不易流行 〜インドのファッション&ビューティ〜

FASHION & BEAUTY in INDIA/インドの多様性を映す民族衣装サリー情報をはじめ、昨今のファッションやジュエリー、コスメティクスのトレンドをご紹介。

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    福岡7泊、名古屋3泊、東京5泊の半月に及ぶ旅を終えて、バンガロールに戻ってきた。久しぶりの一人旅は、日本発見の旅だった。旅を始める数日前に「日本の着物」に目覚めたことで、今回は「新しい目」を授かったような日々だった。

    福岡、名古屋、そして銀座……。自分でも呆れるほどに、「呉服関係」の店舗や催しに足を運び、着物に関わる人々と言葉を交わした。今回はあまり使うことはないだろうと思っていた名刺を、すべて使い切ってしまうほどに。

    書きたいことは募るが時間の余裕もない。とはいえ、インドに戻るとたちまち日常。実は半年前の銀座での経験も、書き残さないまま写真だけが眠っている。ゆえに、せめて備忘録として、記憶に残る写真をできるだけ残しておこうと思う。

    🗽

    10月21日の午前中は、インド関連の仕事の打ち合わせがあったので、サリーを着て出かけた。ちょうど銀座の中央通りは歩行者天国になっており。お気に入りの一張羅、オリッサ州のイカット(絣)のサリーを着用。写真は、映える撮影が上手そうな東アジア系旅行者の女子に撮ってもらったもの。

    12年前、当時20代だった若き職人が1年半もかけて織ったサリー。インドテキスタイル省からの受賞作品でもある。詳細は以下のブログに記録を残している。あのとき「地味?」と思ったがしかし、買っておいてよかったとつくづく思う。

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    午後は、やはり銀座で開催されていた「Saul Leiter ソール・ライター」にまつわるトークイヴェントに赴いた。ソール・ライター(1923〜2013)は、ニューヨークのイーストヴィレッジを拠点に活動していたジューイッシュ(ユダヤ系米国人)のアーティスト。自分の生活拠点から定点観測するかの如く、マンハッタンの情景をカメラで捉えた。カラーフィルムの黎明期にパイオニアとして活動したフォトグラファーとして知られているようだ。彼はまた、水彩画の画家でもあった。

    実は、わたしはソール・ライターのことを知らなかった。半年前の銀座で、ニューヨーク在住時の友人でエメラルド作家のHONOKAさんの展示会に足を運んだのだが、その会場となっていた森岡書店を経営する森岡督行氏のソーシャルメディアの投稿で知ったのだった。

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    『Saul Leiter The Centennial Retrospective』(青幻舎)の出版を記念してトークイベントを開催します。本書にソール・ライターの絵画についてテキストを執筆した平松麻さんと、「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色」展を企画したコンタクト代表の佐藤正子さんをお迎えして、ソール・ライターの絵画と写真の特徴や、その現代性について、スライドを交えてお話しいただきます。

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    本来ならば、少しはソール・ライターについて予習をして訪れるべきところ、ほぼ下調べをせずに会場へ向かった。ただ、「ニューヨーク」というキーワードに導かれるように。ゆえに、スクリーンに映される彼の作品 〜水彩画および写真〜 はどれも初めて目にするものばかりだ。

    ピッツバーグの敬虔なユダヤ教徒の家庭に生まれ育ち、ラビ(祭司)への道を望まれていた彼が、神学校を去り、アーティストを目指してニューヨークへ移り住んだという彼のライフの背景を聞きながらスライドを眺める。

    「部屋に飾りたくなるような」穏やかな色彩を湛えた水彩画や、マンハッタンの「ガラス越し」あるいは「雪や雨に降られて」ぼやけて柔らかな色彩の詩的な情景写真の数々……。敢えて曖昧に、絵画に寄せたような写真は、ニューヨーク情景を彷彿とさせて、懐かしい。

    絵画はライフワーク、写真は趣味でありテーマ……。などと、勝手な印象を抱きつつ思うところ尽きず。昔日のマンハッタンが恋しい。
    イヴェントの終わりに「くじびき」が行われた。ソール・ライターのイラスト入りバッグと、彼が好きだった「コーヒー」と「日本文化」に因んでの「珈琲どら焼き」。……欲しい! と念じていたら、当選者4名のうちに見事、選ばれた。とてもうれしかった。

    会場を出たら急にコーヒーが飲みたくなり、近くのスターバックスに入った。……と目に飛び込む「1996」の文字。そこは、スターバックスの日本1号店らしき銀座松屋通り店であった。わたしと夫がマンハッタンのスターバックスで出会った1996年七夕の1カ月後にオープンしたらしい。今回の銀座では、つくづく、我がニューヨークの初心を思い出す。夫と出会ったばかりのころのことを、思い出しなさいということかもしれない。Well….

    [🇯🇵DAY 19−2 TOKYO] 一冊の本を慈しむ森岡書店で20年ぶりの再会! 婚約指輪とエメラルドと天然真珠のご縁。(2023/04/24)
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/04/jpn19-2.html

    🇮🇳インドの伝統工芸と職人たちを支援し続けるDASTKARの創始者、Lailaを訪ねる朝。(2022/10/31)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2022/10/31/dastkar-3/

    🇮🇳熟考の末、オリッサの絣、マスターピースを求む。(2011/08/12)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2011/08/12/ikat-5/

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    オベロイ・ホテルの高級日本料理店WABI SABIにて。あたかも「ここで働き始めた?」かのような「いらっしゃいませ」な雰囲気を漂わせていた今日の我。

    今日は、長い1日だった。無事に諸々のミッションが終わって、ほっとした。これで心おきなく、日本に一時帰国できる。

    今日は、月例ミーティングを終えた後、出先で「浴衣」に着替えて、オベロイへ。日本をテーマにしたイヴェントで、プレゼンテーションをすることになり、せっかくならばと浴衣を着ることにしたのだった。

    実は、インドに移住して以来、きちんとした浴衣を着るのはこれで2度目。わたしは和装に縁遠い人生を送ってきた。七五三を除き、大人になって着物を着た経験は、妹の結婚式で一度だけ。浴衣も、人生で10回程度しか着たことがない。つまり、慣れていない。

    数年前、この浴衣を福岡の中洲川端にて購入した後、バンガロールで着たことがあった。しかし、同席していた日本人女性たちから、諸々突っ込まれた。襦袢を着たり、帯紐を結ぶときには、足袋を履かねばならないとかなんとか。しかし調べてみるに昨今は、かなり自由に楽しんでいる人もいる様子なので、もう、これでいいだろうという結論。

    気をつけるべきは、歩き方。立ち居振る舞いが日本人的清楚さに欠けていた模様。何しろ普段は、大股でスタスタと歩くことに慣れている。しかし、着物を着ると、内股で、小刻みに歩かねばならない。自分では意識しているつもりだったが、そこも指摘された。なんだか面倒になって、浴衣を敬遠していたのだった。

    しかし、過去の経験を教訓に、今日は頑張った。昨夜、Youtubeで着方の復習をし、鏡の前で立ち方なども練習し、なんとか、それらしくなった。

    この頃は、インド人の前で日本を語る機会が増えている。着物を着付けるのはたいへんだが、浴衣ならなんとかなると今日、実感した。今の季節、日本で浴衣が販売されているかどうか不明だが、今後、少しずつ浴衣コレクションを増やしてもいいかもしれないと思う。

    ちなみにこの浴衣は「久留米絣」。椿柄がとても気に入っている。インド起源で日本で育まれた伝統的なテキスタイルが反映されているから、物語性もある。今度はもっと、派手目の浴衣を探してみたい。

    今日の様子はまた後日、記録を残そうと思う。今日は、日本酒で少々酔っているので、寝ます。🍶

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    昨年の師走以来、本当に久々に『インドのテキスタイルとサリー講座』を実施した。これまで坂田のビジネス部門「ミューズ・リンクス」として各種セミナーを行ってきたが、今月のセミナーから「OKaeri Ventures」に名義変更している。

    「オカエリ・ヴェンチャーズ?!……なに、それ?」 

    と、クスッと笑われそうですけどね。そしてわたしたちも笑っているんですけどね。それがいいのだ。「OKaeri Ventures」。それは、わたしと夫が今後、共同で始めるプロジェクトの名義。現在、諸々の準備中だが、いつものごとく「動きながら調えていく」スタイルだ。

    なぜ「オカエリ(お帰り/お還り)」なのか。命名の経緯その他、詳細はいずれ別途、記したい。

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    さて、今回の講座。従来と同じ資料に、バンガロールのファッション・ブティック情報や、昨今の「坂田視点での」すてきなデザイナーズブランドを加えて厚みを増した。いずれも、「インドの伝統的な技術を反映」し、「職人たちの技を活かし」た、「絹や綿、麻などの天然素材を用いている」、しかし若い息吹が感じられるブランドだ。

    インドのファッション業界もまた、目まぐるしく変容する昨今。わたしが焦点を当てるのは、我が座右の銘のひとつである「不易流行(ふえきりゅうこう)」が映るテキスタイル世界だ。

    インドの布(テキスタイル)は、インドの歴史や文化を理解することで、深く広く多様に、その魅力を認識できる。マハトマ・ガンディが提唱したインド独立運動のスローガンの一つ、「スワデシ(国産品愛用)スワラジ(自主独立)」とインドのテキスタイルには、切り離せない物語がある。今回の参加者各位は、歴史的な背景の説明をも興味深く聞いてくださっている様子だったので、そのあたりの説明もしっかり行った。

    いつものように、わたしのサリーを見て、触れてもらいながら、それぞれのテキスタイルの特徴を説明する。布を通して、インドの地理や歴史を同時に学べる有意義なひとときだ。いつもなら、セミナーのあと、わたしのサリーを試着してもらい、ティータイムとなるところだが、今回はスペシャルな企画があった。

    我々の新居のコミュニティAfter the Rainに暮らす友人のYashoに、彼女が販売しているサリーを持ってきてもらったのだ。彼女のことは、何度か記してきた。わが友人の中で、最も頻繁にサリーを着用している、美しく知的な女性。昨年末、新居で「京友禅サリー」の展示会をしたときも、彼女はエレガントに試着し、モデルとなってくれた。

    かつて彼女は、デリーのITC Mauryaホテルにある老舗北インド料理の名店、Bukharaにて、女性初のシェフを務めたという経歴も持つ。さまざまなインドの伝統文化などについても造詣が深く、彼女から学ぶことは多い。なお、わたしがバンガロールの新空港「ターミナル2」について、何度か仔細をレポートできたのは、彼女の夫であるHariが、ベンガルール国際空港のCEOだからこそだ。折しも、このセミナー翌日の空港取材が実現できたのも、彼のおかげだ。

    ……空港取材の話はまた、別途記す。

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    彼女は、COVID-19のパンデミックで、多くの織物職人が仕事を失い窮地に立たされているのを知り、インドの伝統や文化を守る一助になろうと、サリーを販売する「Mrinalini」(お嬢さんの名前)ブランドを立ち上げた。

    彼女が取り寄せている手織物のサリーは、いずれも非常に品質が高い。高級ブティックで買えばかなり高価となるサリーを、良心的な価格で販売している。わたしもすでに、「職人たちを支援するために」という気持ちで😁、すてきなサリーを購入してきた。そしてこの日も、参加者に見てもらうつもりだったのに、1枚のすばらしいサリーに目が釘付けになり、購入した。

    なんと、それは前夜到着したばかりで、他のサリーは1種類ずつ取り寄せるところ、それだけは2枚注文。Yashoもすでに1枚、自分のために購入していたらしい。

    「2枚、取り寄せていてよかった!」と彼女。パールのアクセサリーを好むところも、彼女とわたしは似た嗜好なので、わたしがMrinaliniのサリーが大好きなのは、当然のことかもしれない。

    かくなる次第で、非常に有意義なひとときを過ごしていただけた講座だったと思う。資料は印刷物だけでなく、pdfファイルも参加者とシェア。店舗情報などは資料の店舗名をクリックすると、それぞれのサイトに飛べるように編集している。非常に実用的な仕上がりだ。

    主催する側にとっても、とても楽しい時間だった。ご参加のみなさん、ありがとうございます。

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    ⬇︎Mrinaliniのサリー関連記事

    🥻インドはお祭りシーズン序章。またしてもサリーの海へ。(2021/09/19)
    Mrinalini. A platform to help handloom weavers across the country.

    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2021/09/19/saree-1-3/

    🥻Mrinaliniのサリーを眺め、豊かな布の一日を締めくくる。(2022/11/11)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2022/11/11/saree-5/

    [Mrinalini] サリー購入に関心のある方、坂田までDMください
    https://www.mrinalini.co/

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    先日のデリー旅から戻った翌々日は、ほぼ毎週火曜日開かれている、わたしが所属する「女性の勉強会」の会合の日だった。この日は、わたしがお招きしたスピーカーに登壇していただくこともあり、ヤラハンカの新居を会場にして実施した。

    以前から、個人的にお聞きしたかった、とても大切なテーマにつき、ゆっくりと記録を残したいと思いつつ……歳月は瞬く間に流れる。

    スピーカーは、チベット系インド人である我が友人Dekyiと、その父君のT T Khangsarだ。

    わたしがDekyiと出会ったのは2017年。夫同士はすでに知り合っていたが、わたしとDekyiがゆっくり言葉を交わしたのは、4人で日本料理を食べに行った時のことだった。わたしはそのとき、チベット系インド人であるDekyiのバックグラウンドを聞き、強い衝撃を受けた。

    わたしが2019年、ダラムサラを訪れ、ダライ・ラマ法王14世にお会いすることができたのは、すべて彼らのおかげである。その旅記録も克明に残しているので、関心のある方はぜひ、下記リンク『深海ライブラリ』ブログをご覧いただければと思う。

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    Dekyiは、ここカルナータカ州のマイソールで生まれ、バンガロールに育った。しかし、チベットの貴族の家系に生まれた父T T Khangsarやその両親の物語は、波乱に満ちたものだった。中国によるチベット侵攻によって、彼らのライフは、他のチベット人と同様、翻弄された。

    緑豊かで自然美にあふれるチベット東部のトンコール・カムで、貴族の家系に生まれたKhangsar。6歳でチベット仏教に身を捧げ、修道生活を始める。子ども時代の平和な暮らしは、しかし1959年の、中国によるチベットに侵攻で破壊される。Khangsarの家族は、高貴な身分だったことから、彼は父親を目の前で惨殺されるなどの悲劇に直面した。

    その後、彼は残された家族と共に、14歳で祖国を脱出、危険な山々を越えてインド北部に避難した。インドのカリンポンで、ゲルク派のタントラ僧院大学を卒業した後、南インドのポンディシェリで哲学とサンスクリット語を研究。その後、オランダの大学に進み、MBAを取得した。当初は、大学レベルの科目はほとんど理解できなかったにもかかわらず、絶大なる努力の結果、優秀な成績で卒業。勉強だけでなく、ラグビーにも熱中し、心身ともに精力的で活発な青年だった。

    1970年、彼はダライ・ラマ法王14世とチベット亡命政府により、インド政府との連絡役を任される。さらには、南インド最大のチベット人居住区「バイラクッペ(バイラクーペ)」の設立支援を命じられる。以降、彼は、チベット人コミュニティのために尽力し続けており、Dekyiもまた、父の偉業を受け継ぎながら、貢献活動を続けている。

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    勉強会の日、上記の概要に沿いながら、Dekyiの補足説明と共に、父君が半生を語ってくださった。悲喜交々のエピソードの、ひとつひとつが、心に染み入る。いつも朗らかでやさしく、穏やかな笑顔で接してくださる父君に、改めて深い敬意を抱いた。

    国家間の軋轢によって祖国を失った人の気持ちは、思いを馳せるに到底、理解が難しい。

    インドの多様性と寛容と、個人の尽力の偉大な影響力などに思いつつ、書き残したいことは尽きぬ。以下、関連情報をシェアしたい。

    【関連情報】

    🙏ダライ・ラマ法王14世にお会いした2019年のダラムサラ紀行を紐解く(2021/12/03)
    https://museindia.typepad.jp/library/2021/12/dharamsala.html

    🙏遠く故国を離れて。南インド。チベットの人々が暮らす場所。(2010/6/9)
    https://museindia.typepad.jp/library/2010/06/bylakuppe.html

    🇺🇸[コチ=ムジリス・ビエンナーレ]CIAが関与した知られざるゲリラ戦。中国に寝返った米国。祖国奪還を目指して戦ったチベット人兵士たちの悲痛な末路……(2023/02/03)
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/02/kochi13.html

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    Born into an aristocratic lineage of Tongkhor Kham, in the eastern region of Tibet, T T Khangsar was chosen for a spiritual path at the tender age of six. Devoting himself to Buddhist scriptures, he embarked on a monastic life in adherence to Tibetan tradition.

    This peaceful existence was violently disrupted in 1959 when China invaded Tibet. Because of their noble status, Khangsar’s family faced dire consequences, including the brutal loss of his father. At the tender age of 14, Khangsar had to flee his homeland, undertaking a perilous journey through treacherous mountains to find refuge in northern India.

    Here in India, Khangsar initially studied at Kalimpong and then graduated from the Gelugpa Tantric Monastic University before heading to Pondicherry, South India. He furthered his studies there, delving into philosophy and Sanskrit.

    But Khangsar’s academic journey didn’t stop there. He moved to the Netherlands in 1968 to pursue an MBA at Nyenrode University. Despite starting with a limited understanding of college-level subjects, Khangsar’s relentless dedication led him to graduate with honors. Apart from academics, he also developed a love for rugby, demonstrating his vigor both on the field and in the classroom.

    In 1970, Khangsar’s academic accomplishments led His Holiness the Dalai Lama and the Tibetan government-in-exile to personally invite him to assist in liaising with the Indian government. His task was to help set up the largest Tibetan settlements in South India, a critical mission that Khangsar undertook with commitment. With his international degree and deep-rooted determination, this resilient scholar from a Tibetan aristocratic family committed himself to serve his community and contribute positively to their future.

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    無事に、2日間のフォーラムを終えて、今日の夕刻、バンガロールへ戻る。夫Arvindもモデレータとして登壇した昨日のフォーラムについて言及する前に、12年前のことを記しておきたい。2011年9月。東日本大震災の余韻が重く残る東京にて、しかし大々的に3日間に亘る「日印グローバル・パートナーシップ・サミット」が開催された。

    わたしは招待されなかったが、どうしても参加したかったので、一般枠に申し込み出席したのだった。後半の写真はそのときのもの。ご覧の通り、森喜朗氏はじめ、鳩山由紀夫氏、安倍晋三氏、菅直人氏……と歴代首相が登壇。実は菅氏は「首相」として参加予定だったが、数日前(!)に政権交代。最終日に、野田佳彦首相が厳戒なる警備のもと、ステージにて挨拶をされたことが印象に残っている。

    12年前に色濃く打ち出された日本とインドの連携にまつわる諸々が、歳月を経て今、どう変化しただろうと、検証したくなるこの2日間でもあった。なお、2011年の日印グローバル・パートナーシップ・サミットに関する記録も、臨場感たっぷりに、ブログに残しているので、関心のある方にはぜひ、ご覧いただきたい。

    ♦︎初日は、日本とインドの外務大臣によるセッションで開幕した今回のフォーラム。その後、Quad (クアッド/日本・米国・オーストラリア・インド4カ国の戦略対話。2007年安倍晋三首相により提唱された)インド太平洋におけるパワーバランスや、半導体やクリティカルミネラル(重要な鉱物)、北東インドへのインフラストラクチャー投資などをテーマにしたセッションが4本、続いた。

    ♦︎2日目の昨日は、防衛ネットワークの強化と侵略の抑止をテーマにしたセッションで開幕。近年の日印外交の礎を築いた第一人者が森喜朗元首相であることや、安倍晋三元首相がそれ継承し、マンモハン・シン元首相やモディ首相との外交を積極的に深めて来た経緯は、わたしも知るところだ。

    ♦︎初めて知ること、学ぶことが多い中、昨日は、自由民主党所属の参議院議員(大阪)の松川るい氏の話が特に勉強になった。日本の防衛備品の輸出に関する課題、その背景と安倍元首相の尽力など。同氏はワシントンD.C.のジョージタウン大学(わたしも通ったが、英語学習コース😅)も卒業。聞き取りやすい流暢な英語で、怜悧に堂々と、短時間で的確に説明される姿に感じ入った。以下、関連記事を見つけたので、参考までに。

    ◎売れない日本の防衛装備品 輸出促進、利益率向上に課題

    ♦︎松川氏はじめ、日本人、インド人、男女問わず、多くの方から「サリーがすてきですね」と声をかけられる。初日に着用した「京友禅サリー」は日本とインドの文化交流の象徴でもあり、会話の端緒にもなって非常によい。ちなみに2日目の赤と黒のサリーは、カンタ刺繍というベンガル地方由来の、刺し子風の刺繍が施されたもの。

    モディ首相は、しばしばインドの伝統的な手工芸による高品質なストールを身につけていらっしゃるが、昨日、言葉を交わしたインド高官のお一人が、カンタ刺繍のストールを首に巻かれていて、とてもすてきだった。

    ♦︎さてその後は、エネルギー資源(新エネルギー/化石エネルギー)に関するセッションを経て、夫がモデレータを務めたテクノロジーとデジタルの未来に関するセッションが続いた。そして最後は、インド財務大臣のNirmala Sitharamanが登壇された。3人の写真中央、青紫のサリーを着ていらっしゃる女性だ。

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    ✒️濃密な2日間については、諸々、書きたいことが募るが、1回の投稿を2000文字以内と決めている。というか、Instagramの文字制限が2000文字なので、止むを得ず。むしろ2000文字で留められるので、ブレーキが効いてよいとも言える。長文が忌避される世の趨勢に逆行していることは自覚しているが、記録は自分のためでもあるので今後も残す。今回のフォーラム参加を経て個人的に感じたことは、改めて③でまとめたい。

    さて、そろそろ、荷造りをしなければ。今回のデリー滞在。雨のおかげで気温も落ち着き、思ったよりも過ごしやすい日々だった。その他諸々、時間を見つけて、書き残しておきたい。

    早く猫らに会いたい。😻

    🇯🇵以下のリンクは、2011年9月の東京。日本の歴代首相と要人たちが集った2011年日印グローバル・パートナーシップ・サミットに出席した時の記録。前半は個人的な旅のエピソードなので、後半のレポートをどうぞ。ちなみにこのときのイヴェントでは、開会が遅れるなど遅延のトラブルが目立った。しかし、今回のフォーラムでは、たとえインドでも! フォーマルにすべてがほぼスケジュール通りに進んだことを記しておく。
    https://museindia.typepad.jp/2011/2011/09/japanindia.html

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    今回のデリー訪問の目的である日印フォーラムが、今日と明日、2日間に亘って開催されている。初日の今日は、インドのジャイシャンカル外務大臣と日本の林芳正外務大臣の開会セッションから始まった。

    会場には、日印の政治、外交、ビジネス、シンクタンクなど、各方面の優れたエグゼクティヴ各位が集っている。そんなクローズドな場所に、なぜわたし如きが紛れているのかといえば、夫Arvindが主催者側の関係者であるが故だ。

    この日印フォーラムは、Arvindが所属する米国のグローバル組織「アスペン・インスティテュート」のインドにおける関連組織「アナンタ・センター」が、インド政府外務省との共催で開催している。開会セッションのモデレータを務めているのは、アナンタ・センターのCEOであるIndrani女史。

    「アナンタ・センター」のサイトによると、フォーラムの目的は、「日印の協力を強化すべく、意見を交換し、相互信頼を築き、将来の協力のための共同アジェンダを策定すること」とある。

    このフォーラムでは、2日間で計7つのセッションが開催される。Arvindは明日開催される7つめのセッションでモデレータとして登壇する。超久しぶりのスーツ姿がお似合いだ。米国在住時を思い出す。

    ところで夫と共に写っている女性、右は先日、お会いした “HIGHWAY TO SWADES” の著者であるBhairavi。彼女とArvindは、アスペンの同期なのだ。そして中央の女性は、アナンタ・センターの創設に尽力された元CEOのKiran。優秀な女性たちの姿に、強い刺激を受ける。

    政治色の強いイヴェントということもあり、参加者各位と言葉を交わせば、ワシントンD.C.在住者や在住経験のある人が少なくない。わたしたちと同じ時期、ご近所(ナショナル・カセドラル界隈)に住んでいた方もいて、久しぶりに当時を思い出す。

    さて、ジャイシャンカル外務大臣が登壇されるということで、予習をしておこうと、読みかけだった『インド外交の流儀 〜先行き不透明な世界に向けた戦略〜』をデリーに持参していた。ジャイシャンカル外務大臣著の『THE INDIA WAY, Strategies for an Uncertain World』の日本語訳本だ。これは訳者の笠井亮平氏より、直々にいただいた。写真は、笠井氏が昨年末、バンガロールに来訪された際のもの。拙宅(新居)の「月光ライブラリ」での1枚だ。

    いやはや。日本語で書いてあるにも関わらず、わたしにとっては読み進めるに時間のかかる難しい内容。専門性の高い書物の翻訳には、語学力はもちろんのこと、日本語の文章力に加え、絶大なる知識、さらには集中力や根気が必要なのだということに改めて思いを馳せる。

    一部、走り読みをしたものの、予習をしたおかげで、わたしの未熟な英語力でも、セッションの理解を深めることができた。

    諸々、書きたいことが募るのだが、今はもう脳みそがいっぱいいっぱい。ただ座って話を聞いていただけなのに、疲労困憊。明日も早いので、そろそろ寝ようと思う。

    そうそう。今日もまた、「京友禅サリー」を着用して参加した。やはりサリーを着ていると、声をかけられる確率が高い。この件についても綴っておきたいことが多々あるが、眠い。おやすみなさい。

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    🇺🇸Aspen Institute
    https://www.aspeninstitute.org/

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    数カ月前から、複数名より最近のお勧めコスメティクスを尋ねられ、都度「近々、紹介します」と言い続けてそのままだった。忘れぬうちに、放置していた写真を発掘し紹介する。

    毎度、書いているが、そもそもわたしは、スキンケアや化粧品に対する強いこだわりはない。肌にあれこれと、ややこしいものを施すより、身体によいものを食べ、しっかり睡眠をとることが大切だと思っている。
    冒頭から身も蓋もない話だ😅

    かつて、余計なことをして肌を痛めた苦い経験があるせいもある。30代、ニューヨークで仕事をしていたころ、クライアントに勧められ、フランス製の高価な基礎化粧品を買った。刺激が強かったのか、顔中にひどい吹き出物ができた。皮膚科に行くほどの事態となり、肌荒れは半年以上続いた。

    その数年後、今度は別のクライアントが経営するエステティックサロンで、勧められるがまま、当時最先端だった「ケミカル・ピーリング」を試した。直後の紫外線対策が不全だったため、シミの原因になったことを知った。やめときゃよかったと心底思う。

    そんな次第で、基本的にはシンプルなスキンケアを重視。その一方で、インドの自然派コスメ情報に詳しいのは、仕事の関係もある。インド移住当初から、さまざまな調査の仕事をしてきたが、美容関連も遍くその対象だった。何につけても「自分で体験したうえでレポートする」を信条としていることから、気になるものは、一旦試す。

    コスメティクスもシャンプーも、だから色々なブランドのものを、トレンドを見つつ、そのときの気分で購入して、使ってきた。ちなみに普段の洗顔は、インドの自然派石鹸(銘柄あれこれ)を使用。乾燥する時期を除いては、洗顔後にローズウォーターをプシュプシュするだけでノープロブレム。ココナツオイル1本あれば、全身をケアできる……と、またしても身も蓋もない。

    しかし、50代に入ってからは、気分を高めるためにも、質が高めのプロダクツを常備している。思えばその辺りの事情、ロックダウンのとき、ニューヨークで出会ったメイクアップ・アーティストのMICHIRUさんと、2回に亘ってインスタライブをやったり、インドコスメ動画を作るなどして、情報を残している。

    とはいえ、インドの栄枯盛衰は激しく、この2年間の間にも趨勢は変化。消えたブランドあれば、生まれたブランドあり。今日は新旧2ブランド、およびお気に入りのサプリメント的おやつを紹介する。

    ◉1枚目の写真。82°Eは、実業家のJigar Mehta と、ボリウッドの名女優であるディーピカ・パドゥコーンが共同創業者(Co-Founder)として2020年に立ち上げたブランド。ビジネスモデルもユニーク。言及すると長くなるので割愛。わたしは「オイルなのに軽く滑らか、香り優しく適度な保湿感」のあるフェイスオイルが好きだ。

    気に入ったのはブランド名。以下、サイトの記述より概略を紹介。

    「82°Eとは。私たちはインドで生まれた、世界のためのブランド。東経82度30分(インドを通過し、世界との関係を形成する標準子午線)からインスピレーションを得た。インド的な理念と世界的な視野を併せ持つ、モダンなセルフケアブランドの創造を目指している。我々の生む商品は、革新的でありながら、地に足のついたこの二面性を持つ……」

    💝82°E
    https://82e.com/

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    ◉これらの写真はKAMA Ayurveda。こちらは、アーユルヴェーダの処方を生かした洗練されたブランド。2002年創業で、老舗の部類に入る。当初はシンプルな化粧水やオイル、石鹸、シャンプーなどしかなかったが、気づけば大変な品揃えになっている。日本人にも人気のブランドだ。

    わたしは、移住当初に使っていたが、ここ十数年は購入していなかった。ところが夫が自分のために買っていた保湿クリームを、ちょっと拝借したところ、これがなんだか、非常にいい!

    というわけで、妻は夫のものよりも少々グレードの高いシリーズ2種(朝/夜)を購入した。サフランの香りが自然で、肌触りも滑らか。でも正直なところ、夫が使っているクリームの方が、やや安いけど、わたしの肌に合う気がする😂

    💝KAMA Ayurveda
    https://www.kamaayurveda.in/

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    ◉最後は、サプリメント的なおやつ。いや、おやつ的なサプリメント。普段、わたしはサプリメントを摂取しないが、これはおいしくてかわいいので、朝晩1熊ずつ食べる。ヘアケアの青い方は、ビオチンも含まれている。昨年、COVID-19に感染した時、髪の毛がどしどし抜けてしまったが、これのおかげもあって、復活した気がする。

    💝POWER GUMMIES
    https://powergummies.com/

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    今朝は月に一度のFM熊本ラジオの収録日につき6時起床。193回目の今回は、インドのジュエリーを語った。日曜日に参加したパーティで久々にジュエリーをじっくり眺めたことから、この話題に決めたのだった。

    ♦︎ 150年以上の歴史を持つバンガロールの老舗ジュエリーショップ、C. KRISHNIAH CHETTY。同店が「クリスタル・ミュージアム」をオープンしたことを記念してパーティが開かれた。わたしは、オーナー夫妻と知り合いだということもあり、すでに去年から何度か訪問し、記録にも残している。
    ミュージアムには、マイソール藩のマハラジャ一族や、英国統治時代、英国名家のために創った貴金属類のレプリカほか、インドにおける宝飾品の歴史を学べるさまざまが展示されている。

    オーナー夫妻が、宝石学の専門家でもあることから、アカデミックな見地での継承も重視。ミュージアムの一隅には、宝石学に関する多彩な書籍が所蔵されたライブラリもある。なお、ミュージアムの名に冠されている「クリスタル」。ここで意図されているクリスタルとは、ガラスなどの人工物ではなく、あくまでも天然自然、地球が生み出した「鉱物」としてのクリスタルだとのことだ。

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    ♦︎ パーティで行われたトークや、150周年を記念して刊行された分厚くも充実したコーヒーテーブル・ブックの内容についても言及したいところだが、尽きない。
    会場では、同店のジュエリーを身につけた4組のカップル(モデルたち)が華やぎを添えていた。店舗で展示品を見るよりも、遥かに臨場感がある。結婚式の新郎新婦を演じる彼ら。ちなみに南インドの結婚式では、石よりも「金(ゴールド)」が目立つ。ネックレスだけでなく、チャンピオン・ベルトのような金ベルトも特徴的だ。

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    ♦︎ クリスタルの中でも、ダイヤモンド、サファイア、エメラルド、ルビーの4つは、「貴石(プレシャス・ストーン)」と呼ばれ、希少価値が高く、一般に高価だ。一方、アメジストやラピスラズリ、ローズクオーツ、トパーズなどは「半貴石(セミプレシャス・ストーン」と呼ばれ、希少性は低く、値段も貴石よりは手頃である。
    インドにおけるジュエリーの歴史は古く、深く、厚く、熱い。たとえば、アジャンター石窟群の仏教遺跡の絵画を見るだけでも、インド亜大陸の人々が、数千年前から豪奢な宝飾品や、艶やかな衣類に親しんでいたことが一目瞭然だ。

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    ♦︎ かつてインドは、ダイヤモンドの唯一の産出国だった。欧州列強や英国がインドに侵攻した際には、無数の宝飾品が持ち出された。その後、ダイヤモンドの産出国は、ブラジル、アフリカ、ロシア……と他国へと移行、インドではあまり採掘されていないようだ。しかし「ダイヤモンドの研磨産業」は、今でもインドのグジャラート州スーラトが世界の約9割を担う中心地である。

    なお、インドでは古くからカットされていない粗削りの「ラフ・ダイヤモンド (Rough Diamond)」を、目いっぱい施したジュエリーも一般的。写真のモデルたちが身につけているガラスっぽい石は、すべて「ラフ・ダイヤモンド」だ。

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    ♦︎ クリスタルが施された宝飾品は、富や名声の象徴にとどまらぬ、地球のパワーを享受してくれるものであり、神々を象徴する一面もある。先祖代々から継承されるそれは、自分の出自を具現化するものでもある。紙幣が単なる紙になる可能性がある世界において、ゴールドや貴金属は普遍の価値を持つものとしても重宝されてきた。

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    ♦︎ たとえば、インドは1947年にインド(ヒンドゥー教国家)とパキスタン(イスラム教国家)が分離して独立したが、その際、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の大移動が起こった。最低限の荷物のみを所持しての民族大移動の際において、宝飾品は非常に大事な存在だった。新天地で、手持ちの財宝を売り、生計を立てたという話は、当時、極めて一般的だった。

    ちなみに、わたしが2001年に結婚した際、アルヴィンドの亡母が身につけていた22金のネックレスとバングルを譲り受けた。これらは彼女が母親から受け継いだもので、少なくとも100年以上前のものだ。すなわち、印パ分離独立時、夫の母方の祖先が暮らしていたパキスタンのラホールから、遥々、持ち出されたものである。わたしは身体が大きい割に手が小さいので、この比較的小振りのバングルがぴったりだった。それを日本人のわたしが継承する縁(えにし)を思う。

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    ♦︎ 宝石はまた、占星術との深いつながりもある。この話もまた語るに長くなるので個人的な話にとどめる。わたしの誕生石は、知性を司るのがエメラルド、感情を司るのが天然真珠だ。これは生年月日時間、誕生した場所の経度緯度から割り出される。

    夫の父方の祖母(ダディマ)が他界した際、形見にとネックレスとイアリングのセットを受け継いだ。奇しくもそれはエメラルドと真珠だった。わたしはインドに嫁ぐべくして嫁いだのだなと思わされる出来事だった。

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    🍛パーティで出された南インド料理、とてもおいしかった。

    ◉バンガロールの老舗ジュエリー店で、宝石の歴史を辿る。(2022/10/05)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2022/10/05/crystal-2/

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    1978年。中学に入学して直後、わたしはバスケットボール部に入部した。最初に購入したバッシュ(バスケットボール用のシューズ)は、白いデニム地に赤いラインが入った「オニツカ・タイガー」ブランドのハイカット。当時、バッシュといえば、鬼塚が主流だった。

    しかしながら、布製は傷みも早い。しばらく履いた後、次に買い換えようとしたときには、同じ鬼塚から誕生した「アシックス」というブランドの革製のバッシュが台頭していた。オニツカ・タイガーは、そのころアシックスに統合されていたようで、シューズのクオリティも値段も、急に上がったことを思い出す。

    「あんたかベイビー」と呼ばれるキャラクターのTシャツ、アシックスのバッシュ、アディダスのジャージや半円型スポーツバッグ……。当時の我がバスケ・ファッションが懐かしく思い出される。スポーツウエア好きは、今も、さほど変わっていないかもしれない。

    その後、世間から消え去っていたオニツカ・タイガーのブランド名が、今世紀に復活。クエンティン・タランティーノ監督の映画『キル・ビル』(2003)で、ユマ・サーマンが、黄色いオニツカのシューズを履いたことで、海外からの注目も集めた模様。ちなみに黄色が好きなわたしは、あのユマ・サーマンのファッションが好きすぎる。ちなみにオニツカ・タイガーは、ナイキのルーツにも深い関わりがあるという。

    さて、インドでも、オニツカ・タイガーが店舗を展開しているが、個人的には「懐かしいな」と思う程度で、特に関心を寄せてはいなかった。ところが、パンデミック後、デリーやムンバイのショッピングモールに出かけると、やたらとオニツカ・タイガーが目立つ場所にあり、際立っている。さらにはインドの友人らがオニツカ・タイガーを勧めてくる。無論、他のスポーツブランドも、このところ店舗の洗練度が高い。

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    先日の日本旅で、銀座の店舗に立ち寄り、気になる「黄色」のスニーカーを見つけるも、サイズがなく断念。東京では時間もあまりなかったこともあり、わたしは買わずにいたのだが、夫は一足購入。それを見ると、やはり自分も欲しくなった。
    というわけで、先日のムンバイ。滞在していたホテル、セント・レジスは、2017年にオニツカの一号店がオープンしたフェニックス・パラディアム・モールに直結していることから、チェックイン後に立ち寄った。

    早速、「黄色」を履いてみるが、履き心地はいまひとつ。しかも、足元が主張しすぎて、服と合わせにくい懸念がある。
    ほかに何かいいのはないかしら……と眺めていたら、「メイド・イン・ジャパン」コーナーの、黒革に刺繍が入ったシューズが目に飛び込んできた。ユニセックスで、サイズは25センチからだという。わたしは24.5cmなので、試しに25センチを履いてみたところ……。なんとピッタリ! しかも履き心地が非常によい。

    他のシューズよりも割高であるが、歩きやすいし、デザインもクールだしで即決。ちなみに同行していた夫は、気づいたら自分が黄色いのを購入していた。そんな次第で、中学1年以来、実に45年ぶりに、オニツカ・タイガーを履くに至っている。うれしい。

    調べてみるに、オニツカ・タイガーの海外戦略は非常に興味深い。わたしが購入した「書道風刺繍」もそうだが、西陣織を使用したものなど、スポーツシューズとはイメージが異なるブランドとのコラボレーションなども、関心を集める理由になっているのかもしれない。……またしても、話が長くなった。👟

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    🥻約5メートルの一枚布を巧みに身体に巻き付けて着こなす、シンプルながらも華やかなインドの民族衣裳、サリー。インダス文明の時代から数千年の長きに亘り、サリーはインド亜大陸に暮らす女性たちの身を包んできた。

    絹や綿、絹と綿の混紡など、布の種類にはじまり、織り、染め、刺繍、紋様など、産地や品質によって無限とも思える選択肢があるサリーは、インドの多様性を象徴するかのような衣類だ。

    更には、同じ絹でも、柔らかいもの、滑らかなもの、光沢のあるもの、粗いものなど、数多くの種類があり、値段もピンからきりまで。パーティや結婚式用の豪奢なサリーは、ぎっしりと石やビーズが埋め込まれていて、驚くほどの重量感ときらびやかさ。着こなすのは体力勝負だ。

    わたしは2001年7月、デリーでの結婚式で、生まれて初めてサリーを着用したときから、サリー世界の虜となった。以降、サリー専門店はもちろんのこと、工芸品のバザールやシルクマークの展示会などを訪れ、これまで無数のサリーを目にし、触れ合ってきた。

    中でも、わたしが最も好きなのは、パールシー刺繍が施されたサリー。

    パールシーとはゾロアスター教徒のこと。歴史的背景を記すと長くなるので、ここでは割愛。関心のある方にはぜひ、下記のリンクをご覧いただきたい。わたしは10年以上前のムンバイ在住時に数枚のパールシー刺繍のサリーを購入した。お気に入りのそれらは、以来、幾度も繰り返し着用している。

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    🥻さて、2012年、パールシーの出自であるAshdeenによって誕生したパールシー刺繍のファッション専門店『Ashdeen』。実は、半年前にデリーに訪れた際、ご縁あって、デリーの店舗で彼と初めてお会いした。更には、今年の1月にデリーで開催した京友禅サリーの展示会に、彼は訪れてくれたのだった。

    Ashdeenから、ムンバイのコラバに新店舗を開店したことは、そのときに聞いていたので、次回のムンバイ来訪時には立ち寄るつもりでいた。

    LOVEBIRDSで買い物をすませたあと、照りつける日差しのもと、徒歩数分の場所にあるAshdeenを目指す。彼は普段、デリー在住だし、ここにはいないよな〜。でも、彼にお願いしたいこともあるし、直接伝えたいな〜。などと思いながら、ブティックへ向かう階段をあがる。

    ここはかつて、別のブティックが入っていた。馴染みの古いビルディングだ。重いドアを開くと、流れ出す涼しい空気、目の前に広がる色とりどりの世界! 一瞬にして、心身が覚醒する。

    店内の一隅に視線を移すと……そこにはAshdeen! 偶然にもこの日、デリーからムンバイに訪れ、店に出ていたらしい。なんという偶然だろう。彼はわたしが持っているショッピングバッグの文字を見て、そしてわたしは、彼のシャツを見て、お互いに「LOVEBIRDS?」と口にする。

    彼が着ているシャツが、わたしが数分前にLOVEBIRDSで購入したジャンプスーツの色柄に酷似しているのだ。

    LOVEBIRDSは、レディスしかなかったはずだが……と思うが早いか、彼は、

    「僕もLOVEBIRDS好きで、だけど男性用がないから、これは敢えて作ってもらったんだ」とのことである。かなりの高確率で、好みが一致している模様。二人で撮影した写真を見て、サンダルのデザインもなんだか似ていて、笑える。

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    🥻デリー店の倍近い広々とした店内。サリーだけでなく、レンガ・チョーリーと呼ばれるブラウスとロング丈のスカート、デュパタ(大判のストール)のセットや、バッグ類などもある。

    店内を案内してもらいつつ、半年前にデリー店を訪れたあとに決めたお願いを彼に伝える。還暦の誕生日に、オリジナルの赤いサリー、もしくはレンガ・チョーリーを、作ってもらいたいのだということ。

    あと2年あるけれど、あっという間に歳月は流れる。早めに意向を伝えておいて、次回はモチーフなどのデザイン案を彼に伝えられればと思う。一隅のクッションを眺めつつ、やっぱりツルは外せないな……と思いつつ、2年後の8月に思いを馳せる。それまでに、もう少し身体を絞り鍛えたい。

    この日は、パーティー用の小さな巾着袋を購入した。サリーにもドレスにも合うかわいらしいデザイン。着物にも合いそうだ。軽いし嵩張らないから、旅行などにも便利。オリエンタルの意匠が本当にすてきな作品(商品)がたくさんで、目の保養にもなる。

    デリー店は、GK-1のNブロック、Anokhiの上階にある。ムンバイ店はタージマハル・パレス・ホテルのすぐ近く。バッグ類などは、精緻な手刺繍ながらも、お手頃なお値段。関心のある方は、ぜひ立ち寄られることをお勧めする。

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    https://ashdeen.com/

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    ★ヤズダニ・ベーカリーの壁にも貼られていた絵、羽根のある人物の図柄は、ゾロアスター教のシンボルで「ファラヴァハル(Faravaha)」と呼ばれる。古代ペルシャの美術や建築にもよく見られるこのシンボルには、人物、羽根、輪などそれぞれに意味があるという。

    ★日本のマツダ自動車の社名は、創業者である松田重次郎の姓と、叡智・理性・調和の神を意味するゾロアスター教の最高神アフラ・マズダー(Ahura Mazdā)にちなみ、自動車産業の光明となるよう願ってつけられたとされている。

    ⬇︎過去の記録にも、写真をたくさん掲載しています。

    ✏️Ashdeen。夢のように美しい刺繍……! パールシー刺繍専門店へ。(2022/10/30)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2022/10/30/ad01/

    ✏️京都とKYOTOが出合う。Ashdeenを訪ね、パールシー刺繍の歴史や、日本とインドの関わりを知る至福のひととき。(2022/11/03)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2022/11/03/as/

    ✏️京友禅サリー/デリーでの展示会を終えて。(2023/01/15)
    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2023/01/15/kyz03/

    😁先ほど投稿した後、彼のサンダルをよく見たらGUCCI。わたしのバッグもGUCCI。やはり好みが似ている模様。