぼ無観客ライヴ&Youtube動画試写会@1Q1 (Oct. 2020)

    🇮🇳🇯🇵Memories of Muse Charity Tiny Bazaar 2020/ 小さなチャリティバザールの、小さな思い出@シナモン (Dec. 2020)

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    2日間のフォーラムは、無事に終了した。メインのセッションもさることながら、このような場においては、参加者との出会いが貴重だ。人々との出会いは量より質だと、日頃から思っている。しかし、稀有な出会いを実現するためには、然るべき出会いの場に身を置く必要がある。

    年齢を重ねるほどに、関わる人々の数は蓄積されるが、果たして心通い合える友人知人がどんどん増えているかといえば、そうではない。「その場限り」が大半で、大切な関係性を繋げられる人数は、限られている。みな、それぞれのライフがあって、時間は有限。そんな中、短い間でも、心に響きあう会話ができる方に出会えるのは、幸運だ。

    今回、ランチタイムやカクテル、ディナーの場において、そんな「幸運」を味わえた。「相手を尋ね、自分を語る」過程において、自分が今、この場にいる意味について思いを馳せる。

    この1年間のわたしは、意識的に、人生の二周目に向けての精神的準備をしてきた。この先わたしはどうあるべきか、模索した1年の終わりの、まさにこのフォーラムの会場で、次なるヴィジョンが明確に浮かび上がった。いつかきっと具現化するために、これから動き始める。

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    あたかも自分で切り拓いてきたかのように思える自分の人生だったが、いや、わたしのライフはあらかじめ定められたカルマというレールに沿って走ってきただけだったのかもしれない。そう思うようになったのは、パンデミック時代、ロックダウンで引きこもっていたころに「自分史」を整理しつつ動画を作っていたころだ。

    わたしがインドに至るまでには、自分の意志だったとは言い難い分岐点がいくつかあった。「ニューヨークへ渡った数カ月後の七夕の夜に、インド人男性と出会ったところから、それは始まった」……と、かつては思っていたが。

    自分史を作る過程において、わたしが東京で住んでいた世田谷区用賀の「用賀」の語源が「ヨガ (Yoga)」だと知った。それに加え、用賀からニューヨークへ移る直前に引っ越した西葛西が、やがてインド人の街になったことなどを思うと、わたしの人生はニューヨーク以前から、インドに向かって助走していた気がする。

    そして2003年12月。ワシントンD.C.のジョージタウン大学で、英語の勉強をやり直すべく3カ月の英語集中コースに通った時、研究論文をインドの新経済(インドの頭脳流出と頭脳還元/循環)と決めた。なぜそのテーマにしたのか。自分でもよくわからない。ともあれその時期、米国ではインド投資熱が高まり始めていた。

    米ジャーナリストのトーマス・フリードマンがバンガロールに駐在し、毎週、ニューヨークタイムスにコラムを寄稿していたのもこの時期だ。彼はインフォシスのCEOだったナンダン・ニレカニ氏との対談の際に交わした言葉に着想を得て『フラット化する世界』というタイトルでの本を出版した。インドにおけるBPO(Business Process Outsourcing)の黎明期。経済誌でもインド特集が組まれ始めた。

    「これからはインドの時代だ」と、思った。

    2001年にインドで結婚式を挙げた時には「こんな国……住めない」と感じたのに。わずか3年後の2004年には、インド移住以外考えられなくなっていた。米国同時多発テロを身近に経験し、米国に対する感情が変化したことも理由のひとつだ。途轍もない情熱で夫を説得し、インド移住を決行し、2005年11月、バンガロールに移り住んだ。あれから19年。今、20年目を迎えている。

    あのときの、自分でも説明がつかない情熱はなんだったか。自分の意思とは離れた場所で、インドへ行きなさいと、自動操縦されていたようにさえ思う。

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    この20年間というもの。わたしはインド発、日本へ向けて、多くの仕事に関わってきた。特に最初の10年は、日本の広告代理店大手の研究開発局の方と、インド市場を多岐に亘って調査した。ほかにも、多彩な分野に亘るクライアントのニーズに応じ、そのときどきの時勢を映す調査を行ってきた。

    クライアント仕事の調査は当然ながら内部資料であり公開はできなかったが、インド各都市を訪れ取材、調査し、人々をインタビューし、克明な資料を作り続けた数々の仕事は、わたしにとってかけがえのない経験と財産になった。

    もちろん、インド人の家族親戚、そして友人に囲まれてのライフを通しては、通常、異邦人には見えにくいインドの表情を垣間見ることができる。むしろ外国人だからこそ、コミュニティの枠や境界を超えて、時にはイノセントに、好奇心のままに尋ね訪ねられる自由も享受してきた。

    過去10年は、セミナーの機会を増やし、視察旅行者にインドの現状を伝えたり、あるいはオンラインミーティングで情報提供をしつづけてきた。しかし昨今、それらがあまりにも微力であることを痛感している。いくら量より質とはいえ、蒔いた種が萌芽している気配を知ることの方が圧倒的に少ない。

    インドの歴史や地理、伝統、習慣、文化、ライフスタイル、精神世界……そして日本とインドの関係史。このようなことを知ることは、インドと関わる上で非常に重要だ。しかし、日本における「インド観」は、20年前と大して変わらぬまま、なかなかに遠い異国であるとの印象を受ける。

    今回のフォーラムに参加して、その思いを益々強くする。自分の熱意が続く限りにおいて、やれることを形にしたい。

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    2日目も、京友禅サリーを着用した。レモンイエローのやさしい色調。ブラウスは、手持ちのパールシー刺繍のサリーのブラウスを合わせた。色合いがほとんど同じで調和している。

    最後の写真は、今回のフォーラムの主催者であるアナンタ・センターのCEO、Indrani女史。このフォーラムの実現に際しての、彼女の尽力は計り知れない。来年もまた、この会場でお目にかかれることを楽しみに……感謝。

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    今回のデリー訪問は、昨年7月に引き続き、インディア・ジャパン・フォーラムへの出席が目的だった。前回同様、2日間に亘ってインペリアル・ホテルで開催されたこの催し。米国のグローバル組織「アスペン・インスティテュート」のインドにおける関連組織「アナンタ・センター Ananta Centre」と、インド政府外務省との共催によるクローズドな催しだ。

    会場には、政治、外交、ビジネス、シンクタンクなど、日本やインドに関わる各方面のエグゼクティヴ各位が集う。出発前に、当該サイトで、登壇者や参加者の学歴、職歴などを拝見する。優れた履歴の方々に紛れるわたしは、毎度のことだが野良猫(野良犬)のようでもある。ここにわたしが出席できている理由は、夫Arvindがアスペン・インスティテュートのリユニオンで、主催者側の関係者だからだ。

    せっかくの機会につき、普段のわたしの興味関心からは、比較的遠めのテーマであれ、今回も参加させていただくことにした。また、わたし自身の得意分野が未来に繋げられるよう、少しでも痕跡を残したく、京友禅サリーを着用して参上した。

    わたしは、2022年末から2023年初旬にかけて、京都の伝統工芸である「京友禅」の技法にて描かれた「京友禅サリー」のプロモーターをお引き受けし、バンガロールとデリーで展示会を開催した。今回また、およそ2年ぶりに新作のプロモーションをお引き受けすることとなったことから、お預かりしているサリーを実際に着用して出席したのだった。

    京友禅サリーのことについては、また別途、記したい。

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    「アナンタ・センター」のサイトによると、フォーラムの目的は、「日印の協力を強化すべく、意見を交換し、相互信頼を築き、将来の協力のための共同アジェンダを策定すること」とある。https://indiajapanforum.in/

    第3回となる今回のフォーラムでは、2日間で計9つのセッションが開催された。前回、Arvindはモデレーターとして登壇したことから、少々、慌ただしかったが、今回は登壇しないのでリラックスしている。
    初日の一昨日は、インドのJaishankar外務大臣とアナンタ・センターのCEOであるIndrani女史による開会セッションから始まった。その後、インド・ブータン王国駐箚(ちゅうさつ)特命全権大使の小野啓一氏によるスピーチと続き、セッションが開始。

    小野啓一氏は、大使館のソーシャルメディアで拝見していたが、今回、参加される方々のバックグラウンドを予習した際、小野氏の奥様の小野日子(ひかりこ)氏のことを知った。現在、駐ハンガリー日本国大使でいらっしゃる。わたしは、ご夫妻と同じ年齢ということもあり、奥様が当時、女性外交官としてキャリアを構築される際のご苦労などが記された記事を拝見し、リアルに感嘆した。

    ちょうど、我々夫婦がワシントンD.C.に住んでいた時期、小野日子氏は同地で出産されたというエピソードも目に留まり、お話を伺いたい思いに駆られた。

    さて、昨年と同様、国防や安全保障、インド太平洋におけるパワーバランス、Quad (クアッド/日本・米国・オーストラリア・インド4カ国の戦略対話)、半導体やクリティカルミネラル(脱炭素社会の実現に不可欠な鉱物資源)、インド市場への投資の展望、日印の経済協調……といったテーマのセッションが延々と続く。
    また、今回もインド財務大臣のNirmala Sitharaman女史が登壇された。今年2月、 YPO主催のイヴェントで、Sitharaman氏の話を聞く機会があった。そのときの話について、かなり克明に記録を残しているので、関心のある方はご一読を。

    🇮🇳「熱い湯に浸すと、風味や色が滲み出るティーバッグのように」。インド財務相、ニルマラ・シタラマン(Nirmala Sitharaman)氏の話を聞く午後。
    https://museindia.typepad.jp/2023/2024/02/nirmala.html

    🇮🇳🇯🇵THE INDIA JAPAN FORUM 2023 日本とインドの外交フォーラムに出席①
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/07/ji.html

    🇮🇳🇯🇵THE INDIA JAPAN FORUM 2023 日本とインドの外交フォーラムに出席②
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/07/ji2.html

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    季節外れの台風的な風雨に見舞われた一昨日&昨日の福岡地方。一部でJRが運休したり、県内で避難勧告が出た地域もあるなか、20名を超える方々が足を運んでくださった。まずは、ゲストならびに関係者各位へお礼を申し上げます。

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    わたしにとっては、親戚のような存在の美砂さんと、半年前の一時帰国時に会った際、「何か一緒にやりたいね」と話したことが契機だった。彼女は今年8月、福岡市東区西戸崎に「アレナプルクナ」という旅をテーマにしたギャラリー&ブティックを開業。今回、第一回目のイヴェントとして「旅する朝活セミナー」を企画してくれた。

    パリ在住歴の長い美砂さんは、帰国後もフランスに関わる仕事を続けられている。そんな彼女のご友人をはじめ、DJの相越久枝さんによるcrossfmでの告知を聞かれた方、また元バンガローリアンで、ミューズ・クリエイションのメンバー、さらには我が友人知人やソーシャルメディアをご覧になられた方々が足を運んでくださった。

    熊本から、台風の影響で、途中で何度も止まるスローな新幹線で駆けつけてくれた方もいて、申し訳なくもうれしかった。

    会場が使えるぎりぎりまで2時間弱、毎度のごとく、熱く語る。自己紹介に始まり、インドの多様性や地理的な基本情報、シルクロードを経て日本にもたらされた布の歴史、明治時代に日印貿易の契機となった綿、インド独立運動と手紡ぎ手織り布との関係など……を、極力わかりやすく説明。その後、具体的に、インド各地のさまざまなテキスタイルの歴史や特徴などを、豊富な写真をもとに説明する。

    持参したインドのサリーの1枚は美砂さんに着付けたほか、何枚かを直接、手にとって見てもらう。また京友禅サリーも広げ、その美しさを見ていただく。

    終了後は参加者を募り、館内にあるあるホテル・ニューオータニのレストランでランチ。雰囲気もよく、セミナー後の歓談には非常によい環境。大雨に見舞われたものの、極めて濃密で有意義なセミナーだった。参加された方々にも満足していただけたようだ。インドに対する関心を強めていただけて、本当によかった。

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    半年前も記したが、わたしと美砂さんとのご縁を綴っておく。

    美砂さんのお母様は、飯塚にて、我が両親の出会いのきっかけを作ってくれた方。美砂さんのお母様のお兄さんが、我が亡父と高校時代、親友だった。

    美砂さんとは、子どものころに顔を合わせたことはあったものの、きちんと話をしたのは、大人になってから。

    1992年、東京。わたしの父から彼女の母親の手に渡っていたらしき、わたしが自費出版した『モンゴル旅日記』。それに影響を受けたという彼女も、東京に住んでいたことから、わたしが当時暮らしていた世田谷区用賀の古びたアパート(竹陣荘!)に遊びに来てくれた。デザインやファッション関係の仕事をしていた彼女はその後、パリに移住。

    1994年、パリ。フリーランスのライター兼編集者として1993年に独立したわたしは、「1年のうち9カ月休みなく働き、3カ月まとめて休暇を取る」という目標を掲げていた。それを有言実行。1年目はパリの美砂さんの家を訪ね、旅の起点として数日間、滞在させてもらった。彼女は、わたしのモンゴル旅日記に影響を受け、モンゴルからシベリア鉄道の旅を敢行していた。

    1995年、パリ。フリーランス2年目のわたしは英国での3カ月の語学留学のあと、パリに2週間近く滞在した。そのときもまた、彼女の部屋に居候させてもらった。

    1996年、ニューヨーク。わたしとアルヴィンドが出会って直後のころ、彼女もたまたま、3カ月ほど、ニューヨークに滞在していた。その数年後にも、ニューヨークへ遊びに来た彼女と会った。

    2012年、バンガロール。すでにフランスを引き払って日本に帰国していた美砂さんが、妹の美陽さんと二人でバンガロールへ遊びに来た。たまたま我が家に立ち寄ったその日は、我が夫の40歳の誕生日会を「1日遅れ」で開催していた。驚くことに、美陽さんは、その日が40歳の誕生日だったので、一緒に祝福した。

    人生の節目節目で、お会いする機会があった彼女。今回も、わたしの人生の大きな節目となるころに、このような機会が実現できて、本当にうれしい。

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    この先の縁や機会は、来るのを待つのではなく、自ら作るべく動く所存につき。わたしのプレゼンテーションの資料は日本語と英語を合わせると、種類も豊富に20テーマほどをクラウドにアップロードしている。プロジェクタで投影できる壁さえあれば、いつでもどこでも語れる。

    次の一時帰国からは、プレゼンの機会を積極的に設けていこうと思う。

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    ◉昨日は母と妹と三人で天神へお出かけ。わが日本家族がしばしば利用してきたホテル・ニューオータニのチャイニーズレストラン「大観苑」へ。ここの五目あんかけ焼きそばを、数十年ぶりに食す。「カレー?」を思わせるソースポットに具沢山のあんかけ。豚肉に魚介類もたっぷりと、食べ応えのある美味ランチであった。

    ランチの後は「大丸」へ。福岡でのデパートといえば「岩田屋」が定番だが、過去10数年、わたしは、大丸にも必ず寄っている。地下の婦人靴コーナー、歩きやすい靴のブランドが充実しているからだ。特に最近は 「ビューフォート」がお気に入り。

    ◉今回の大丸はしかし、靴だけが目的ではなかった。折しも10月29日から11月5日まで、久留米絣の催し「ハク、マトウ。MONPE X HAORI」のアンテナショップが出ていることをInstagramで知り、行かねばと思っていたのだ。

    1500年以上前のインドを源とする絣(かすり)。福岡県南部の筑後地方、久留米周辺で200年以上にわたって織られている久留米絣は、日本の無形文化財でもある。

    木綿の糸を束ね、柄を作るべく紐でくくる。それを天然の藍(インディゴ)をはじめとする染料に浸す。色づいた木綿の束の、紐を解けば、染まっていない白い部分が浮かび上がる。その糸を織機に張って、織るのである。

    何が何だかわからないと思われるだろうが、ともかく、高度な職人技が要されるのだ。

    その起源は「数千年前」に遡る。東南アジアや中央アジア、インドなどで、類似の技術が独自で育まれたという説も見られる。なお、絣の中でも、経糸と緯糸、両方を束ねて染めて織り上げる「経緯絣(たてよこがすり)Double Ikat」は、インドとインドネシアのバリ島、そしてこの久留米など、世界でも極めて限られた場所においてのみ技術が継承されているとのこと。

    だめだ。絞り染めや絣の話になると尽きない。

    わたしが子供のころは、祖母の着物や「モンペ」に代表される久留米絣をして、田舎っぽい和装の印象があった。しかし、インドに移住して絣の歴史を知り、2011年に西日本新聞の連載『激変するインド』に記事を書くべく「久留米絣のふるさと」を訪れたのを契機に、絣に対する印象が変わった。

    わたしが久留米絣の衣類を初めて買ったのは2017年。この大丸にてアンテナショップを出されていた「丸亀絣織物」で、椿柄のジャケットを購入。そのときに5代目の丸山重俊氏と写真撮影をし、丸亀絣織物のInstagramをフォローし始めたのだった。

    軽くて着心地がよい。冬暖かく夏は涼しい。洗濯しても痛まない。色落ちしない。丈夫……。その魅力にすっかり引き込まれた。

    今回は、久留米絣のふるさと、広川町の工房から、丸亀絣織物はじめ池田絣工房、野村織物、坂田織物……と、4つの工房が共同で展開されている。7年前に比べると、格段にデザイン性が向上していて、魅力的な商品がたっぷりだ。

    藍以外のカラフルな色柄も加わり、伝統柄とモダンの融合がなんともいえずいい。我が座右の銘、「不易流行」が、ここにも具現化されている。多少、値段が高くても、着心地よく、長く着られて、愛着を感じられるものは尊いということを、歳を重ねるにつけ、実感する。

    とくに、一年前から着物に目覚めて、中古の着物を眺めることが増えたわたしは、そのことを痛感する。もちろん、カジュアルなファッションも好きで、ついつい体育会系Adidasなどを好んで買ってしまうが、本質は、天然素材で、伝統が生きていて、人々の技術が活かされた衣類が、心身にとって滋養になると考える。

    こうして若い世代が家業を踏襲し、試行錯誤されながら新たな衣の世界を育まれていることを、すばらしいと思う。ちなみにわたしの絣ジャケットは、インドの友人たちにも非常に好評だ。サイズ展開などに課題があるだろうが、モンペやジャケット、トップ……といずれも、インド富裕層マーケットに訴求できるクオリティだと思う。

    昨日は、母の買い物に集中すべく、自分の試着をゆっくりできなかったので、期間中にまた、再訪する予定だ。

    母に買ったパンツ、そしてトップ。しっかりとした風合いながらも、重さを感じず、とにかくかわいい! そしてこれからの季節によいコート。これは母のために買ったが、わたしにも似合うかどうか、確認。一時帰国のとき、わたしも着られるように。

    母も大喜びで、帰宅後は試着会。

    「これは一生ものねえ……」と母86歳。お好きなだけ、長生きされたし。その後はもちろん、わたしが愛用し続ける。

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    *久留米絣関連の記録は、以下ブログや動画に残している。

    ◉伝統を守りながら、新しい試みを続ける人々。オリッサのイカット(絣/かすり)世界(2022/09/08)

    ◉若き起業家たちが受け継ぐインドの伝統手工芸の新しい境地 (2021/08/26)

    ◉日印の「縁」が強すぎる。サリーとテキスタイルの世界ひとつをとっても。(2021/08/27)

    ◉数千年の歴史あるテキスタイルが新たな感性で蘇る。 若手が担うインドの伝統的な手工芸。絣(かすり)や絞り染めなど、日印に共通する技術も。

    ◉列車に揺られ久留米絣の古里を訪ね、藍染め工房へ(2011/09/15)

    ◉熟考の末、オリッサの絣、マスターピースを求む。(2011/08/12)

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    今週の土曜日、福岡市美術館のレクチャールームにて、インドのテキスタイルを軸に、日本とインドの交易の歴史や、インド独立運動と手紡ぎ手織り布の関係など、インドの多様性を象徴するテキスタイル世界を、濃密に語ります! 写真もたっぷり、情報も濃密なセミナーのあとは、参加者に向けてオリジナル資料もシェアいたします。

    さらには! 

    2022年から2023年にかけての数カ月、務めていた「京友禅サリー」のプロモーターを、今後も改めてお引き受けすることになりました。年末年始にかけて、インドでの展開を始める前に、本日、京都から届いたサリーのサンプル4枚も、朝活セミナーに持参します。

    インドから持ち帰ってきた7枚のサリー含め、実際に見て、触れて、その魅力を体験していただけます。性別を問わず、インドに関心のある方には、十分に楽しんでいただける内容です。自分で言うのもなんですが、なかなかに稀有な機会です。ご予定が空いている方は、どうぞお立ち寄りください。

    以下のリンクからお申し込みいただけますが、坂田に直接、メッセージをお送りいただければ、当日のお支払いでもノープロブレムです。

    ◉インドのファッション&ビューティ関連ブログ

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    バンガロールにおけるファッション界の第一人者であるPrasad Bidapa。テキスタイルのプロモーターとして、またキュレーターとしても、各方面で活躍されている人物だ。彼と初めてお会いしたのは、パンデミック時代の3年前。マハラーシュトラ州に息づく古来インドのChandrakalaサリーに関する催しだった。

    以来、何度かお会いしたが、中でも今年2月のA HUNDRED HANDS のバザールにて、彼が主催するファッションショーに、「モデルで」参加させてもらったのは、とても楽しい経験だった。アッサムのサリーのうえに日本の絞りの羽織を着るという、日本とインドの伝統ファッションの融合。いずれも、以下、記録を残している。

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    今回、Prasadから連絡があったのは、10日ほど前。JWマリオットホテルにて、サントリー・ウイスキー季(Toki)のプロモーションをするので、25日金曜日に着物でファッションショーをできないかという打診だった。日本への一時帰国が間近なこともあり、先週はホスピス訪問以外の大きな予定を入れていなかった。とはいえ、準備期間は短い。その上、何度も記しているが、わたしが着物に目覚めたのはわずか1年前で、まだ自分で着物の帯を結べない。浴衣の半幅帯はなんとか結べているが。

    とはいうものの、わたしはこの1年間、着物に関するイヴェントを何度も開催し、バンガロールにおいては、和装スペシャリストな状況となっている。本気な方々からのツッコミが入りそうだが、それはそれ。伝統衣装を文化交流に昇華していると思えば、有意義だ。スケジュール表を見つめる。スケジュール表をぐいっと見つめる。

    なんとかなる。それに、どう考えても楽しそうだし、未来にも繋がる。お受けすることにした。

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    月曜日にPrasadを新居に招き、手持ちの和服を見てもらい、当日の流れをざっと決める。女性モデル5名。男性モデル2名。マネキンガールズ4名。着物と帯を、それぞれに、ひとりで着付けることは、どう考えても無理。マネキンガールズには着物を着せ、女性4人には、派手な羽織をモダンに着こなしてもらう。そして、女性1人には、わたしの有松絞りの浴衣を、男性2人には、亡父の浴衣を着てもらうことにした。

    浴衣を着た3人には、裾がはだけないように、歩き方や所作を指導。自分はうまくできなくても、指導はできるのだ。結果、彼らは丁寧に、雰囲気よく、歩いてくれた。

    蓋を開けるまで、何がどうなるかわからないのがインドのイヴェント。常にフレキシブルに対応できるように、諸々、多めの準備を心がけている。着物や帯、帯締めや帯紐などの小物類も、ありったけ車に詰め込んで午後2時ごろにホテルへ。ホテルだけあり、準備のための部屋を用意していただけたのはありがたい。しかし、くつろぐ余裕はない。

    まずは会場へ赴き、マネキンを組み立て着物を着せる。ポールに帯を飾る。今回は、Prasadのスタッフが力仕事を手伝ってくれたので助かった。

    その後、モデル着用の羽織などを選ぶ。着物ファッションショーに続いて、和風テイストのデニムブランドUNのショーがあるのだが、このモデル男性ら数名も、羽織を着て出たいと言い出す。女性用なんだけど……。

    ここはインド。楽しく日本の伝統服に親しんでもらうのがいいだろうと、予備を取り出す。男性モデルの一人が素肌に羽織りたいと言い出したときは流石に迷ったが、「肉体美」アピールをしたい模様。OK, OK。集合写真で、わたしの右隣に立っている男性だ。結果、わたしの着物とナイスなコーディネーションだ。

    多めに持参していた帯締めは、ストールとしてUNのデニムに合わせることになった。これもなかなかにCoolだ。

    わたしの着物は、前回の一時帰国の際に購入した単衣(ひとえ)の新品中古。わたしが所有する着物はすべて袷(あわせ)なので暑い。今後は、単衣の着物か良質の浴衣を探そうと思う。

    準備やリハーサルやモデルらの着付けを手伝ったあと、ほぼ休むまもなく自分の着付け。半幅帯でお茶を濁す。丈が短すぎる、お端折りが歪んでいる、裾が広がっている……など、写真で見るとツッコミどころ多々あるが、ようやった。

    ファッションショーの前に、10分ほど、着物トーク。これらの着物や帯の多くが、半世紀以上、実家のクローゼットに眠っていた母のものだということや、浴衣もまた父のものだということなど。古い写真は、1972年8月31日。我が7歳の誕生日のときの1枚だ。父がこのとき着ている浴衣を、今、インドの若者が着ている。写真は色褪せても、着物は色褪せない。父がよく着ていたので、ところどころがすり減ってはいるが、それはそれで風情がある。

    書きたいことが募るが……。今夜、日本へ出発につき、この辺にしておく。

    🥻途轍もなく深いインドの衣文化。時空を超えて、伝説や神話から紡がれるサリー(2021/08/25)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2021/08/25/saree-9/

    🥻遂にはファッションモデル・デビュー?! テキスタイルに滲む家族の系譜を思う。(2024/02/07)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2024/02/07/ah02/
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2024/02/07/ah03/

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    ヒンドゥー教の新年を祝する光のお祭り、ディワリ。今年は10月31日だが、昨夜は一足先に、ディワリを祝うパーティが開かれた。わたしは今月末から1カ月弱、一時帰国するので、今年はディワリの花火や爆竹の大騒ぎからは免れそうだ。

    パーティには、夫婦揃って、先日、アートスクールで開催されたテキスタイル・バザールにて購入した衣装で出かけた。黒地に金糸のサリーは、シックながらも艶やかで、着心地もよく、とても気に入った。夫のチカンカリ刺繍が施されたクルタも、手刺繍のやさしさが上品でいい感じだ。

    出会う友らに、“Happy Diwali!”とあいさつをし、グラスを交わす。もう、ディワリなのだ。季節の起伏が浅く、記憶に区切りをつけにくいバンガロールに暮らしていると、時の連なりが茫漠。

    もう、(インドは)年末なのだ……。という事実をすんなりと受け入れられず、“Happy Diwali!”に違和感を覚える。

    煌びやかな会場、豪華な料理……。ファッショナブルに着飾った友人ら。この華やかなライフもまた、インド。
    昨夜のハイライトは、Bismil Ki Mehfilのライヴだった。ボーカルのBismil は5歳のころからスーフィー音楽の指導を受け、18歳でBismil Ki Mehfilとしてプロデビュー。インドだけでなく、海外でもライヴを重ねる人気ミュージシャンだという。

    彼の背景についてを、わたしは全く知らなかったが、彼の歌声とバンドの演奏を耳にした瞬間、一気に引き込まれた。伝統とモダンを巧みに織り交ぜた音を奏でるバンドがまた、本当によかった!!

    2018年、ラジャスターン州のジョードプルにて毎年開催されている聖なる音楽祭に訪れたことを思い出す。本当に、魂が揺さぶられる音楽の旅だった。

    わたしはさまざまなジャンルの音楽を好むが、中でも、この中央アジアや欧州に連なる「北西インド界隈」の音楽が、ことのほか好きだ。夫の出自であるパンジャブの音楽を聞いても血が騒ぐ。

    スーフィー、ジプシー……流浪の音楽の、哀愁を湛えつつも力強い旋律。踊らずにはいられない。

    スーフィーについては、ぜひとも過去の記録をご覧いただきたい。そして、音楽が好きなインド在住者には、ぜひとも、この毎年恒例の音楽祭へ訪れることを、お勧めする。来年も、2月中旬開催予定だとのこと。7年ぶりに、行こうかな……。

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    会場の随所に、写真撮影の「映え」スポットが用意されていた。中でも、額縁のスポットが気に入り、友人夫妻らも撮影してあげた。非常にすてき。

    黒いジャケットの好青年は、我が友人Dekyiの息子であるKunzang。HAPPY TOPIAの創業者だ。今年7月、ミューズ・クリエイションで彼を招き、話を聞いたことは、記録に残している。19歳の若きアントレプレナーの話は実に読み応えがあるので、ぜひ目を通していただければと思う。

    👨‍🍳北インドの軽食チャート。ヨーグルトの代わりに新鮮なブラッタチーズを使ってみました! と、シェフが作ってくれたけど。これはヨーグルトの酸味が欲しいぞ! 普通でいいぞ!😉

    🌏聖なる音楽に浸り続けた。ラジャスターン州ジョードプル紀行(2018/02/28)

    🌏最先端のテクノロジーを無数のカプセルに込めて。19歳のアントレプレナーが描く、インド5000年の歴史を継承する未来。(2024/07/16)

    ◉日曜日の午後、久しぶりに夫とデート。目的地はまたしても布の展示会VASTRABHARANA

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